WC=Water Closet の略・水洗式便所・・・

 2833日目・文字霊日記
 「𠂉=髪挿し・鈿・簪・釵・楴・笄・櫛」、「𠂉=人」?
 W C・・・toilet(トイレットゥ・トイレット)?・・・問例通訳・・・?
 ハンカチーフ= hand (手) + kerchief (頭布))=handkerchief(ハンカチーフ)
 Wild Card(何でもあり・Joker・ババ)の略・・・?
 almighty(オールマイティー)がババ?・・・万能のババ・・・Urinal (小便器)?

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 「𠂉=カミさし=髪挿し・鈿・・簪・釵・楴・笄・兂・櫛」・・・
    かんざし=髪飾り
         篸 =篸差・古同「参差」=長短、或粗細不揃い
           互いに入りまじるさま
           高低・長短などの不揃いなさま
         参差錯落(シンㇱサクラク)=変化に富んで、美しいこと 
           篸=縫衣針
             古通「簪=かんざし」
            「插=棒状、へら状のものを
               穴などに)挿す・差し込む・突っ込む
             篸=一种簸箕(塵取り・チリとり)
                     ・・・地理採り?
  𠂉=人・・・?
 㫃=旗印が風に靡(なび)くさま
   旗が風に翻(ひるがえ)るさま
  「旗」の原字・・・
   旗竿の吹流しが靡(なび)くさま
  「旌旗の游、㫃蹇たるの
      皃(かたち)なり(説文解字)」
      皃=白+儿=貌(風貌・容貌・顔貌)
            形(姿態)
      游=氵+斿(𠂉子)=吹流し
          斿=あそぶ・浮かぶ・ただよう
            旗の先につけた飾り
         異体字「旒」
         「斿=㫃+汓」
            「汓」=子供が水に浮かぶ様
            斿=push open
              アイ
              ひらく
              旌旗垂
            斿=リュウ・ル・ユウ・ユ
              𣽩=氵+斿
                氵+亠+勹
                  '+万+𠂉+去+川
              氵+方+𠂉+㐬(亠厶川)
           旒旗=縁に房状の飾りがある旗
              旒旗の先の房飾り
              ひらひらと揺らめくさま=游
      㫃蹇=吹流しのさま
     「屮に從ひ、曲がりて垂下す
      㫃=相ひ出入りするなり」
   㫃=旗
   人=𠂉+其
   旗=方+𠂉+其
        ・・・㫃+其=旗=方+人+其
           㫃+也=施=方+人+也
        ・・・箕=竹+其
           キ
           ちりとり
           み
           穀物の殻やちりを
           ふるいわける道具
           両足を投げ出して
           胡坐(あぐら)をかく
           二十八宿の「みぼし」
           昔の国名
   旗=方+𠂉+卄+二+一+八
     亠+勹+𠂉+卄+二+一+八
     オン・ヱン
     はた・ふきながし
    「旗」=方形のもの

 㫃=旗・旌・旄・旆
   旗がなびくさま
   游は吹流し
  「㫃(はた)+从(人が従う)」の形
   旅
   甲骨文・金文=「旗がなびく形」
   篆文=「㫃」→「方+人(𠂉)」→「旗」 に変化
 㫃=エン=方+人
   異体字「偃」
   偃=亻+匽
     亻+匚+妟
     亻+匚+日+女
     エン
     おごる
     ふす
     ふせる
     やめる
     おごりたかぶる
     たおれる
     やめる・戦をやめる
     やすむ・一休みする
     せき・せく
     水などをせき止める=堰
     便所・厠(かわや)
ーーーーー
 ・・・???・・・「トイレのカミさま」・・・ウン次第・・・
 WC=Water Closet の略・水洗式便所
    炭化タングステンタングステン W +炭素 C) の化合物記号
    World Cupの略
    World Championの略
    Water Carrier(戦車)の略
    Wild Caught(捕獲野生動物)の略
    What color?の略
    Wild Card(何でもあり・Joker・ババ)の略
ーーーーー
 ・・・
 朝鮮半島
 「百済
 「穴太(あのう)」
 と名乗る部族・・・?
 土木工事
 石工
 の集団
 ↓↑
 穴太衆(あの-う-しゅう)
  ・・・・・ 太-秦(うづ-まさ)
        タイ・ダイ・ふとい 
 織豊時代安土桃山時代)の
 石工の集団
 寺院や城郭などの
 石垣施工を行った技術者集団
 石工衆・(いしくしゅう)
 石垣職人(いしがきしょくにん)
 歴史的仮名遣
 「穴太=あなふ」
 ↓↑
 大きな石と小さな石を点在させ
 バランスよく組み立て
 奥行きのある石を使い
 裏手には
 「ぐり石」と呼ばれる
 「艫介石」
  ・・・盧+α
     櫨(はぜ・枦・黄櫨・沙魚・土師)
       櫨(うつぎ)
       櫨(はし)
       櫨(はせ)
       櫨(はぜ)
     濾(こす・濾す・漉す・濾過)
     爐(いろり・囲炉裏・鑪)
     黸(くろ・黒・黑)
     驢(ろば・驢馬)
 ↓↑  ↓↑
     獹(いぬ・ロ・ル・犭+盧=犬・狗・戌)
       dog(ドッグ)・・・ドック(dock)
       ラテン語 canis(カニ
       hound(ハウンド) =猟犬
       dachshund・greyhound
      「韓盧=為戰國時代 善馳的 獵犬」
       ダメ男・女好きの男・ヒモ
       熱中者・~狂・おたく?
       ハウンド・ドッグ誘導弾
      (空対地ミサイル)
       ドック(dock)=船の建造・修理の
       乾ドック・湿ドック・浮きドック
       乾(いぬい)ドック(dock)
         戌 亥 渡通句⇔dog
       船渠 (センキョ・ドライドック)
 ↓↑    ↓↑
        渠=洰+木
       ↓↑氵+巨+木
          キョ
          おおきい
          かしら
          かれ
          なんぞ
          みぞ
          掘り割り
          地面を掘って作った水路
          地下灌漑用水路・小川
          大きい。広い。
          かしら・親分
          かれ・三人称の代名詞
          なんぞ・いずくんぞ
          疑問や反語の助字
 ↓↑     ↓↑
     暗渠・河渠・開渠
     街渠・溝渠・船渠
     入渠・明渠・渠帥・渠魁
 ↓↑  ↓↑
    永済渠・開船渠・乾船渠
    係船渠・湿船渠・導水渠
 ↓↑  ↓↑
     暗渠排水
    水到渠成(蘇軾「答秦太虚書」
          郭刑部に寄せた書簡)
 ↓↑  ↓↑
     蘇 軾(ソショク)
     景祐三年十二月十九日(1037年1月8日)
     ~
     建中靖国元年七月二十八日(1101年8月24日)
             大運1094年6月~1104年6月
                    丙午 正財
     丙子(壬 癸)正財・比肩建禄⇔辛巳 偏印
     庚子(壬 癸)印綬・比肩建禄⇔丙申 正財
    ┏癸亥(戊甲壬)  ・劫財帝旺⇔丁亥 偏財
    ┗戊午(丙 丁)正官・偏財 絶⇔丙午 正財
      子丑空亡
 ↓↑  ↓↑
     廬山の偈(ゲ=仏の教えをほめたたえた韻文)
      蘇那曷叱知(そなかしち
            蘇那曷叱智)
          曷=なんぞ?
          奚・何・胡・曷、一聲之轉、義同
          曷+α
          渇望・渇水・掲載・羯啼
          恐愒・恐喝・恐猲・恫喝
          靺鞨・蠍蝎=蠆・さそり
          磨羯宮⇔羯=去勢された羊
          諸葛亮・轇轕・靄靄
          齃=鼻筋・鼻柱
          鶡=雉(きじ)・山鳥(サンチョウ)
          猲=カツ・カチ・リョウ・ケツ
            おおかみ(狼)
 ↓↑       ↓↑
          サソリ(蠍蝎)に似ているのは
         「ザリガニ(蝲蛄・蜊蛄・躄蟹
               クレイフィッシュ)」
         「海老=蝦・蛯・鰕」
         「海鰻(あなご)」
         「硨磲(しゃこ)
          シャコガイ(蝦蛄貝)科二枚貝
          鷓鴣・青竜蝦・史蛙古解?
          mantis shrimp=カマキリエビ?
          アナジャコ(穴蝦蛄)
          蝦夷=えぞ・えみし・カイ
          蝦蟆(ガマ・説文解字・巻十三)
          鯢(さんしょううお=山椒魚
            鯢魚
            牝鯨の大なる者を
            之れ蝦と謂ふ・爾雅・釈魚)
          鯨鯢=鯨は雄クジラ
             鯢は雌クジラ
             ケイゲイ
             大魚
             大悪人・悪党の首領
 ↓↑  ↓↑   ↓↑ ↓↑
     瓐(緑色の玉)
     嚧(口+盧=是唤猪声・笑也・阿伽嚧=華言沈香
     矑(ひとみ・瞳・人見)
     臚(はだ・膚・肌・波田
     纑(ぼろ・母鸕・藍褸)
     罏(かめ・瓶・甖・甕・亀・鹿目)
     籚(ひつ・御櫃)
     蘆(あし・芦・葦・足・脚・肢)
     艫(へさき・みよし・とも
       船首      船尾)
     轤(ろくろ・轆轤=轆䡎=滑車・・・鹿路)
     鑢(おひつ・御櫃・米櫃)
     顱(かしら・こうべ・どくろ・髑髏・毒鴉)
     髗(かしら・こうべ・どくろ・髑髏・毒鴉)
 ↓↑  ↓↑
     鸕=う・鸕鶿(ろし)鵜(う)
       ・・鸕野讚良?
     鱸=すずき・魲・出世魚
       鈴 木・高木(すずき)?
 ↓↑  ↓↑
     盧・瀘・廬・蘆・櫨・瓐・爐・臚・矑
     籚・艫・纑・罏・轤・鑪・顱・驢・髗
     鸕・鱸・黸・䰕・攎・㱺・嚧・蠦・㠠
     曥・㿖・壚・㪭・獹・㔧
 ↓↑  ↓↑
     王楊盧駱(応用呂楽?)
     湛盧之剣(譚侶・史・詞・の
            巻・縣・研・検・兼・建?)
     盧生之夢(賂所為詞瑜海布?)
 ↓↑  ↓↑
 小石を組み上げ
 地震の緩衝材の遊びとし
 接着剤となる
 漆喰・・・・・シックイ=詞通句意?
 などを使っていない
 ↓↑
 胴介石
 飼石
 裏込
 栗石を十分に充塡し
 積み石
 ↓↑
 石積みの構造(穴太衆積み関係資料)
 根石・積み石(自然石)
 艫介石・・・艫(石の奥側・石の端尻尾)
       には艫介石を配置・・・
 胴介石・・・築石の合端範囲と
       胴部および石尻(艫飼)部分に
       飼石(介石)の据えられた位置・・・
 ↓↑
 琵琶湖湖西
 穴太の地
 6世紀~7世紀前半
 渡来人が居住した
 縄文時代の集落跡
 穴太遺跡
 昭和61年9月
 同遺跡から
 古墳時代後期の
 オンドル遺構が発見
 ・・・オンドル(温突)・・・音頭留・音採る?
               怨取る?
 朝鮮半島の床下暖房
 クドゥル(突火煖寢・堗厝火)とも・・・
 ↓↑
 平安時代
 弘仁六年(815年)
 「新撰姓氏録」には
 穴太の地を包括する
 大友郷
 その南に隣接する
 錦部郷
 古市郷
 では
 穴太-村主(すぐり)氏
 大友-村主
 錦部-村主
 などの
 渡来人が
 穴太や周辺一帯に居住した記録
 平安時代
 全国各地の主要道に
 馬や船などを備えて
 中央からの使者に
 馬や食事などを提供した
 畿内と北陸を結ぶ始発駅
 穴太駅家が設けられた
 「日本書記」「古事記」では
 景行
 成務
 仲哀
 天皇の三代が営んだ
 志賀
 高穴穂宮の伝承地・・・
 ↓↑
 延暦四年(785年)
 伝教大師最澄
 延暦寺創建
 俗名 三津首(おびと)・・・地名を氏とする
 ↓↑            県主
               稲置など領首的性格をもつもの
               職名
               部曲名を氏とする
               伴造的性格をもつもの
        ・・・「帯の人=帯方郡からの移民」?
           「タラシの人」・・・張政?
 後漢 献帝の末裔・・・献=南の犬
 ↓↑         隼人(はやと)
            阿多・大隅(鹿児島)に居住した人々
            海幸彦が隼人の阿多君の始祖
            祖神-火照命の末裔
           「はやひと(はやびと)」
           「はいと」とも呼ばれ
           「犬のように吠える人」の意
        兵部省-東百官
       「隼人助(はやとのすけ)=早い人・速い人・疾い人
 ↓↑                  捷い人?
 登万貴王の後
 志賀の漢人の子孫
 渡来氏族
 出生地
 古市郷(大津市膳所・石山付近)
 伝承では東坂本
 最澄と穴太氏
 「続正法論」
 南北朝末期
 応安元年(1368年)八月二十五日
 延暦寺の衆徒が
 万所集会(寺内の諸般議決機関)開催
 二十八日
 御輿を担いで入洛決定するが
 京都側の西坂は大変険阻で
 坂道を修築するよう
 穴太の散所の民に命令
 穴太氏が
 穴太衆積みの起源である
 横穴式石室墳の石室作りにたずさわり
 後
 最澄とともに
 比叡山に登り
 土木工事を請け負う
 散所の民である技術者集団として結び付き
 各種
 堂塔伽藍の造成
 基礎石垣
 登山道の土留石垣
 水田整備の
 石垣畦
 井戸・・・イド=緯度・伊土?
 の構築等を通じて
 穴太衆と呼ばれる職能集団を形成
 穴太衆
 史料上
 京都吉田社の神官
 吉田兼見の日記
 「兼見卿記」・・・兼(かねて)
          見(みる)
 ↓↑    キョウ(共・協・拱・教・鏡=鑑)記?
 安土=ウ+女+拾+壱
 桃山=木+兆+山・・・「記帳・基調」+「纂・簒・撰」
 時代
 天正五年(1577年)九月二十四日条
 「穴太を召し寄せ
  石懸け(石垣)普請す・・・石(岩・磐・違和・伊和)
               懸け・・・磐余=神武天皇
  醍醐清滝の御修理也」と記録
 ↓↑
 天正四年(1576年)
 安土城築城
 穴太より
 石工が呼ばれ石垣築
 諸国の築城にも用いられ
 次第に
 石垣作りが上達し
 五輪塔作りを止めて
 石築を専業とする
 以来諸国では
 石垣築者を
 穴太
 といい
 技能者を
 穴太手筋の者
 石垣を築く役人を
 穴太役と呼ぶようになった・・・
 ↓↑
 文録二年頃
 筑後三河という
 受領名をもつ
 城郭
 石垣築成者として認められ
 江戸開府後は
 穴太頭の制度
 ↓↑
 元亀二年(1571年)
 織田信長の山門攻略
 門前町坂本は
 比叡山とともに
 壊滅的な被害
 ↓↑
 天正十二年(1584年)
 一山大衆の
 施薬院全宗
 観音寺
 詮舜
 が中心になって
 山門再興を
 豊臣秀吉
 に願い出て許可
 根本中堂
 堂塔伽藍
 が再建
 延暦寺の再興
 坂本も門前町と再出発
 ↓↑
 慶長十年(1605年)
 「一山衆徒法度」
 坂本に「里坊」制度
 ↓↑
 元和元年(1615年)
 天海僧正
 天台座主の常住
 並びに
 延暦寺本坊となった
 滋賀院を建立
 坂本に居住する僧侶が増加
 山上の僧侶が60歳を向えると
 座主より
 「里坊を賜う」と称され
 坂本に住居を設け
 多くの里坊が形成
 里坊は
 道路に面して
 野面石を積んだ
 穴太積みの石垣を設け
 その上に
 土塀や生垣
 竹垣を配し
 主屋を囲んでいる
 城壁のような
 滋賀院石垣
 生源寺
 律院
 実蔵坊の桝形をした石垣
 大将軍神社
 白髭神社等が
 里坊群の景観を形成
 ↓↑
 穴太衆
 近江
 比叡山山麓
 穴太(穴太ノ里=あのうのさと)
 滋賀県
 大津市
 坂本
 穴太
 延暦寺
 と
 日吉大社
 の門前町・坂本の近郊
 出身
 古墳築造などを行っていた
 石工の末裔
 安土城の石垣を施工
 織田信長
 豊臣秀吉
 らによって
 城郭の石垣構築にも携わった
 以降は江戸時代初頭に到るまで
 多くの城の石垣が
 穴太衆の指揮のもとで造られた・・・
 坂本の町の
 「里坊(さとぼう)」
 と呼ばれる延暦寺の末端の寺院群は
 彼らの組んだ石垣で囲まれている
 ↓↑
 穴太積(あのうづみ、穴太積み)
 野面積(のづらづみ、野面積み)を指し
 昭和初期以降の俗称
 穴太衆が手がけた野面積の石垣
 穴太衆は
 石垣職人で
 玉石積
 や
 切石積も行った
 ↓↑
 諸家
 後藤家
 石垣職人
 後藤基次(又兵衛)が
 加藤清正から
 伝授を受け
 『城石垣始秘伝抄』
 「城取りの石垣の事」
 又兵衛は大坂夏の陣で討死する
 前に
 腹違いの弟
 彦八(後の初代後藤杢兵衛)
 に
 これまで学んだ成果を
 『石垣根元抄』として
 元和元年(1615年)四月に伝授
 「元和八年(1622年)以来
  一子相伝の他これを許さずのもの也」
 とした
 後藤家が関わった石垣
 加賀藩
 金沢城
 ↓↑
 穴太衆の石垣
 安土城
 彦根城
 竹田城(但馬)
 篠山城
 角牟礼城
 など
 ↓↑
 粟田家
 江戸時代初期
 阿波屋喜兵衛が祖・・・阿波
 会社組織として存続
 1964年(昭和39年)
 十三代目が
 粟田建設を商号
 1972年(昭和47年)
 有限会社化
 十四代目継承
 2005年(平成17年)
 株式会社化
 2017年(平成29年)
 粟田純徳(すみのり)社長が
 「第十五代目
  穴太衆頭」として活動
 ↓↑
 粟田家
 坂本を門前町とする
 比叡山延暦寺の石積み
 第二次世界大戦
 兵庫県
 竹田城篠山城
 滋賀県
 安土城彦根城
 高知城、洲本城
 などの石垣修復
 2010年
 野面積の頑丈さと芸術性が評価され
 アメリカでも施工
 ↓↑
 日本一の高さの石垣
 丸亀城
 山崎氏が
 石垣職人の
 羽坂重三郎(はさかじゅうざぶろう)に対し
 誰も登れまいと語ったところ
 羽坂がこれを登った
 軍事機密上
 洩れるのを恐れた
 山崎氏が
 二の丸井戸に呼び出し
 これは登れまいと
 羽坂を挑発し
 井戸に降りさせ
 投石で暗殺した・・・
 『石垣築様目録』(奈良県所蔵)中に
 「丸亀(城の石垣)から学んだ」という記述
 丸亀城石垣に
 特徴的な
 扇形の配置・配列を
 数字で暗号化した記述が目録にあり
 羽坂の技法が広まった・・・
 『石垣築様目録』の記述は
 四国
 東部系統の
 石垣職人の技法を手本とした・・・
 ↓↑
 日本の石垣職人は
 朝鮮出兵時にも活動
 倭城石垣が確認
 朝鮮半島の倭城
 アメリカなど海外でも
 石垣の施工
 ↓↑
 石介・・・石の介護・介入・一介・介意・介音???
       一介(イッカイ)
       介意(カイイ)
       介護(カイゴ)
       介在(カイザイ)
       介錯(カイシャク)
       介助(カイジョ)
       介入(カイニュウ)
       介抱(カイホウ)
      狷介(ケンカイ)
      紹介(ショウカイ)
      仲介(チュウカイ)
      媒介(バイカイ
      厄介(ヤッカイ)
      鱗介(リンカイ)
      魚介類(ギョカイルイ)
      真名&貝類・・・?
 ↓↑
 見田・石介(みた・せきすけ)?
     ↓↑     ↓↑
 1906年4月23日~1975年8月9日
       大運1970年9月(64歳)己亥~1980年9月
  丙 午(丙 丁)劫財・食神建禄⇔乙卯
 ┏壬┏辰(乙癸戊)正官・傷官 衰⇔甲申
 ┗丁┗酉(庚 辛)  ・偏財長生⇔丁亥
  丙・・午(丙 丁)劫財・食神建禄⇔丙午
    辰巳空亡 天地徳合
 旧姓
 甘粕・・・?
 1933年
 結婚より妻の姓
 見田を名乗る
 ↓↑
 筆名
 佐竹・恒有
 瀬木・健
 島根県
 津和野出身
 憲兵大尉
 甘粕正彦
 は従兄弟
ーーーーー
 ・・・???・・・

韓に子(鼠)は非(あらず)・・・和史の篇を拾うサン?

 2832日目・文字霊日記
 朝憲-紊乱(ビンラン)⇔聴検-便覧(ハンドブック)
 ↓↑
 和氏の璧(カシのヘキ・カシのたま)・・・カ=和=ワ・・・
 春秋時代・戦国時代の故事にあらわれた名玉
 『韓非子(和氏篇十三)』
  ↓↑
  ・・・韓(いげた・井戸の囲い)は子(終始)に非ず・・・
     韓=龺+韋・・・乾(かわ)かして鞣(なめ)す
       十+日+十+韋

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      「朝鮮=朝の魚の羊」
         =朝(龺+肉・にく・ジク)の
           眞魚(真菜・真名)の羊(ひつじ)
            龺=乾=龺+𠂉+乙・・・カワクを乞う?
              乾=龺+乞
                十+日+十+乞
                十+日+十+𠂉+乙(オツ・おと・乚)
                     𠂉=髪挿し
                 カミさし=神指し・上指
              異体字「乹・亁」
              乾=龺+乞=乹=亁
                十+日+十+乞
                十+日+十+𠂉+乙
              乹=十+日+十+乚
              亁=十+日+干+𠂉+乙
              カン
              ケン
              かわかす
              かわく
              いぬゐ
              ひ
              ほす
              水分がなくなる・水分をなくす
              うわべの・表面上の
              八卦の一
              天・天子・君主
             「戌亥=乾」が「天子」って?
              卦の形は☰・三爻がすべて陽
              乾為天・乾下乾上
              卦象=天・健・馬・首・父・君
                 海王星
             「狗=犬」と「猪=猯=豬」が「天子」?
                狼   猪 八戒=豬八戒
                大神  刺史・鹿・獅
                    天界で天の川を管理し
                    水軍を指揮する
                    天蓬元帥(テンポウゲンスイ)
                    猪悟能(チョゴノウ)
                    猪剛鬣(チョゴウリョウ)
                    浄壇使者(ジョウダンシシャ)
              男性などの象徴
              六十四卦の一
              つよい・すこやか・剛健
              北西の方角
              21時~22時~23時の2時間
       韓=龺+韋
         十+日+十+韋
         龺=ドライ(dry・乾燥)
         乾燥させて鞣(なめ・韋=なめしがわ)した皮
              鞣=革(かわ)を柔らかくする
       倝=𠐱=日+十+日+早+人
         日の始めて出で
         光ること
         倝倝(カンカン)たるなり
         旦に従ひ
         㫃を聲とす
         凡そ倝の屬は皆な倝に従ふ(説文)
        「旦+㫃」の会意で「陽の光を旗」が受ける字
         韋=異体字「韦」
           「口」形の周りをぐるぐる回(廻)る様
           上下の「𫝀」「㐄」は「足」・・・?
                 ・・・「葦=蘆=芦」だろう・・・
              「𫝀」=「五=い・いつ・ゴ」
              「ご・ゴ」+「ゐ・ヰ」=語彙・誤意
           𫝀=異体字「五」・「五」の俗字
           韋=韦・𣍄・𡙝・𡚈・𥐄・𥐅
             𫝀+口+ヰ(㐄)
             鞣(なめ) した動物の革
             生皮は「皮」
             動物の皮を剥(は)いで
                  平らに延ばし
                  乾かしたりしたもの=「 革」
             周=周りを囲(かこ)む・圍
             違=ちがう・違(たが)える
             偉=えらい
             圍=囲(かこむ)の原字
             韋=井
    和氏の璧(カシのヘキ・カシのたま)
         歌詞・菓子・瑕疵・可視・華氏・下賜
       和=わ・ワ=倭
  ↓↑  ・・・「和詞・和史」の編・・・和=倭=大和
          壱(壹・位置)拾纂(簒・篹)
          篹=サン・ゼン・撰・かたみ=纂
          簒=サン・奪う・横取りする・簒奪・簒立
          算=サン=讃
          ・・・鸕野讃良
          ・・・顱=盧+頁
          ・・・盧=虍+田+皿
             盧=卜+丿+ 乛+七+田+ 皿
             ロ
             くろい
             めしびつ
             飯を入れるための容器
             黒い・黒い色。
             酒を売る場所
             酒屋
             火入れ
             炭櫃(すびつ)
  ↓↑         いろり・炉・角 (かく) 火鉢
 および
 『史記』に記録
 連城の璧(レンジョウのヘキ) ・・・「恋情・連声」の「癖(くせ)」?
 ↓↑
 楚国の
 卞和(ベンカ)が
 山中で玉の原石を見つけ
 楚の
 厲王(蚡冒)に献上
 厲王は
 石を鑑定させたが
 雑石だわかり
 厲王は怒って
 卞和の
 右足の筋の切断刑をくだした
 厲王死後
 卞和は同じ石を
 武王に献上したが
 雑石とされ
 今度は
 左足切断の刑に処せられた
 文王
 即位後
 卞和はその石を抱いて
 3日3晩泣き続け
 文王がその理由を聞き
 試しに
 原石を磨かせたところ
 名玉を得
 文王は卞和に不明を詫び
 卞和を称え
 名玉に
 「和氏の璧
 と名付けた
 ・・・厲王→武王→文王
    厲=厂+萬・・・とぐ=厲・礪・研・砥・磨
          牡蠣(かき)
        ・・・蠣崎・蛎崎・柿崎・硴崎
      厂+艹+禺
      レイ
      ライ
      えやみ
      といし
      とぐ
      はげしい
      はげむ
      やむ
      わざわい
      といし・刃物をみがく道具
      とぐ・といしでとぐ
      はげしい・きびしい
      はげむ・はげます=励
      やむ・えやみ・疫病
      わざわい・たたり
      ハンセン病癩病
   
  ↓↑
 聖徳太子
 「十七条憲法」・・・和(ワ)⇔可視の霊
 憲=宀+龶+罒+心
   宀+丰+罒+心
   宀+三+丨+罒+心
   宀+一+一+一+丨+罒+心
   朝憲紊乱(チョウケンビンラン)
 法=氵+去
   氵+十+一+ム
   異体字「灋=氵+廌+去」
          廌=广+11+コ+丂+灬
          獬豸(カイチ・獬豸
             シエジー・獬廌)
          神獣・狛犬の起源
          廌=タイ・チ
           =鹿+馬
   廌(𢊁)=羊神判に用いられる神羊
        その神判の勝訴を以て
        神羊の胸に
        心字形の文彩を施し
        慶(よろこ)ぶのが「慶」
        その神判の敗訴を以て
        神羊と共に
        人を水(河川)に投棄し
        廃するのが法(灋)
        法(のり)・規則・決まり
        定め・法(のっと)る
        薦=艹+廌
          すすめる・人を選びだす
          薦挙・推薦
          こも・敷物・しとね
          荐(セン)・しく
          しきりに・たびたび
          供薦(キョウセン)・自薦(ジセン)
          推薦(スイセン)・他薦(タセン)
 身=白+牙
 ↓↑ 自+才
   異体字「𡰬=屍+弓・𨊘=⾝+區+心」
       +尸+死+弓・ 自+才+區+心
     才=手=扌=纔
       サイ
       かど
       ざえ
       生まれつきもっている能力・素質
       機能・能力・知恵
       わずか・わずかに・たった
       そればかり・ようやく・やっと
       歳・年齢を示す字
     才=纔=糸+毚
         糸+㲋+兔
         糸+㲋+免+丶
         糸+⺈+口+比+兔
         糸+⺈+口+比+免+丶
   ↓↑
   𨈐(ケツ・コチ=厥𠪏𠪼𠪆𨈑𣅞)+二
   身=𨈐+二
    =白+牙
     ノ+日+牙
   𨈑=𨈐
   𨈐=その~・それ・that・it・其
     掘る・掘り出す・撅
   ↓↑
   躬=身+弓
     キョウ・ク
    =躳・𨈴
     身・身體(体・からだ)
       身体
       自身
       自身で・自(みずか)ら
       背を曲げて前に屈む
     躰=身+本
       テイ・タイ・からだ
      =体・體・骵・軆・𨉦
       頭から足の先までの全身
       全部・主要な部分
       本体=ものの本当の姿、中心的部分
       ものを構成する全体の形や様子、形式
       四体(シタイ・両手足)
       合体・体裁
     𨈪=身+只
       身+口+ハ
       シ
       肢・胑・𨈛・𨈙・𩨵
       腕や足、四肢(シシ、両腕と両足)
       上肢・下肢
       枝=幹から枝状に分かれ出たもの
     𨈴=キョウ・ク=躬・躳
     𨈻=身+自
       シ・ジ
       みずから・おのずから
       自・𥃭・𦣹・𦣼
       己(おのれ)・己の
       己(おのれ)・ひとりでに
       自分のみの力や意志で
       ~から・~より
       場所や時間の起点を示す
   身體髪膚
   身(み・みへん)
   シン
   み
   みずから⇔自・自然・自分
   み・からだ・胴体・肉体
   自分で・自分から・みずから
   ものの中心部・木の幹
   妊娠した女性の姿・・・次+女=姿
   自分・われ・おのれ
   みごもる・妊娠する
   み・肉
   躳の俗字=身+呂=躬=身+弓
        みずから・キュウ
        異体字「𧘏・+𨈴・躳」
  「故に知る
   国を治むるの本は
   自ら其の身を正しくするに在りて
   智術を以て
   之れを為すも得ざらんことを
   (論語注・伊藤仁斎論語古義」)」
 ↓↑
 身=自分自身・仕事に身を入れる・身の程を知る
   触覚の機能・触覚の器官
   五根、六根、十二処のひとつ
   身根・身処
   み・からだ・身体・病身
   おのれ・みずから・じぶん
   自身・立身
   物のなかみ・本体
   刀身・砲身
   女性がみごもったさま
   みごもる意
   ↓↑
   躬・軀・躾・躮・躱・軈
   ↓↑
 可惜身命(あたらしんみょう)
   体や命をいとおしむこと
  ↓↑
 以身役物(維新釋物?)
   自分の体が物に酷使されること
   周囲のことに振り回され苦労すること
  「身を以て物に役せらる」とも
    『淮南子(原道)』
  ↓↑
 以身殉利(異心純理?)
   つまらない人間は
   自分の利益や欲望のためだけに
   一生を費やす
   ↓↑
 位尊身危(依存新規・新記?)
   地位も財産も大きすぎると
   身の危険が及ぶ
  ↓↑
 一身軽舟(一審刑集・一振荊州?)
   自身と他のものの区別がつかなくなる
  ↓↑
 一身是胆(一振始端・史譚・詞探・士反?)
   強い勇気があり、何事にも恐れないこと
    ↓↑
 一体分身(一対文身?)
 一体分身(壱他意文真?)
   一つのものが複数のものに分かれること
  ↓↑
 灰身滅智(化身女通知・改新馬通知?)
   煩悩を無くし
   身体も心も無にした悟り
  ↓↑
 現身説法(原審説法?)
   仏や菩薩が人々を救うため
   様々な姿に変わって法を説くこと
    ↓↑
 降志辱身(合史序苦心?)・・・古事記序文?
   境遇に慣れて目標を下げ
   人格を汚してしまうこと。
   世間に合わせて態度を変えること
  ↓↑
 砕身粉骨(最新文乞?)
   力の全てを使って努力すること
   ↓↑
 獅子身中(詞史真鍮?)・・・真鍮=銅(Cu)+亜鉛(Zn)の合金=黄銅?
                 キンの同+蛙の訛り
   獅子の体内に寄生する虫が
   獅子を死なせる
   組織や集団の内部から
   災いをもたらすこと
    『梵網経』
   身中之虫
  ↓↑
 漆身呑炭(失心貪譚?)
   仇討ちや復讐の苦労
   『史記(刺客伝)』
  ↓↑
 修身斉家(終審生家?)・・・尾張斉家?
           日本武尊
           宮簀媛(日本書紀
           尾張国造
           乎止与命(オトヨ)の娘
           美夜受比売(古事記
           乎止与命
           天火明命アメノホアカリ)の子孫
           建稲種命の妹
           熱田・猿田彦草薙剣
  身を修め家を斉う
 ↓↑
 身軽言微(晨鶏言尾?)
   地位が低いと発言も軽く扱われる
 ↓↑
 身言書判(箴言書範?)
   人を登用するときの基準
  「身」は容姿
  「言」は言葉遣い
  「書」は筆跡
  「判」は文章
   唐の官吏の登用基準
    『新唐書(選挙志)』
  ↓↑
 心身一如(新進一女?)
 身心一如(真新壱女?)
 心身一如(・・・?)
 身心一如(審尋壱女?)
   肉体と精神は一つの両面
   分けることはできない
  「一如」=一体
 ↓↑
 身心脱落(新人脱落?)・・・壹與?
   体も心も
   全ての束縛から解放されること
  ↓↑
 身体髪膚(神体発付)
 身体髪膚(・・・)
 身体髪膚(・・・)
   人体の全身
 ↓↑
 身中之虫(新注の無視?)
  ↓↑
 人身攻撃(壬申孔隙?)
   個人の事情や行動を非難すること
    ↓↑
 人面獣身(訊孟従臣?)
   妖怪や化け物
   顔が人間、身体は獣
  ↓↑
 全身全霊(前審前例?)
    ↓↑
 痩躯長身(叢句調真?)
 痩身長躯(送信聴句・双信調句?)
   身長が高く痩せている体型
  ↓↑
 痩身矮躯(奏晋倭委句?)
   体が痩せていて身長が低い体格
  ↓↑
 即身成仏(蘇句振条部通?)
    ↓↑
 怠慢忘身(他意萬謀申?)
   やるべきことをやらずに
   自身を磨くことを忘れること
    ↓↑
 断髪文身(談葉通文審?)
   野蛮な習慣
  「断髪」=髪毛を短く切る
  「文身」=刺青
   呉越の一帯の風習
    『荘子(逍遥遊)』
    ↓↑
 寵愛一身(調合一新?)
  ↓↑
 長身痩躯(調審総句?)
    ↓↑
 低頭平身(抵当並進・併進・弊信?)
   頭を低く下げ
   ひたすら畏まる
   ひたすら謝罪すること
  「三跪九叩(山気究鉱?)」
  「三跪九排
  (讃岐・讃姫・纂記・篹記・簒記)究配?」
    ↓↑
 呑炭漆身(貪譚失心・失神?)
  ↓↑
 半身不随(版審付随・婦随?)
  ↓↑
 人身御供(ひとみごくう)
    ↓↑
 被髪文身(比葉通文審?)
   異なる民族の風習
   異民族の野蛮な風習
   ↓↑
 不惜身命(附釈新名?)
   命や体を惜しむことなく
   全力で事に当たること
    ↓↑
 粉骨砕身(文・分・乞最新?)
   力の限りを尽くし
   努力し働いたりすること
  ↓↑
 平身低頭(併進定当?)
  ↓↑
 忘身忘家(望診冒化?)
   自分や家族のことも考えず
   君主や国のために尽くすこと
  「身を忘れ家を忘る」とも
    「治安策(賈誼)」
  ↓↑
 満身是胆(萬新史譚?)
   強い勇気があり
   何事にも恐れないこと
    『蜀志(趙雲伝)』
  ↓↑
 満身創痍(萬新創意・相違・相異?)
    ↓↑
 明哲保身(名綴保審?)
   地位を守るため
   状況に合わせて対処すること
  「他のことを考えず
   自分の地位だけを守ろうとする」
  ずるい処世術のこと
   『詩経(大雅・烝民)』
  「明哲防身(名綴望診?)」
  ↓↑
 立身出世(・・・)・・・阿部仲麻呂
   立身揚名(・・・)・・・吉備真備
  ↓↑
 立身処世(りっしんしょせい)・・・舎人親王葛城皇子
ーーーーー
 ・・・???・・・蔓王・・・葛野王・・・???

張冠李戴(聴感履帯?) =相手を間違えること・誤認・食い違い

 2831日目・文字霊日記
 李(リ・キ)の訓・・・すもも
 ・・・茸=🍄=木之子=記の詞の🐭の音・・・
 鼠の移動・・・イエスの移動・・・
 李=木+子
   十+八+了+一
   リ
   すもも
   すもも
   バラ(薔薇)科の落葉高木
   役人・裁判官・獄官

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 ↓↑
 李=木+子
   十+八+了+一
   リ
   すもも
   すもも
   バラ(薔薇)科の落葉高木
   役人・裁判官・獄官
 ↓↑
 瓜田李下(家伝理化・花伝利加?)
   人から疑われるようなことはしないほうが良い
 公門桃李(黄門の統理・口問の党利?)
   政府の官職には
   優秀で能力のある人材が集中
 張王李趙(調応理調・張横李朝?)
   多い姓名で普通人のこと
 張冠李戴(聴感履帯?)

   相手を間違えること・誤認・食い違い
   張という人が
   李という人の冠を被るという意
 張三李四(調纂李史?)
   ゴロゴロいる普通の人
 桃三李四(問う纂李氏?)
   ゴロゴロいる普通の人
 桃傷李仆(東照利冨・東商利富?)
   兄弟の仲が悪く、互いに対立争うこと
 投桃報李(等々法理?)
   仲の良い友人同士で
   お互いに物を贈りあうこと
 桃李成蹊(党利成形?)
   徳がある人物に
   慕って自然と人が集まる
 桃李満門(統理万問?)
   すぐれた人材が数多く集まること
 道傍苦李(同望句理?)
   誰からも関心を示されず
   見捨てられたもの
 道傍苦李(同望句理?)
   上品で趣きや味わいのある夏の遊び
   瓜を水に浮かべて
   李を水に沈めること
   「瓜を浮かべて李を沈む」
   浮瓜沈李(負荷沈理)
   李下瓜田(理科花伝)

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 ↓↑
 NHKニュース
 @nhk_news33分
 ↓↑
 中国の唐の時代の墓誌
 日本から渡った
 吉備真備が書いたものか
 2019年12月25日 17時48分
 ↓↑
 唐時代の官僚の墓石に刻まれた墓誌
 唐に渡っていた
 吉備真備によって書かれたとみられる・・・
 吉備真備が書いた文字は
 日本国内でも見つかっていないとして
 貴重な発見だと注目・・・
 ↓↑
 25日
 中国の唐の時代の官僚で
 遣唐使など
 外国からの使節の受け入れを
 担っていた
 李訓
 という人物の
 墓石に刻まれていた
 328文字の墓誌・・・
 ↓↑
 6年前に河南省洛陽で発見
 李訓の生前の経歴などが記され
 文章の最後に
 「日本国朝臣備書」
 と刻まれていた
 「朝臣備」は
 遣唐使とともに
 留学生として唐に渡っていた
 吉備真備を指す・・・
 ↓↑
 吉備真備
 奈良時代に2度にわたって唐に渡り
 帰国後、日本の文化の発展に貢献し
 右大臣にまで出世
 ↓↑
 墓誌
 広東省
 深圳(シンセン)
 「望野博物館」に保管
 ↓↑
 吉備真備
 怡土城築城
 ↓↑
 長さ35センチ、幅36センチ、厚さ8・9センチ
 の石に
 計19行
 計328字の漢字が刻まれていた
 唐王朝
 外国使節の接待などをつかさどる
 「鴻臚寺(こうろじ)」の
 役所の中級官僚だった
 李訓(りくん)の墓誌
 開元二十二(734)年六月二十日
 死去
 六月二十五日
 に埋葬
 ↓↑
 末尾の一行
 「秘書丞(ひしょじょう)
  褚思光(ちょしこう)
  文」
 「日本国朝臣(あそん)備書」
 墓誌の文章の作成者が
 「褚思光」という中国人
 その文章を書いたのが
 「備」と呼ばれる人物
 吉備真備=「真備」
 日本の王朝での地位などを示す
 「朝臣」が記されている
 ↓↑
 吉備 真備
 元の名は
 下道 真備(しもつみち の まきび)
 姓は下道朝臣
 のち
 吉備朝臣
 下道氏(下道朝臣
 吉備地方豪族
 吉備氏の一族
 ↓↑
 異説
 吉備彦之孫
 鴨の吉備麻呂・右大臣
 この人物が吉備真備
 賀茂保憲
 賀茂光栄
 を
 吉備真備の末裔
 ↓↑
 備中国下道郡(岡山県倉敷市真備町)出身
 霊亀二年(716年)
 遣唐留学生
 養老元年(717年)
 阿倍仲麻呂
 玄昉
 らと共に入唐
 唐に18年間
 天平7年(735年)
 玄昉と同船で帰路に就き
 種子島に漂着
 多くの典籍を携えて帰朝
 唐では
 経書史書のほか
 天文学・音楽・兵学
 などを学び
 帰朝時には
 経書
 (『唐礼』130巻)
   天文暦書(『大衍暦経』1巻
  『大衍暦立成』12巻)
 日時計(測影鉄尺)
 楽器(銅律管・鉄如方響・写律管声12条)
 音楽書(『楽書要録』10巻)
 弓(絃纏漆角弓・馬上飲水漆角弓
   露面漆四節角弓各1張)
 矢(射甲箭20隻、平射箭10隻)
 などを献上
  『東観漢記』
 をもたらした
 ↓↑
 帰朝後
 聖武天皇
 光明皇后
 の寵愛を得
 天平七年(735年)中
 従八位下から正六位下
 天平八年(736年)
 外従五位下
 天平九年(737年)
 従五位上
 天平十年(738年)
 橘諸兄が右大臣に任ぜられ
 真備と同時に帰国した
 玄昉と共に重用
 真備は右衛士督を兼ねた
 天平十一年(739年)八月
 母を葬る
 天平十二年(740年)
 真備と玄昉を除かんとして
 藤原広嗣大宰府で反乱
 (藤原広嗣の乱
 天平十三年(741年)
 東宮学士として
 皇太子・阿倍内親王孝謙天皇称徳天皇
 に『漢書』や『礼記』を教授
 天平十五年(743年)
 従四位下
 春宮大夫兼春宮学士に叙任
 天平十八年(746年)
 吉備朝臣の姓を賜与
 天平十九年(747年)
 右京大夫
 天平勝宝元年(749年)
 従四位上
 天平十五年(743年)八月
 孝謙天皇即位
 藤原仲麻呂が権勢
 真備や玄昉、諸兄と対立
 玄昉は
 天平十七年(745年)
 筑紫観世音寺別当に左遷
 翌年に同地で死没
 真備は
 天平勝宝二年(750年)
 地方官の筑前
     肥前守に左遷
 天平勝宝三年(751年)
 遣唐副使に任命
 天平勝宝四年(752年)
 入唐
 阿倍仲麻呂と再会
 天平勝宝五年(753年)
 帰国の途で
 屋久島へ漂着
 紀伊国太地に漂着後
 帰朝

 帰朝後
 天平勝宝六年(754年)
 正四位下大宰大弐に叙任
 九州に下向
 天平勝宝八歳(756年)
 新羅防衛のため
 筑前国
 怡土城を築き
 天平宝字二年(758年)
 大宰府
 唐での
 安禄山の乱
 に備えるよう勅受
 暦学が認められ
 儀鳳暦
 に替えて
 大衍暦
 が採用
 天平宝字八年(764年)
 造東大寺長官
 七十歳で帰京
 藤原仲麻呂の乱
 緊急に従三位に昇叙
 中衛大将として
 追討軍を指揮
 乱鎮圧
 仲麻呂は戦死
 天平神護元年(765年)
 勲二等
 天平神護二年(766年)
 称徳天皇孝謙天皇重祚
 と
 法王に就任した
 弓削道鏡の下で
 中納言
 同年の
 藤原真楯
 薨去に伴い
 大納言
 従二位・右大臣に昇進
 左大臣
 藤原永手
 と共に政治を執った
 神護景雲四年(770年)
 称徳天皇が崩じ
 娘(妹)の
 由利を通じて
 天皇の意思を得る立場にあり
 永手らと
 白壁王(光仁天皇)の立太子を実現
 光仁天皇の即位後
 真備は老齢を理由に辞職を願い出るが
 光仁天皇
 兼職の中衛大将のみの辞任を許し
 右大臣の職は慰留
 宝亀二年(771年)
 辞職を願い出て許された
 宝亀六年(775年)十月二日
 薨去・享年八十
 最終官位は
 正二位前右大臣
 ↓↑
 奈良教育大学の構内に
 真備の墓
 吉備塚(吉備塚古墳)がある
 ↓↑
 孔子を始めとする
 儒教の聖人を祭る朝廷儀礼である
 釈奠の整備にも当たった
 著書
 『私教類聚』『道弱和上纂』『刪定律令
 など
 在唐中
 書は
 張旭に学び
 帰朝後、晋唐の書を弘めた
 古筆中に
 『虫喰切』『南部の焼切』
 が現存
 ↓↑
 玄宗がその才を惜しんで帰国させなかった
 袁晋卿(浄村宿禰
 という音韻学に長けた少年を連れて帰朝
 藤原長親
 によれば
 この浄村宿禰という人物は
 呉音だった漢字の読み方を
 漢音に改めようと努め
 片仮名を作ったとされる
 帰路で
 九尾の狐も同船していた・・・
 ↓↑
 中世の兵法書などでは
 張良が持っていたという
 『六韜三略』の兵法を持ち来たらした
 真備を日本の兵法の祖とした
 真備は
 陰陽道聖典
 『金烏玉兎集』を唐から持ち帰り
 常陸国
 筑波山麓で
 阿倍仲麻呂の子孫に伝えようとした・・・
 金烏は日(太陽)
 玉兎は月
 安倍晴明
 阿部仲麻呂の一族の子孫・・・
 『金烏玉兎集』は
 晴明が用いた陰陽道の秘伝書
 鎌倉時代末期か
 室町時代初期に作られた書
 伝説によると
 中国の
 伯道上人という仙人が
 文殊菩薩に弟子入り開いた
 文殊菩薩から授けられたという秘伝書
 『文殊結集仏暦経』
 を中国に持ち帰ったが
 その書が『金烏玉兎集』
 『今昔物語集』では
 玄昉を殺害した
 藤原広嗣の霊を
 真備が陰陽道の術で鎮めた
 『刃辛抄』では
 陰陽書
 『刃辛内伝』を持ち来たらしたとし
 真備を日本の陰陽道の祖としている・・・
 『宇治拾遺物語
 他人の夢を盗んで自分のものとし
 そのために
 右大臣まで登ったという・・・説話
 ↓↑
 系譜
 父 下道圀勝
 母 楊貴氏
   または
   倭海直男足の娘
   髪長支姫
 伯父 下道圀依
 兄弟 吉備乙吉備
    吉備直事
    吉備廣
 姉妹(娘)
    吉備由利(吉備由利子)
 妻 不詳
 生母 不明の子女
 女子 吉備由利
 男子 吉備泉
   (天平十二年~弘仁五年(740~814年)
 男子 吉備与智麻呂
 男子 吉備書足
 男子 吉備稲万呂
 男子 吉備真勝
ーーーーー
 ・・・???・・・

メデタシ・・・合羽巻き・鉄火巻き・・・班超・・・半丁

 2830日目・文字霊日記
 「人間は社会的 (ポリス的) 動物である」・・・掘り巣適?
 カッパドキアラテン語: Cappadocia)・・・河童-土岐-宛?
 トルコ(土耳古・Turkey)の中央・・・・・・土耳古
  河童巻き・・・海苔の胡瓜巻き・・・鮨・・・呪師・メデタシ・・・

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 アナトリア(アナ-トリア半島
         ドーリア
         ギリシア語 Δωριείς・Dories・英語 Dorians
         ドーリア・アイオリス・イオニア人
         古代ギリシアを構成した集団
         前1200年頃
         アカイア人のいた
         ギリシア
         西北方から鉄器をもって侵入
         ミケーネ文明を破壊し
         ペロポネソス半島エーゲ海諸島に定住
         ギリシア語ドリス方言を話した
         スパルタ
       アナ(Ana, Anna)
       ドリア(Doria)
        ↓↑
       ド+「ラ・リ・ル・レ・ロ」
        ↓↑
       トライ(try・試みる・験す)
       トライデント(trident・三叉の戟)
             =トリアイナ(τρίαινα)
       トゥライアブル(traiəbl・お試し)
       トゥライヂック(triadic・三人組の・三和音の・三価の)
       トライデック-リレーション(triadic relation・三者関係)
       トリア(thoria・酸化トリウム)
       テェオーリア(ギリシャ theōria・見ること・直観)
       トリー(tree・木・樹・樹林)・・・系図
       トリィト(treat・扱う)
      トリック・オア・トリート(Trick or Treat・ローソク出せ)
       トル (torr・トル・気圧の単位)
       トゥルー(true・真実・事実)
       トレー(tray・お盆・皿)
       トロ(tuna・まぐろ・鮪)

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       ↓↑
       あなとり
       穴取・孔採の丫(ア・木の枝分れ・椏 ・分岐
             髪止め・簪
             かんざし・鈿・釵・篸・楴・笄
             ふたまた・あげまき)
       穴の採掘の阿(おもねる・くま)?
       アナドリ?
      ギリシア語 Ανατολία=「日の出」
            Anatolia
            Anatolē
      トルコ語  Anadolu=アナドル )
 の歴史的地域
 あるいは
 アンカラの南東にある
 アナトリア高原の火山によってできた大地
 Cappadocia (美しい馬の地)・・・河童擬き?
 を意味する
 「ペルシア語 Katpatuk」に由来・・・?
 トルコ語:Kapadokya
 ギリシア語:Καππαδοκία)
 小アジア(トルコ)の広大な内陸地域
 ヘロドトスの時代
 「カッパドキア人」が
 タウロス山脈から黒海までの全域にいた
 カッパドキア
 南はタウロス山脈
 東はユーフラテス川
 北はポントス地方(黒海沿岸部)
 西はトゥズ湖と境界を接していた

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ーーーーー
 アナトリア・・・社会生活で穴を掘って生息する動物
         蟻・蜂
         もぐら(土竜・鼢・鼴)  
         完全地中棲
         10匹~290匹以下(平均75~80匹)
         大規模コロニーを形成生活
         哺乳類では数少ない
         真社会性の社会構造を持つ
        (哺乳類で真社会性を持つものは
         他にCryptomys damarensis
         ダマラランドデバネズミ・Fukomys damarensis
         南部アフリカに生息
         地中棲の齧歯類
         網目状に広がる地下トンネルに生息し
         水を飲まず、体の水を全て食事から得る
         コロニーは2週間に3トンの土を掘り出す・・・
         真社会性で生息する)
 ・・・思い出したが「コビトマングースの鉄の掟」・・・
ーーーーー
 穴倉での社会生活・・・カッパドキア・・・掘り巣のネグラ・・・
 ↓↑
 東南西北・・・盗難遮蔽?
 東西南北・・・当罪何卜(朴)?
  ↓↑
 「南北・SN・東西」のドチラの「社会」を望むのか・・・
 ・・・「society の訳語として「社会」を当てたのは
     明治初期の
     福地桜痴(源一郎)」・・・
 ・・・「中国古典では田舎の祭り」
    「農耕地の守護神中心の会合」
    「北宋時代の近思録に
     郷民為社会(郷民社会を為す)」
    「西欧語の語源で 結合する」
    「人間の結合としての共同体」
     古代のアリストテレス
    「人間は社会的 (ポリス的) 動物である」?
  ・・・ポリス・・・掘り(堀・濠・彫・保利)巣適?
    「歩里数」
    「保・帆」理素
     ↓↑
     甫=十+丶+冃(頭巾)
       十+丶+月(肉)
       十+丶+用(冂‡・冂キ)
            ‡=double dagger =二重剣印
             ダブルダガー・脚注参照符
          用=冂+二+丨=冂+‡=冂+キ(木・幾・扌・才)
            冂+亠(音)+十(拾・足・✕)
            箱の中の二重剣or手?
          用=ヨウ
          もちいる
          はたらき
          もって
          もちいる・使う・役立たせる
          行う・治める・聞き入れる
          能力・用途・働き・効き目・作用
          資力・財貨・資材・もとで・必要な金銭
          もって
          ~によって
          よう・仕事
          しなければいけないこと・すべき事がら
          大小便をすること
  ↓↑
  用意周到・用意万端
  ↓↑ ・・・金儲けの為に必要なモノ
      「情報と伝達=意富」・・・分析と実行の是非の決断
  用意・使用・常用・庸・作用・効用
  用件・所用・当用
  用度・費用・薬用・浴用・用便
  庸・・・傭兵
      傭=イ+庸
        チョウ
        ヨウ
        やとい
        やとう
        雇い人
        やとわれる・雇用
        ひとしい・公平
  庸=广+聿+冂
      聿(ふで・ふでづくり)
      イチ
      イツ
      おさめる
      のべる
      ふで
      筆・書く
      とうとう・ついに
      自分から・自ら
      修める・述べる
      すばやい・すばやく走る
      共に・従う
      ↓↑
  庸=广+聿+冂
    广+肀+二+冂
    广+肀+一+一+冂
    ヨウ
    おろか
    つね
    なんぞ
    もちいる
    採用する・利用する
    やとう・雇い人=傭
    つね・なみ・普通
    おろか・平凡

    庸=唐代の税法
   「租・庸・調」の一
    一定期間、公の労役を行う
    or
    かわりに絹などを納める
    中国、隋・唐代の均田税法
    給田を受けた丁男(21~59歳)に課した
    租は粟 (あわ) 2石
    庸は年20日閏年は22日)の労役
    または代納として
    1日当たり絹3尺
    調は絹2丈と綿3両
    または布2.5丈と麻3斤
    8世紀後半、均田法の崩壊とともに
    両税法に移行
    夏と秋の二回徴税・・・
    一条鞭法
    丁税と地税を一括して
    銀納する税制
    明王朝の後期には中国各地で施行
    16世紀
    海禁政策が弛緩し
    アメリカ大陸や日本から
    多くの銀(メキシコ銀、日本銀)が流入
    16世紀中ごろ
    江南などで実施
    16世紀末の万暦帝
    宰相張居正のもとで
    複雑化していた税制を
    丁税(人頭税)と
    地税にまとめ
    一括して銀で納税することを定めた
    清代における
    地丁銀制に影響を与えた
   庸
  「なんぞ・いずくんぞ・あに」と読み
  「どうして~であろうか
  (いやそんなことはない)」と反語の意
   ↓↑
  中庸(チュウヨウ)
  凡庸(ボンヨウ)
  庸愚(ヨウグ)
  庸才(ヨウサイ)
  庸劣(ヨウレツ)
  租庸調(ソヨウチョウ)
  ↓↑
  聖読庸行(セイドクヨウコウ)
  中庸之道(チュウヨウのミチ)
  庸言之謹(ヨウゲンのキン)
  庸言庸行(ヨウゲンヨウコウ)
  庸中佼佼(ヨウチュウのコウコウ)
  庸夫愚婦(ヨウフグフ)
  ↓↑     ↓↑
  用意・用語・用心・用法・愛用
  悪用・運用・応用・活用・起用
  挙用・共用・採用・使用・借用
  信用・善用・徴用・通用・適用
  登用・盗用・任用・利用・流用
  ↓↑
  無用・有用
  用途・犬用・軍用・兼用・商用
  専用・日用・猫用・薬用・浴用
  業務用
  効用・作用
  用件・用事・用弁・用務・急用
  公用・雑用・私用・所用・多用
  用金・用具・用材・用紙・用度
  用品・入用・費用
  ↓↑    ↓↑    ↓↑
       甫=十+丶+用
        ・・・十+八=木⇔末未
               禾朱来米
          千+肀+八=秉=ノ+十+肀+ハ
               ⺻・肀・𦘒・聿
               晝=⺻+旦=書+一=昼
               盡・悉・尽・殱
               濜=氵+盡
                 異体字「浕」
            肀+丿+氺+亅⇔粛清
         禾+⺕(ヨ)=秉=丿+𣏃(十+⺕+八)
               ヘイ
               いねたば(稲束)
               え
               とる
               まもる
               とる・持つ
               手に持つ・にぎる
               守る・しっかりと守る
               つかさどる
               一握りの稲の束
               柄・権柄・権勢
               穀物の容量をはかる単位
               十六斛(コク・角斗)
                 斗=〃(ン〻冫)+十
                   柄杓・杓・枓
       甫=十+丶+冂+二+丨
       甫=十+丶+丿+丰+亅
       フ
       ホ
       おおきい
       はじめ
       はじめて・はじめたて
       ひろい・おおきい
       傳甫
       男子に対する敬称
       年長の男性を敬い
       名を呼ぶときに名につける語
       尼甫(ジホ)=孔子
           ・・・穴子(あなご)?
           アナゴ=穴子・海鰻・海鰻鱺
           ウナギ目アナゴ科に属する魚類の総称
           鰻=魚+曼
            ・・・蔓(かずら・つる)
               曼=バン・マン
                 うつくしい
                 ながい
                 ひく
                 ひろい
                 引っぱる・引きのばす
                 みめよい
               鰻=⺈+田+灬+曼
                 魚+日+罒+又
                 ⺈+田+灬+日+罒+又
 ↓↑   ↓↑
     畝=亩+久=畆・畒・畞・㽗・畮
       亠+田+久
       ホ
       ボウ
       うね
       せ
       畑のうね
       せ=土地の面積の単位
 ↓↑   ↓↑
     圃=囗+甫
       ホ
       はたけ
       菜園・野菜などを栽培する所
       畑仕事・畑づくり
       田圃
       菜圃麦隴
       野菜や穀物を育てる農地、野菜畑や麦畑
      「圃・隴」=畑という意
      「菜圃」は野菜
      「麦隴」は麦を植えている畑
 ↓↑   ↓↑
     哺=口+甫
       ホ
       はぐくむ
       ふくむ
       そだてる・やしなう
       親鳥が子に口移しで餌を与えて育てる
       口の中に食べ物をふくむ
 ↓↑   ↓↑
     鋪=金+甫
       異体時「舗・舖」
       ホ
       フ
       しく(敷く)
       みせ・店舗
       並べる・つらねる
       門にとりつける金具
       あまねく・広く
       器物の名
       止める・止まる
       店
       宿場・たてば
 ↓↑   ↓↑
     補足記事
     犯人逮捕・捕獲
     舗装道路
     浦島太郎
     蒲郡・蒲の毛
     穂高・穂先・稲穂

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 ↓↑
 軍隊=社会主義・・・?
   「社=シャ=謝・赦・遮・捨・且・借・煮」
   「会=人+云
      人+二+厶
      人+一+一+厶
    會=亼+日
      人+一++日」
 ↓↑
  青地林宗
 1826年(文政九年)に訳した
 『輿地誌略』に「社會」=「教団・会派」の意
 古賀増
 1855年安政二年)~1866年(慶応二年)
 『度日閑言』にも「社會」ということばが使用
 森有礼
 1874年(明治七年)~1875年(明治八年)
 『日本教育策』
 福地源一郎
 1875年(明治八年)1月14日付
 『東京日日新聞』の社説
 「社會」に「ソサイデー」のルビを振った・・・
       蘇祭 出恵?
       祖濟 出会?
 ↓↑
 「会社(company・corporation)」って・・・ナニ・・・
 「会社法により設立された 営利を目的とする社団法人
  資本の結合、労力の補充
  危険の分散をはかることを目的として発達した制度」
 「株式会社・合名会社・合資会社合同会社」の4種
 「同じ目的で物事を行う集団・結社」
 「営利を目的とする社団法人」
 「組合=会社概念(羅societas・仏societe・独Gesellschaft)
     の訳語として用いられた」・・・
 「商法にも
  民事会社の規定が置かれて
  商事会社と同様に
  商人として扱われることが明確化され
  ついには
  民法から
  民事会社の規定が削除されるに至り
  現在の会社法では
  商行為目的か否かによる
  区別は全くおかれていない」・・・
  ・・・膾炙(カイシャ)=膾(なます)+炙(あぶりにく)
  ・・・人口に膾炙・・・
  下位者の解釋・・・???
ーーーーー
    会合=カイゴウ
      =歌意合=貝合=甲斐合
      =解號=蝦夷
    會=旧字体
    㣛=「説文・集韻」にある古文
    𣌭=「玉篇」に「古文」とある異体字
    㞧=「玉篇」に「古文」とある異体字
    𣥈=「集韻」に「古、作る」とある異体字
    㑹=「重訂直音篇」に「俗」とある異体字
    𠃐=「字彙補」に「古會字」とある異体字
    畣=「集韻」にある異体字
      「答」の異体字と同形・・・
       答え=こたえ=応え・堪え=荅え
       答=竹+合         荅=艹+合
    會=「説文」に
      「亼に從ひ、曾の省に從ふ。曾は、益なり」
      「亼=三合なり」
      「曾=益す」・・・「三合会局=同五行強大化」?
      「亼=食器の蓋」の象形
      「曾」の下部は
         「甑(こしき・飯を蒸す器)で
          甑に蓋をする意
            蓋(ふた)をする=合う
      「甲骨文・金文」で
      「集まる・会合」の意
      「會の古文である㣛・䢔
              𠂎合卩(𠂎+合+卩)
            卯=真っ二つに叩き割る
              合=あわせる・くっ付ける」
       が使われる
       ・・・接着=くっつける
          ・・・屈付ける?
             かがむ・・・屈んで靴を履く
                   屈む・僂・跔・詘
                   各務-原
                   螻蛄之才
       ・・・接着=くっつける
            =靴 つける・履つける
             舃 つける・沓つける
             👞・👟・👡・👢
             「前方後円墳」の側面・・・?
             🍄
             「木ノ子・茸」
             「鏡の置台・鏡台・・・兄弟・橋台・興大
             「前方後円墳」の平面・・・?
             🙌=∩・大拱門
             「アーチ=Arch=∩」or「銅鐸」
             「前方後円墳」の正面・・・?
              中央部が上方向に
              ∩な曲線形状をした梁
              上方向に∩な曲線形状
        各務原・・・鏡原・・・
        濃尾平野の北部
        中山道の宿場町
       (鵜沼宿
        各務原・・・鏡原・・・背を屈めて水鑑?
        古代に鏡作部(かがみつくりべ)
        銅鏡などの鏡を作る技能集団がいた
        別説
        各務地域のほぼ中央にある
        村国真墨田神社に
        鏡作部の祖神である
        天糠戸命
       (伊斯許理度売命の父神)
        が祀られている
        鏡=かかみ・かかむ=各務
        律令時代に
       「各牟(かかむ)」とも記録・・・
        僂(かかむ)=人+婁
        瘻=疒+婁
        樓=楼
        螻蛄(おけら)=虫+婁+虫+古
        螻蛄之才        
        婁=口+一+口+丨+女
          ル
          ロウ
          つなぐ
          つながれる
          ひく・ひきよせる。ひきずる
          牛をつなぐ
          むなしい・から・中が空(から)
          二十八宿の一
          たたらぼし(多々良・蹈鞴・踏鞴
          ふいご・ふいごう・吹子・鞴)
    「ふきがわ(吹革)⇔ふいごう」
     金属の精錬・加工に用いる
     火をおこすための送風器
     獣皮を縫い合わせた革袋などに始まり
     気密性の箱の中の
     ピストンを往復させて
     風を送り出すもの
     風琴に似た構造をもつ
     足で踏む大型のものは
     踏鞴(たたら)と呼ぶ
     おひつじ(牡羊)座
  ↓↑ ↓↑
  意富富杼 王
 (おおほどのおおきみ)
 (おほほどのおおきみ)
 (イフフショ・イフフジョ)
  ↓↑ ↓↑   ↓↑ ↓↑
  委付富所 ・畏怖婦女・移付扶助・・・?
  杼=木+予=どんぐり・ジョ=団栗・皁=白+十
    記+序・・・
    古事記序文
    どんぐり=問(丼・呑・貪・曇)愚理
         Don 庫裏=膳部・柏手 厨房
  ↓↑ ↓↑
 『古事記』・「上宮記」に伝えられる
 古墳時代の皇族
  大郎子
 (おおいらつこ)
 (おほ)
 (ダイロウシ)
  意富々杼王
  意富富等王
  大大迹王
 とも
 祖父は
 第十五代
 応神天皇・・・誉田別・譽田別
 父は
  稚 渟毛二 派  皇子(応神天皇の皇子)
 (わかぬけふたまたのみこ
  わかぬけふたまたのおうじ)
  『日本書紀
  「稚野毛二派皇子・稚渟毛二岐皇子」
  『古事記
  「若沼毛二俣王・若野毛二俣王」
  他文献
  「稚渟毛二俣王・稚渟毛二派王・稚沼毛二俣命」
 母は
 日本書記・弟姫
 古事記・・息長真若中比売
 上宮記・・弟比売麻和加

 意富比神社(船橋大神宮)
 景行天皇四十年
  日本 武   尊
 (やまとたけるのみこと)
 が
 東国御平定成就
 と
 旱天
 に苦しんで
 天照皇大御神
 に祀り祈願され
 神徳の顕現があり
 これが当宮の創始・・・
  ↓↑ ↓↑
 意富比(おおひ)神社(船橋大神宮)
 船橋市宮本5-2-1
 北緯35度41分34.75秒
 東経139度59分46.4秒
  ↓↑ ↓↑
 意富比神社=船橋大神宮
 景行天皇四十年(110年)
 日本武尊が東国平定の途中
 海上の一艘の舟の中に
 神鏡を発見
 旱天に苦しんでいた住民を救う為
 東国御平定の成就を祈願する為
 神鏡を祀り
 ご神徳の顕現があり
 創始となった
  ↓↑ ↓↑
 天皇
 御東行され
 武尊のご功績で
 「意富比神社」の称号を賜った
  ↓↑ ↓↑
 日本武尊が神鏡を奉斎された場所
 湊郷海神
 のあたり
ーーーーー
 ・・・???・・・

多 品治(おほ の ほんじ・おほ の ほむぢ)・・・他翻字・・・?

 2829日目
 👞・👟・👡・👢=くつ=履⇔履歴書・・・「靴・舃・沓」の履歴?
ーー↓↑ーー
 おほの⇔おおの=大野・大納・大能・青野・多野・大埜・大濃・太野
  多・・・意富
ーー↓↑ーー
 多 品治(おほ の ほんじ・おほ の ほむぢ)
      太の本字? 姓は臣→朝臣 672年
 ↓↑
 多=夕+夕
   夕=セキ・・・夕方に現れて来る星々
   ゆう
   ゆうべ
   夕方・日暮れ
   夜
   年や月の末
   ↓↑
   一夕九徙(いっせききゅうし)
   一晩の間に何度も居場所が変わること
   一定の居場所にいないため
   どこにいるかわからないこと
   「一夕」は一晩
   「九」は数が多いことのたとえ
   「徙」は移動すること
   ↓↑
   中国の後漢の時代の
   李コウ=李 広(り こう、? - 紀元前119年)
   前漢時代の将軍
   文帝・景帝・武帝に仕えた
   綽名は飛将軍
   武勇に優れていたが
   戦功を認められることなく憤死
   匈奴から「飛将軍」と怖れられ
   のちに武勇に優れた武将は
   李広になぞらえ
   飛将軍と呼ばれ
   後漢末期の武将
   呂布も飛将軍と呼ばれた
   紀元前166年
   匈奴征伐に功
   郎となり
   文帝の側に騎士
   景帝の時代
   驍騎都尉
   周亜夫の下で
   楚七国の乱を鎮圧
   ただし
   梁王武の将軍に任じられていたため
   漢からは恩賞を受けられなかった
   ↓↑
   後に
   上谷太守、上郡太
   匈奴軍に囲まれ
   わざとゆっくり後退し
   伏兵があるように見せかけ
   匈奴軍は追わずに引き揚げた
   後
   隴西、北地、雁門、雲中の太守
   (北辺で匈奴に近い)
   を歴任
   ↓↑
   李広は
   暗殺を恐れ
   夜中に何度も居場所を変え
   同居している人ですら
   居場所が分からなかった故事
   出典『後漢書(蘇不韋伝)』
   蘇不韋=蘇+不+韋
     韋=𫝀+口+㐄
       イ
       なめす
       なめしがわ(鞣革・靼・鞣)
       毛を取り去って柔らかくした動物の皮
       毛を取り除き・やわらかくした皮
       そむく・たがう・行き違う
       かこい・かこう=囲
   韋+アルファ
   ↓↑
   韌(ジン・しなやか・やわらかで強い=靱)
   韎(バイ・バツ・茜色に染めた革
         その革で作った前掛け・ひざ掛け
         東方民族の舞楽の名)
   韍(韋+犮
     韋+友+丶
     韋+犬+丿
     フツ・祭礼用なめし皮の前掛け・ひざ掛け
        印璽用の組み紐)
   韑(光+韋
     ⺌+兀+韋
     ⺌+一+儿+韋
     イ・ひかり・ひかる)
   韐(韋+合
     韋+亼+口
     韋+人+一+口
     コウ・韎韐(バッコウ)=茜染めの前掛け
                 ひざ掛け
                 軍用の前掛け)
   韓(龺+韋
     十+日+十+韋
     カン・いげた・から・いげた・井戸のかこい
     戦国時代の七雄の一・馬韓辰韓弁韓三韓
   韔(韋+長
     チョウ・ゆぶくろ・ゆぶくろ・ゆみぶくろ
     弓を入れる袋・弓袋・ゆぶくろに弓を入れる)
   䪗(韋+叚・カ・くつ)
   韝(韋+冓
     韋+井+再
     韋+井+一+冉
     韋+二+丿+丨+再
     韋+二+丿+丨+一+冉
     韋+一+一+丿+丨+再
     韋+一+一+丿+丨+一+冉
     韋+井+一+冂+丨+一+一
     韋+二+丿+丨+一+冂+丨+一+一
     韋+一+一+丿+丨+一+冂+丨+一+一
     コウ・ゆごて
     弓を射るときに左腕につける防具
     韝鞴(コウビ)=ふいご・ふいごう)
   韙(是+韋
     日+一+龰+韋
     イ・よい・正しい・よしとする・同意する)
   韗(韋+軍
     韋+冖+車
     ウン・くつ・皮をなめす職人
           皮で鼓を張る職人
           革製の靴)
   韘(韋+枼
     韋+世+木
     ショウ・ゆがけ
     弓を射るときに、指を護るためにはめる道具)
   韜(韋+舀
     韋+爫+臼
     トウ・かくす・つつむ・ゆごて・ゆみぶくろ
     弓を入れておく袋
     ふくろ・剣を入れておく袋
     つつむ・おさめる・かくす・つつみかくす
     六韜(リクトウ)三略
     ゆごて・弓を射るときに左腕につける防具
   韞(韋+昷
     韋 囚 皿
     韋 日 皿
     韋 囗 人 皿
     ウン・オン・収める・包む・入れる・しまう
     かきいろ・赤色と黄色の中間色)
   韛(韋+艹+厂+用
     韋+艹+丆+用
     韋+艹+一+丿+用
     ハイ・ふいご・ふいごう
     火をおこすために
     風を送りだす革製の袋=鞴)
   韡(韋+華・イ・華やかなさま・美しいさま
          花の盛んなさま・咲き乱れるさま)
   韠(韋+畢・ヒツ・朝廷で用いたなめし皮の前掛け
           ひざ掛け)
   韣(韋+蜀
     韋+罒+勹+虫
     ショク・トク・ゆぶくろ・ゆみぶくろ
            弓を入れる袋・弓袋)
   䪜(韋+詹
     韋+厃+儿+言
     韋+⺈+厂+儿+言
     セン・障泥(あおり)
     馬具の名+馬の泥除けに用いられる物)
   䪝(韋+蒦
     韋+艹+隻
     韋+艹+隹+又
     コ・下緒(さげお)
     刀の鞘を帯に結びつけるためのもの
     しばる・束ねる)
   韤(韋+蔑
     韋+艹+罒+戍
     韋+艹+罒+戊+丶
     韋+艹+罒++丿+戈+丶
     ベツ・くつした・たび
        足袋(たび)・くつした=襪)
   ↓↑    ↓↑
       韋弦之佩(異言の葉意?)
         戒めのものを身につけること
       韋駄天走(異拿典叢?)
         足の速い人
       韋編三絶(異変・異編・纂是通?)
         同じ書物を何度も読むこと
       佩韋佩弦(配意葉異言?)
         自分の短所の改善に努めること
       布衣韋帯(不意異体?)
         官職についていない普通の人のこと
       藜杖韋帯(令状異体?)
         飾り気が無く慎ましいことのたとえ
 ↓↑
 蘇不韋 時年十八
 徴詣
 李公車
 會
 蘇謙
 見殺
 ↓↑
 蘇不韋
 載喪歸郷里
 瘞
 而不葬
 仰天嘆曰
 「伍子胥 獨 何人也!」
 ↓↑・・・楚の乾渓
      (安徽省亳州市利辛県)の人
       荘王から信頼された
       伍挙の孫
       楚の重臣を担った家柄
       伍子胥の父
       伍奢は
       平王の子
       太子建の
       太傅(侍従長兼教育係)
       直言清廉の人
       紀元前506年
       柏挙の戦い
       兵法の天才 孫武
       楚の地理と内情を知る 伍子胥
       が連戦連勝で
       楚の都郢を陥落させた
       平王は既に死んでいたので
       伍子胥は王墓を暴き
       平王の死体を300回に及び鞭打った
      「死者(屍)に鞭打つ」語源
       親友の
       申包胥に酷いと責められ
       伍子胥
      「日暮れて道遠し
       故に倒行してこれを逆施するのみ」
      「自分はもう年を取っているので
       やり方などは気にしておれないのだ」
      「時間は無いのにやるべきことは沢山ある
       だから焦って
       非常識な振る舞いをしたのだ」・・・
      「日暮れて道遠し(ひくれてみちとおし)」
       の故事
 ↓↑
 乃
 藏母
 於
 武都山中
 遂 變名姓
 盡
 以家財募劒客
 邀翬
 於諸陵輭
 不剋。
 ↓↑
 會
 李翬
 遷
 大司農
 時 右校芻廥
 在寺北垣下
 ↓↑
 蘇不韋
 與
 親從兄弟
 潛入廥中
 夜 則 鑿地
 晝 則 逃伏
 ↓↑
 如此 經月
 遂得傍達
 李翬之寢室
 出其牀下。
 ↓↑
 値翬在廁
 因殺
 其妾 并及 小兒、
 留
 書而去。
 ↓↑
 李翬 大驚懼
 乃
 布棘於室
 以
 板籍地
 一夕九徙
 雖 家人
 莫知其處。
 ↓↑
 毎出
 輒劒戟隨身、壮士自衛。
 ↓↑
 蘇不韋
 知
 李翬 有備
 乃 日夜飛馳、徑到魏郡
 ↓↑
 掘
 其父阜冢、斷取阜頭、以祭父墳
 又
 標之於市曰
 「李君遷父頭」。
 ↓↑
 李翬
 匿 不敢言
 而
 自上退位、歸郷里
 私掩塞冢椁。
 ↓↑
 捕求
 蘇不韋
 歴歳不能
 憤恚感傷
 發病歐血死。
(『後漢書』列伝第二十一・蘇不韋伝)
 ↓↑
 蘇不韋という青年が
 父の
 蘇謙が
 李翬・・・翬=羽+軍=雉(きじ)
        キ
        ちぶ・とぶ
        鳥革翬飛(チョウカクキヒ)
        鳥が翼を広げ
        翬(とぶ・きじ)=あでやかに飛ぶ様
        両翼の宮殿の形容
 の逆恨みで
 殺された
 ↓↑
 蘇不韋は家財をなげうって
 親族と共に
 仇の李翬を付け狙った
 ↓↑
 李翬
 宦官と結んだ
 本人は大臣職
 ↓↑
 蘇不韋らは
 暗殺者を雇ったが果たせず
 李翬の住居の傍から
 隧道を掘り
 住居へ侵入し
 妾と子供を殺し
 犯行の書置きを残して去った
 ↓↑
 李翬は
 出歩く時は護衛を付け
 蘇不韋は
 李翬の故郷
 魏郡へ行き
 李翬の父の墓を暴き
 首を取って
 父の
 蘇謙の墓に供えた
 ↓↑
 李翬は職を辞し
 父の墓をもとに戻し
 蘇不韋を探したが見つからず
 怒りと悲しみで
 病を発して死んだ
 (『史記
  李広や
  涼武昭王
  李翬の本貫は「隴西成紀」)
 ↓↑ ↓↑
   一朝一夕(一兆一石?)
   花朝月夕(可聴解通籍?)
   初秋涼夕(書集良籍・碩?)
   朝盈夕虚(長英・張衛-籍拠・籍挙?)
   朝過夕改(長歌籍戎?)
   朝観夕覧(鳥観籍覧・鳥瞰跡乱
        兆巻赤覧・聴感籍覧?)
   朝不謀夕(貼付望籍?)
   朝聞夕死(長文碩詞・弔文籍詞?)
ー↓↑↓↑ー
 多 品治・・・多(おほの)の翻字(ホンジ)?
        品=口+吅
          口+口+口
          ヒン・ホン
          しな
          しな・しなもの
          いろいろな物・物品
          くらい・級・位階
          人がら・人格・人の性質
          等級
          評価ランク
          良し悪しの判断
          たぐい・種類
          物事の種類を数詞
          きまり・制度・基準・法則
          仏典で「章・編」
          日本語で
          律令制親王に賜った位
          品位は一品~四品まで
          商品・物品
          物に備わっている価値
          ねうち・ひん
          等級・品位・品格
          しなさだめをする・品評
          物の種類、分類
          品詞・品種
          親王に賜った位
 品(ホン)⇔本  品(ホン)⇔本
 品治=ホンジ=本字・翻字・本寺・本地・本児・本旨
 日本書紀・巻二十八(壬申紀)
 ↓↑
 古事記・序文
 ここに
 天皇詔りたまわく
 「朕聞く
  諸家のもてる帝紀および本辭
  既に正實に違ひ
  多く虚僞を加ふと
  今の時にあたり
  その失を改めずは
  いまだ幾年を経ずして
  その旨、滅びなむとす。
  これすなわち
  邦家の經緯、王化の鴻基なり。
  故
  これ帝紀を撰録し
  旧辞を討覈して
  偽りを削り
  実を定實めて
  後の葉に
  流へむと欲ふ」
 とのりたまひき。
 ↓↑
 時に
 舍人、有り
 姓は稗田
 名は阿禮。
 ↓↑
 年はこれ廿八。
 ↓↑
 人と爲り聰明にして
 目に度れば
 口に誦み
 耳に拂るれば
 心に勒す。
 ↓↑
 即ち
 阿禮に
 勅語して
 帝皇の日繼
 及び
 先代の旧辞
 誦に習はしめたまひき
 然れども運移り世異りて
 未だその事を
 行ひたまはざりき。
 ↓↑
 伏して惟うに皇帝陛下
 一を得て光宅し
 三に通じて亭育したまふ。
 紫宸に御して
 徳は馬の蹄の極まる所に被び
 玄扈に坐して
 化は
 船の頭の逮ぶ所を照らしたまふ。
 日浮かびて暉を重ね
 雲散ちりて烟に非ず
 柯を連ね穗を并す瑞
 史書すことを絶たず
 烽を列ね
 訳を重むる貢
 府空しき月無
 名は
 文命よりも高く
 徳は天乙にも冠りたまへりと
 謂ひつべし。
 ↓↑
 ここに
 舊辭の誤り忤へるを惜しみ
 先紀の謬り錯れると正さむとして
 和銅四年九月十八日
 を以ちて
 臣
 安萬侶に詔りして
 稗田阿禮
 が誦む所の
 勅語の舊辭を撰録して
 獻上せしむといへれば
 謹みて詔旨のまにまに
 子細に採りひぬ。
 ↓↑
 然れども
 上古の時は
 言と意を
 並朴にして
 文を敷き
 句を構ふること
 字におきて
 即ち
 難し。
 已に
 訓によりて述べたるは
 詞心におよばず。
 全く音を以て連ねたるは
 事の趣さらに長し。
 是をもちて今
 或は
 一句の中に
 音訓を交いて用ゐ
 或は
 一事の内に
 全く訓を以ちて録す。
 即ち
 辭理の見えがたきは
 注を以ちて明かにし
 意况の解り易きは
 更に注せず。
 また
 ↓↑
 姓おきて
 日下を
 玖沙訶といひ
 ↓↑
 名におきて
 帶の字を
 多羅斯
 といふ。
 ↓↑
 かくの如き類は
 本のままに改ず。
 大抵
 記す所は
 天地の開闢より始めて
 于
 小治田の御世に訖る
 故
 天御中主神
 以下
 日子波限建鵜
 草葺不合尊
 以前を上卷となし
 神倭伊波禮毘古天皇
 以下
 品陀御世以前を中卷となし
 大雀皇帝
 以下
 小治田大宮
 以前を下卷となし
 并せて三卷に録して
 謹みて獻上る。
 臣安萬侶
 誠惶誠恐
 頓首頓首。
 ↓↑
 和銅五年正月二十八日
 正五位上勲五
 等
 太
 朝臣
 安萬侶
 謹上。     
 ↓↑
 壬申の乱
 天武天皇元年
 六月二十四日~七月二十三日
 ユリウス暦
 672年7月24日~8月21日
 ↓↑
 大海人皇子天武天皇)の側
 莿萩野を守って敵を撃退
 冠位は小錦
 ↓↑
 美濃国
 安八磨郡(安八郡)の
 湯沐令で
 皇子の生計を支える
 封戸を管理する役職
 大海人皇子
 行動をおこす
 2日前の
 6月22日
 村国男依
 和珥部君手
 身毛広
 ら3人は
 美濃に先行を命じ
 任務は
 ↓↑
 多 品治
 ↓↑
 に連絡し
 安八磨郡を挙兵させること
 その任を果たし
 美濃の兵3千が
 大海人皇子のために
 不破道を塞いだ
 大海人皇子
 東国の兵力を結集
 ↓↑
 7月2日 美濃で
 大海人皇子
 数万の軍を 二手に分け
 一軍を伊勢国の大山越えで大和国
 一軍を直接近江国に入らせることを命じた
 品治は
 紀阿閉麻呂
 三輪子首
 置始菟
 と共に大和に向かう軍を率いた
 後
 品治は別命を受け
 3千の兵と共に
 莿萩野(たらの)に駐屯
 莿萩野=伊賀(伊勢国
 大和⇔伊賀⇔伊勢⇔美濃
 の連絡線の伊賀を守る位置
 田中足麻呂が
 近江と伊賀を結ぶ
 倉歴道の守備についた
 ↓↑
 対する
 大友皇子側の将
 田辺小隅は
 5日
 倉歴に夜襲
 守備兵は敗走し
 足麻呂は一人逃亡
 小隅の軍は
 翌日
 莿萩野を襲おうとしたが
 多品治がこれを阻止、追撃
 小隅は逃亡
 以後
 大友方の軍勢の襲撃はなかった
 ↓↑
 天武天皇12年(683年)12月13日
 多品治は
 伊勢王
 羽田八国(羽田矢国)
 中臣大島
 と共に
 判官・録史・工匠
 などの部下を引き連れて全国を巡り
 諸国の境界を定めた
 多品治の位は小錦
 ↓↑
 天武天皇13年(684年)11月1日
 多臣など
 52氏は新たに朝臣の姓を授かった
 ↓↑
 天武天皇14年(685年)9月18日
 天武天皇
 皇族・臣下と
 大安殿で博打
 天皇は大安殿の中に
 皇族と臣下は殿の前に位置
 多品治はこの日に
 天皇の衣と袴を与えられた
 10人の中の一人
 ↓↑
 持統天皇10年(696年)8月25日
 多品治は
 直広壱
 と物を与えられた
 壬申の乱で関を守った褒賞
 多品治を・・・緒保(他・妥)の本をオサム?
 太安万侶
 の父とする説・・・
 (『阿蘇家略系譜』)・・・
 健磐龍命の後裔氏族である
 阿蘇氏・・・
 神武天皇の皇子
 神八井耳命
 阿蘇氏(姓は君)などの祖
 意富氏(姓は臣)
 火 氏(姓は君)
 大分氏(姓は君)
 などとは同祖(古事記)・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・

真福八端=真福九端(シンプクキュウタン)=真福詞・真福字発端?

 2828日目・文字霊日記

f:id:naie:20191221040212j:plain

 山上=サンジョウ=・・・山上の垂訓
 憶良=良く憶えろ=記憶・・・
  ↓↑
 大宝元年(701)正月
 第七次遣唐使
 少録(ショウさかん)
 に任命
  ↓↑
 山上の垂訓(説教)
  ↓↑
 新約聖書
 『マタイによる福音書』第5章~7章
 『ルカによる福音書』第6章
 イエスが山の上で
 弟子たちと
 群集に語った教え
  ↓↑
 章頭(マタイ福音書5章3節~10節)
 「幸福なるかな」
 と8回繰り返される
 幸福の説教=真福八端=真福詞
       ・・・・・真福字発端?
 「正教会
 5章12節前半
 「幸いなり
  ・・・天には
     爾等(おれら・なんじら)の
     報い多ければなり」
 までの
 9句の構成とし
 真福九端(シンプクキュウタン)
ーーーーー
 2019年12月21日0時土曜日

 2019年 干支36 己亥(戊・甲・壬)年
  12月 干支13 丙子(壬・ ・癸)月
  21日 干支29 壬辰(乙・癸・戊)日
ーーーーー
 真福寺
  ↓↑
 所在地 愛知県名古屋市中区大須2-21-47
 位置  北緯35度9分35.13秒
     東経136度53分58.23秒
 山号  北野山
 院号  宝生院(寶生院)
 宗派  真言宗智山派
 寺格  別格本山
 本尊  聖観音
 創建年 元弘三年(1333年)
 開基  能信
 正式名 北野山
     真福寺
     寶生院
 札所等 日本三大観音
     東海三十六不動尊10番
     尾張三十三観音1番
     なごや七福神布袋霊場
     大名古屋十二支主管寺
 文化財 真福寺文庫
     古事記 写本他(国宝)
     絹本著色仏涅槃図他(重要文化財
  ↓↑
 愛知県
 名古屋市
 中区
 大須
 真言宗
 智山派の
 別格本山
 通称 大須観音
 真福寺本を所蔵
  ↓↑
 大須観音(おおすかんのん)
 真言宗
 智山派の
 別格本山・・・別に書く本の纂・・・?
 本尊は聖観音
 寺号は
 「北野山
  真福寺
  宝生院(ほうしょういん)」
 宗教法人公称は「宝生院」
 一般には「大須観音
 日本三大観音の一
 なごや七福神の一の
 布袋像を安置
 『古事記
 の最古写本、貴重書を多数蔵する
 「真福寺文庫」
  ↓↑
 建久年間・・・・・・建(たける)久(ひさしい=比差思惟)?
     日本武=大和建=倭男具那=小碓命
 (1190年代)
 尾張国
 中島郡
 長庄
 大須
 に
 中島観音が発祥
 元亨四年
 (1324年)
 「後醍醐」天皇・・・建武中興・1334年
 が
 大須郷(岐阜県
     羽島市
     桑原町
     大須
 に
 北野
 天満宮を創建
 元弘三年(1333年)
 同社
 別当寺として・・・別当字(時・治・地・辞・知・智)
 僧
 能信・・・能=ム+月(肉・ジク)+ヒ+七(匕・牝)
      信=イ(人)+言(亠+二+口)
 が創建した
 真福寺・・・「心腹・信伏・震幅・振幅・新福」+ジ
 が始まり
 後
 「後村上」天皇により
 伽藍建立
 勅願寺となった
 四天王寺
 観世音菩薩を移して
 本尊とした
  ↓↑
 三代目住職
 「任瑜」法親王
 の時
 寺領一万石
 伊勢・美濃・尾張三河遠江信濃
 六ヶ国の
 真言宗寺院・・・真言相似韻?
 の
 末寺・・・まつじ(枩時・俟時・奠時)?
      すえじ(陶字・須恵字)?
 となった
  ↓↑
 戦国時代
 「織田信長
 により
 寺領五百石が寄進
  ↓↑
 慶長十七年
 (1612年)
 徳川家康
 の命令で
 犬山城
 成瀬正茂によって
 大須郷(岐阜県羽島市桑原町大須
 から現在地に移転
  ↓↑
 文化十二年(1815年)
 五重塔建立
 「空海」が彫った
 愛染明王像が
 五重塔内に安置
  ↓↑
 明治二十五年(1892年)
 3月21日
 宝生座(芝居小屋)裏手から出火(大須大火)
 本堂、五重塔
 仁王門
 を焼失
 4月
 大須の大火で焼失した
 本堂、五重塔、仁王門を再建する為
 「再建寄附金帳」に
 再建の為に
 本堂、五重塔、仁王門の
 建地割図(設計図)が描かれ
 本堂、五重塔、仁王門に関する
 再建内容が5丁で記録
 後に
 本堂と仁王門は再建
 五重塔は再建されなかった
 昭和20年
 (1945年)
 名古屋大空襲で2度目の焼失
 昭和24年
 (1949年)
 仮本堂と仁王門が建立
 昭和45年(1970年)
 鉄筋コンクリートで再建
 ↓↑
 戦前
 観音よりも
 大須で賑わっていた寺は
 七堂伽藍の七寺
 戦後
 七堂伽藍は再建される事はなく
 大須観音が再建され
 大須の地名は
 大須観音門前町が発祥
 ↓↑
 真福寺文庫(大須文庫)
 醍醐寺根来寺と共に日本三経蔵の一
 仁和寺根来寺と共に本朝三文庫の一
 15,000冊もの古典籍を所蔵
 真福寺本、大須本と言われる
 ↓↑
 国宝の
 『古事記』は
 「真福寺古事記
 同書の現存最古の写本
 ↓↑
 「古事記
 (こじき・ふることふみ・ふることぶみ)」
 日本最古の歴史書・・・
 和銅五年
 (712年)
 「太安万侶」が編纂
 「元明天皇」に献上
 「上・中・下の三巻」
 天地開闢推古天皇
 まで記述
 養老四年
 (720年)
 編纂の
 『日本書紀』より
 『古事記』は
 出雲神話を重視
 「六国史
 和銅五年を含む
 『続日本紀』に
 『古事記』への言及がない・・・
 「偽書説」も・・・
 序文のみ
 or
 本文も
 偽書・・・
 ↓↑
 賢瑜
 『真福寺古事記
 建徳二年(1371)~建徳三年(1372)
 応安四年(1371)~応安五年(1372)
 ↓↑
 真福寺の二代住職信瑜の弟子賢瑜によって書写された写本
 真福寺の僧
 賢瑜
 が師
 信瑜の命を受けて書写
  ・・・「真福寺-究探」・・・
ー↓↑ーーーー↓↑ーーー↓↑
 山上の垂訓↓↑ーーー↓↑
 編上   真福字 九端(シンプクキュウタン)
 と呼ぶ
 幸福の説教の第1文(マタイ5:3)
 「全き謙遜」にある状態を幸いとする
 「地の塩、世の光」
 「右の頬を打たれれば、左も向けなさい」
 「汝の敵を愛せよ」
 「裁くな、裁かれないためである」
 「人からしてもらいたいと
  あなたが望むことを
  人々にしなさい」(イエスの黄金律) 
 「敲けよ、さらば開かれん」
 「狭き門より入れ」
 日本語
 「豚に真珠」
 「砂上の楼閣」
  ↓↑
 山上の垂訓の場所
 ガリラヤ湖の西の小高い丘・・・
 湖の北端、カペナウム近郊・・・
  ↓↑
 「祝福の山(Mount of Beatitudes)」
 丘の上に
 「山上の垂訓教会」
  ↓↑
 マタイ伝
 5章1節
 イエスはこの群衆を見て
 山に登り、座につかれると
 弟子たちが
 みもとに近寄ってきた
 ↓↑
 そこで
 イエスは口を開き
 彼らに教えて言われた
 ↓↑
 「こころの貧しい人たちは
  さいわいである
  天国は彼らのものである」
 ↓↑
 「悲しんでいる人たちは
  さいわいである
  彼らは慰められるであろう」
 ↓↑
 「柔和な人たちは
  さいわいである
  彼らは
  地を受けつぐであろう」・・・天ではない
 ↓↑
 「義に飢えかわいている人たちは
  さいわいである
  彼らは
  飽(あ)き足りるようになるであろう」
  ・・・ナゼ、アキたりる、のか・・・
    「ギ」はモウ、「沢山」であるカラ・・・?
 ↓↑
 「あわれみ深い人たちは
  さいわいである
  彼らは
  あわれみを受けるであろう」
 ↓↑
 「心の清い人たちは
  さいわいである
  彼らは
  神を見るであろう」・・・普段は視えない存在?
 ↓↑
 「平和を・・・タイラ(平)かに、ナギ(和)る
        多比良   かに、薙ぎ   る
        武力平定・天下布武・・・?
  つくり出す
  人たちは
  さいわいである
  彼らは
  神の子と呼ばれるであろう」
 ↓↑
 「義のために
  迫害・・・・・・・・・迫=白+辶=廹=白+廴
  ↓↑            辶=====廴
             白が瀬間って害する
               勢馬って
               逼って=逼迫
               逼=辶+畐
                 辶+一+口+田
               畐=ヒョク・フク
                 容器・足のない鬲
                 いっぱいになる
                 満ちる・布の幅
                 いっぱいに塞がる
  ↓↑            ぎゅう詰めになる
  されてきた人たちは
  さいわいである
  天国は彼らのものである」
 ↓↑
 「わたしのために
  人々が
  あなたがたを
  ののしり、また迫害し
  あなたがたに対し
  偽って様々の悪口を言う時には
  あなたがたは
  さいわいである」
 ↓↑
 「喜び、よろこべ
  天において
  あなたがたの受ける報いは大きい
  あなたがたより前の預言者たちも
  同じように
  迫害されたのである」
 ↓↑
 「あなたがたは、地の塩である
  もし
  塩のききめがなくなったら
  何によって
  その味が取りもどされようか
  もはや
  なんの役にも立たず
  ただ外に捨てられて
  人々にふみつけられるだけである」
 ↓↑
 「あなたがたは、世の光である
  山の上にある町は
  隠れることができない」
 ↓↑
 「また
  あかりをつけて
  それを
  枡の下におく者はいない
  むしろ
  燭台の上において
  家の中の
  すべてのものを
  照させるのである」
 ↓↑
 「そのように
  あなたがたの光を人々の前に輝かし
  そして
  人々があなたがたの
  よいおこないを見て
  天にいます
  あなたがたの父を
  あがめるようにしなさい」
 ↓↑
 「わたしが
  律法や預言者
  廃するためにきた、と思ってはならない
  廃するためではなく
  成就するためにきたのである」
 ↓↑
 「よく言っておく
  天地が滅び行くまでは
  律法の一点、一画もすたることはなく
  ことごとく
  全うされるのである」
 ↓↑
 「それだから
  これらの最も
  小さい戒(いまし)めの一つでも破り
  また
  そうするように
  人に教えたりする者は
  天国で
  最も小さい者と呼ばれるであろう
  しかし
  これをおこない
  また
  そう教える者は
  天国で
  大いなる者と呼ばれるであろう」
  ・・・天国・・・
  そこは
  呼ばれる必要のない場所なのでは・・・?
 ↓↑
 「わたしは言っておく
  あなたがたの義が
  律法学者や
  パリサイ人の義に
  まさっていなければ
  決して天国に、はいることはできない」
 (マタイ 5:1~マタイ 5:20)
ーーーーー
 ルカ伝
 6章20節
 そのとき
 イエスは目をあげ
 弟子たちを見て言われた
 「あなたがた貧しい人たちは
  さいわいだ
  神の国はあなたがたのものである」
 ↓↑
 「あなたがた
  いま飢えている人たちは、さいわいだ
  飽き足りるようになるからである」
 ↓↑
 「あなたがた
  いま泣いている人たちは、さいわいだ
  笑うようになるからである」
 ↓↑
 「人々があなたがたを憎むとき
  また
  人の子のために
  あなたがたを
  排斥し、ののしり、汚名を着せるときは
  あなたがたはさいわいだ」
 ↓↑
 「その日には喜びおどれ
  見よ
  天において
  あなたがたの受ける報いは大きいのだから
  彼らの祖先も
  預言者たちに対して
  同じことをしたのである」
 ↓↑
 「しかし
  あなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ
  慰めを受けてしまっているからである」
 ↓↑
 「あなたがた
  今満腹している人たちは、わざわいだ
  飢えるようになるからである」
 ↓↑
 「あなたがた
  今笑っている人たちは、わざわいだ
  悲しみ泣くようになるからである」
 ↓↑
 「人が皆
  あなたがたをほめるときは
  あなたがたはわざわいだ
  彼らの祖先も
  にせ預言者たちに対して
  同じことをしたのである」
 ↓↑
 「しかし
  聞いているあなたがたに言う
  敵を愛し、憎む者に親切にせよ」
 ↓↑
 「のろう者を祝福し
  はずかしめる者のために祈れ」
 ↓↑
 「あなたの頬を打つ者には
   ほかの頬をも向けてやり
  あなたの上着を奪い取る者には
      下着をも拒むな」
 ↓↑
 「あなたに求める者には与えてやり
  あなたの持ち物を奪う者からは
  取りもどそうとするな」
 ↓↑
 「人々にしてほしいと
  あなたがたの望むことを
  人々にもそのとおりにせよ」
 ↓↑
 「自分を愛してくれる者を
     愛したからとて
  どれほどの手柄になろうか
  罪人でさえ
  自分を愛してくれる者を愛している」
 ↓↑
 「自分によくしてくれる者によくしたとて
  どれほどの手柄になろうか
  罪人でさえ
  それくらいの事はしている」
 ↓↑
 「また返してもらうつもりで
    貸したとて、どれほどの手柄になろうか
  罪人でも
  同じだけのものを返してもらおうとして
       仲間に貸すのである」
 ↓↑
 「しかし
  あなたがたは
  敵を愛し、人によくしてやり
  また
  何も当てにしないで貸してやれ
  そうすれば
  受ける報いは大きく
  あなたがたは
  いと高き者の子となるであろう
  いと高き者は
  恩を知らぬ者にも
  悪人にも
  なさけ深いからである」
 ↓↑
 「あなたがたの
  父なる神が
  慈悲深いように
  あなたがたも慈悲深い者となれ」
 ↓↑
 「人をさばくな
  そうすれば
  自分もさばかれることがないであろう
  また
  人を罪に定めるな
  そうすれば
  自分も罪に定められることがないであろう
  ゆるしてやれ
  そうすれば
  自分もゆるされるであろう」
 ↓↑
 「与えよ
  そうすれば
  自分にも与えられるであろう
  人々は
  おし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに
  量をよくして
  あなたがたの
  ふところに入れてくれるであろう
  あなたがたの量るその量りで
  自分にも量りかえされるであろうから」
  (ルカ 6:20 - ルカ 6:38)
 ・・・
 「精神性を重視したマタイ伝に対し
          ルカ伝の方は
  社会性、現実性を重視した表現になっており
  幸福と不幸の対比の形になっている」
 原文は・・・by 「ウィキペディアWikipedia)」・・・
ーーーーー
 ・・・
 山上 憶良(やまのうえ の おくら)
 ↓↑
 斉明天皇六年(660年)?
 ~
 天平五年(733年)?
 名は
 山於 億良
 とも
 『日本書紀
 天武天皇十五年五月九日条
 に
 「億仁」
 姓は臣
 官位は従五位下
 筑前
 大宝元年(701年) 正月二十三日 遣唐少録
 時期不詳 正六位下
 和銅七年(714年) 正月五日 従五位下
 霊亀二年(716年) 四月二十七日 伯耆
 神亀三年(726年)頃 筑前
 天平五年(733年)頃 卒去
 ↓↑
 「山の上の憶の良」
 山上の記憶の良(白𧘇・白𠄌乀ノ・白ヒ)し
 ↓↑
 大宝元年(701年) 正月二十三日:遣唐少録
 時期不詳:正六位下
 和銅七年(714年) 正月五日:従五位下
 霊亀二年(716年) 四月二十七日:伯耆
 神亀三年(726年)頃:筑前
 天平五年(733年)頃:卒去
 ↓↑
 山上憶良
 春日一族
 皇別氏族
 山上氏(山上臣)
 山上の名称
 大和国
 添上郡
 山辺
 の地名に由来
 山於(やまのえ)とも記録
 ↓↑
 憶良は
 天智・天武両天皇
 侍医を務めた
 百済
 憶仁の子
 百済滅亡で
 父親と共に日本渡来
 近江国
 甲賀郡
 山直郷に住み着き
 山上氏を称する
 土地の有力氏族
 粟田氏に従属し同族化・・・
 ↓↑
 大宝元年(701年)
 第七次
 遣唐使
 少録に任ぜられ
 大宝二年(702年)
 唐に渡り
 儒教、仏教など学問研鑽
 大宝の遣唐使
 執節使
 粟田真人
 同族の
 憶良を引き立てた・・・
 和銅七年(714年)
 正六位下から従五位下に叙爵
 霊亀二年(716年)
 伯耆
 養老五年(721年)
 佐為王
 紀男人
 らと共に
 東宮
 首皇子聖武天皇
 の侍講
 退朝の後
 東宮に侍す
 ↓↑
 神亀三年(726年)頃
 筑前
 神亀五年(728年)頃
 大宰帥
 大宰府に着任した
 大伴旅人
 と共に
 筑紫歌壇を形成
 天平四年(732年)頃
 筑前守任期を終えて帰京
 天平五年(733年)六月
 「老身に病を重ね
  年を経て辛苦しみ
  また児等を思ふ歌」
 藤原八束が
 見舞いに遣わせた
 河辺東人に対して
 「沈痾る時の歌」
 を詠む
 ↓↑
 山上船主は
 憶良の子・・・説
 ↓↑
 仏教や儒教の思想に傾倒
 死や貧、老、病
 など
 社会的な矛盾を観察
 重税に喘ぐ
 農民や
 防人に取られる夫を見守る妻など
 家族への愛情
 農民の貧しさなど
 社会的な優しさや
 弱者を鋭く観察した歌を多数詠んだ
 ↓↑
 代表的な歌
 『貧窮問答歌
 『子を思ふ歌』
 『万葉集』には78首
 大伴家持
 柿本人麻呂
 山部赤人
 らと共に奈良時代の代表歌人
 『新古今和歌集(一首)』
 以下の
 勅撰和歌集に五首が採録
 ↓↑
 神代(かみよ)より
 云(い)ひ伝(つ)て来(く)らく
 虚(そら)見(み)つ
 倭国(やまとのくに)は
 皇神(すめかみ)の
 いつく(厳)しき国
 言霊(ことたま)の
 幸(さき)はふ国(くに)と
 語(かた)り継(つ)ぎ
 言(い)ひ継がひけり・・・
 ↓↑
 (「神代欲理
   云傳久良久
   虚見通
   倭國者
   皇神能
   伊都久志吉國
   言霊能
   佐吉播布國等
   加多利継
   伊比都賀比計理」
   『万葉集』巻五~八九四)
 ↓↑
 いざ子ども
 はやく日本(やまと)へ
 大伴の御津(みつ)の浜松
 待ち恋ひぬらむ(唐にて詠んだ歌)
 (『万葉集』巻一-六三
  『新古今和歌集』巻十-八九八)
 ↓↑
 憶良らは
 今は罷(まか)らむ
 子泣くらむ
 それその母も
 吾(わ)を待つらむそ
 (『万葉集』巻三-三三七)
 ↓↑
 春されば
 まづ咲くやどの
 梅の花
 独り見つつや
 はる日暮らさむ
 (大宰府「梅花の宴」で詠んだもの)
 (『万葉集』巻五-八一八)
 ↓↑
 秋の野に
 咲きたる花を
 指折りて
 かき数ふれば
 七種(ななくさ)の花
 (『万葉集』巻八-一五三七)
 ↓↑
 瓜食めば
 子供念(おも)ほゆ
 栗食めば
 まして偲(しの)はゆ
 何処(いづく)より
 来たりしものぞ
 眼交(まなかい)に
 もとな懸りて
 安眠(やすい)し寝(な)さぬ
 (『万葉集』巻五-八〇二)
 ↓↑
 銀(しろがね)も
 金(くがね)も
 玉も
 何せむに
 まされる宝
 子に如(し)かめやも
 (『万葉集』巻五-八〇三
   今昔秀歌百撰 七
 ↓↑
 行く船を
 振り留めかね
 如何ばかり
 恋しかりけむ
 松浦佐用姫
 (『万葉集』巻五-八七四)
 ↓↑
 世の中を
 憂しとやさしと
 おもへども
 飛びたちかねつ
 鳥にしあらねば
 (『万葉集』巻五-八九三)
 ↓↑
 士(をのこ)やも
 空しくあるべき
 万代(よろずよ)に
 語り継ぐべき
 名は立てずして
 (『万葉集』巻六-九七八)
  『貧窮問答歌
ーーーーー
 ・・・???・・・「垂君=垂仁天皇」・・・?

空母潜水艦=伊400型  艦載飛行機潜水艦・・・烏賊(いか)

 2827日目・文字霊日記
 「お隣の我疹氷炭」≠≠≠「日本の臥薪嘗胆=アジアの解放」

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 真珠湾攻撃(Attack on Pearl Harbor)
 1941年( 昭和16年)12月8日未明(ハワイ時間12月7日)
 ↓↑
 https://www.youtube.com/watch?v=aKXi7f7AFmU
 「U BOOT」・・・
 遠い親戚らしいオジサンは「伊400型」の艦長だった・・・
 捕獲された
 「伊400型」
 日本軍の極秘潜水艦 Japan's Secret Weapon part8
 https://www.youtube.com/watch?v=8dxBJPkZ4x8

 https://www.youtube.com/watch?v=G960IoerM-g
 は
 第6艦隊所属
 艦長は
 日下敏夫 中佐
 ↓↑

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 真珠湾を経由で米本土へ回航
 技術調査された後
 6月4日
 ハワイ沖で
 米潜水艦
 「トランピットフィッシュ
 (Trumpit fish)」号
  の雷撃で沈没
 ↓↑
  アメリカ・テンチ級
  潜水艦(カリブ海で就役訓練
      6/4ハワイ近海で
      伊400を実艦標的として
      雷撃により撃沈処分
      後大西洋艦隊に編入
      1973.10/15
      ブラジルに売却され
      ゴイアス級潜水艦(1/2、S15)
      ゴイアスと改名
      1990除籍)
 ↓↑
 トランペット(短喇叭・ラッパ)=金管楽器
 トランピットフィッシュ=Trumpit-fish
             Trumpet-fish
 ・・・細長い線形の魚で
    長い吻の先端には
    小さな口髭(ひげ=髯・鬚・鬍・須
          ヒゲ=卑下・日下・日毛)がある
 ヘラヤガラ(箆 矢柄)
   ・・・へら-やがら=矢柄・矢幹・簳
            矢の幹
       鏃(やじり)と矢羽根を除いた部分
            篠竹(しのだけ)で作る
            篦(の)・矢篦・簳魚
            ヨウジウオ目ヤガラ科の海水魚の総称
            楊子魚=楊枝魚
            Pipe fish=地方名は
                 ウミヘビ・オノコヒバシ
            体と口先は細長く
            タツノオトシゴを長く伸ばしたような形
            体は細長くて縦扁し
            吻(ふん)も管状で長く
            尾びれ中央の軟条が
            糸状に長く伸びている
            体色が
            赤褐色のアカヤガラ
            青みを帯びた黄褐色のアオヤガラ
            本州中部以南に分布
            全長約1.5メートル
            椀種(わんだね)などにする
            吸い物や汁物に入れる具の中で主になる材料
            植物ミクリの別名
            単子葉植物ミクリ科ミクリ属の植物
            植物ミクリの別名
            栗に似てるような果実がなる
            和名は「実栗(みくり)」
            池や沼、 水路に生える
            多年性の抽水植物
           「矢柄投げ」の略
 Trumpetfish
 (トランピットフィッシュ)
 Chinese trumpetfish
 (ヘラヤガラ)
 Atlantic trumpetfish
 の3種からなる
 ↓↑
 トゲウオ目・・・棘(刺)魚
        (Sticklebacks)
          硬骨魚類の群の一
          イトヨなど278種
          タツノオトシゴ
          ヘコアユ
 ヨウジウオ亜目・・・楊枝魚
 ヘラヤガラ下目
 ヘラヤガラ上科
 ヘラヤガラ
 Aulostomidae
 ヘラヤガラ
 Aulostomus
 の魚類
 ↓↑

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 空母潜水艦=伊400型
 艦載飛行機潜水艦・・・烏賊(いか)
 ↓↑
 RLG Orchestra 2013 - KLAUS DOLDINGER - DAS BOOT SOUNDTRACK
 https://www.youtube.com/watch?v=gI-1lHtw9I4
 ↓↑
 やっと生死の狭間をぬって
 帰国、帰港、帰還したのに
 上陸した瞬間に陸上で爆撃されて死ぬなんて・・・
 ・・・もうすでに十一日目の12月18日・・・
 ・・・アレッ、零時過ぎで19日でした・・・
 ↓↑
 昭和20年(1945年)~2019年
 「七十四年間~」・・・「臥薪嘗胆」・・・
 「臥薪嘗胆」は
 紀元前5世紀
 呉=夫差
 と
 越=勾践
 の国家間の戦争
 ↓↑
 「嘗胆」=「史記・巻41・越王-勾践 世家」
 「臥薪嘗胆」=蘇軾(1037年~1101年)の
          1+0+3+7=11・・・1+1=2(弐・貮)
          1+1+0+1=・・・・・・・3(参・參)
        詩『擬孫権曹操書』中の句
         「僕受遺以来、臥薪嘗胆」
          十一世紀後半・・・11世紀
          の記録にある
 ↓↑
 蘇=艹+穌・・・・蘇我・耶蘇・・・よみかえる
   艹+魚+禾
   艹+⺈+田+灬+禾
   ス
   ソ
   よみがえる
   草の名
  「紫蘇(シソ)」・・・紫=此れは糸=いと=伊都
             蘇=甦る=よみかえる=読み替える
              黄泉蛙(よみがえる)変える
   生き返る
   草を刈る・・・草刈=草薙=日下=草加久坂玄瑞
   草を刈り取る
   覚める・目覚める
   ふさ(房)・鳥の尾で作った垂れ飾り
   よみがえる・・・蘇我・蘇定方=蘇邕の子
 ↓↑
 軾=車+式
   車+弋+工
   ショク
   しきみ
   しきみ
   車の前部についている横木
   その横木につかまり敬礼をすること
 ↓↑
 呉王
 闔閭は
 越国に先年攻撃を受け
 その
 復讐で
 越国に侵攻し、敗北
 負傷し
 その傷がもとで病死
 ↓↑
 闔閭は・・・闔=門+盍
 ↓↑      門+去+皿
         門+土+厶+皿
         コウ
         すべて
         とじる
         とびら
         門の扉(とびら・戸+非)
         しめる・とざす・おさめる
         みな・全部
        「なんぞ~ざる」
        「どうして~しないのか」
         の意
         闔=盍
         一闔一闢(イッコウイチビャク)
         天門開闔(テンモンカイコウ)
         離合開闔(リゴウカイコウ)
       閭=門+呂
         門+口+丿+口
         リョ
         ロ
         さと
         村里の門
         周代
         二十五家の集まりを「里」とし
         その入り口の門を「閭」とした
         さと・むら・むらざと
         周代で、二十五家の集落の村
         あつまる・あつまり
         倚閭之望(イリョのボウ)
         母が子のことを思う愛情
        「倚」は寄りかかる
         母親が門に寄りかかって
         子の帰りを待ち望む意
         春秋時代の衛の王
         孫賈は
         朝早くから夜遅くまで
         出掛けることが多く
         母親は
         家の前の門や
         村の入り口にある閭という門に
         寄りかかって
         帰ってくるのを待ちわびた故事
         出典『戦国策(斉策)』
         倚門之望(イモンのボウ)
         愛情・親子愛
 ↓↑
 夫差・・・夫(おっと)の差(さ・差異)
     「二=次=継ぐ」人の差
      差=䒑+丨+一+丆(面)+工(巧・匠)
        丷+一+丨+一+丆+工
        䒑+丨+一+一+丿+工
        丷+一+丨+一+一+丿+工
        ・・・羊(毛)
           ノ(のり巻き)
           工(糸車を噤む)・・・?
 に
 「必ず仇を取るように」
 と遺言
 夫差は
 「三年以内に必ず」
 と答え
 富国強兵策で
 軍備充実
 薪の上で寝ることの痛みで
 屈辱を忘れなかった
 (臥薪、『史記』の記録には存在せず
     『十八史略』で付け加わっている)
 ↓↑
 臥=臣+人=伏・・・「人臣=人犬」隠す
 薪=艹+辛+八+斤
   艹+立+十+八+斤
   艹+亠+ㅛ(䒑)+木+斤
   艹+亠+丷+一+十+八+斤
     (ヽ/・ハ・ハ・八)
      亠+丷+一=立
      音のハチのイチ=立
              立=建=鍵盤・腱板
                  検番・見番
 ↓↑
 呉国の
 夫差が
 ↓↑
 越国に攻め込み
 勾践・・・勾=勹+ム・・・句(勹口)践
      践=足+戈+二
        足+戔
        口+卜+人+戈++戈
 の軍を破った
 勾践は
 降伏し
 夫差の
 馬小屋の
 番人にされ
 後に
 許されて・・・夫差は勾践を許した・・・?
 越国に帰国し
 富国強兵に励み
 苦い
 「胆(きも)を嘗(な)め」
 屈辱を忘れないようにした(嘗胆)
 ↓↑
 夫差は
 呉国の
 国力を
 強大化させ
 奢って
 周辺諸国との戦いで
 覇者を目指し
 自国の国力を疲弊させ
 先代の
 闔閭
 以来の重臣
 伍子胥・・・伍子胥
 を処刑     胥=疋+月(肉)
          乛+止(ト丄)+月
           ショ
           ソ
           しおから(塩辛-鹽辛)
 ↓↑         ↓↑
        鹽=鹽=臣+鹵+皿
        鹽=臣+𠂉+卜+囗+㐅(乂)+丶+丶+丶+丶+皿
          臣+𠂉+卜+囗+一+氺+皿
          臣+𠂉+卜+囗+十+丷+ハ+皿
 ↓↑         ↓↑
           みな
           塩漬けにした肉
           互いに・あい
           視る・観察する
           うかがう
           みな・すべて
           ともに
           待つ
           小役人・下級の役人
           語調を整える助字
 ↓↑
 20年後
 越王
 勾践
 は
 呉国に攻め込み
 夫差の軍を撃破し
 夫差は
 降伏しようとしたが
 勾践は
 夫差の
 王への復帰を認めず
 自殺した
 ・・・結果的に「勾践(嘗胆)=越」・・・大嘗祭・新嘗際
         が
        「夫差(臥薪)=呉」
      二人の夫=額田の王(大君)・・・天武婦人~天智妃?
            薪=まき=真紀=巻(日本書紀)にフセる?
            ・・・臥=ガ=雅=鴉
                  =からす=唐洲・韓洲
                  =烏=ウ=宇・鵜・鸕
               臣(朝臣)の人?
               薪=「艹・䒑・丱」+新=まき=巻
                 草薙・草彅・・・叢雲
                 草加(久坂・草壁・日下部)の新
         に勝って
         怨恨を果たした
 ↓↑
 「嘗胆」=「史記・巻41・越王-勾践 世家」
 「臥薪嘗胆」=蘇軾(1037年~1101年)の
        詩『擬孫権曹操書』中の句
         「僕受遺以来、臥薪嘗胆』
          十一世紀後半の記録に
          ある
 ↓↑
 蘇=艹+穌
   艹+魚+禾
   艹+⺈+田+灬+禾
   ス
   ソ
   よみがえる
   草の名
  「紫蘇(シソ)」
   生き返る
   草を刈る
   草を刈り取る
   覚める・目覚める
   ふさ(房)・鳥の尾で作った垂れ飾り
   よみがえる
 ↓↑
 軾=車+式
   車+弋+工
   ショク
   しきみ
   しきみ
   車の前部についている横木
   その横木につかまり敬礼をすること
ーー↓↑ーー
 お隣の「国」の指導者は
 「臥薪嘗胆」を思想を
 「富国強兵」
 が成ったと履違え、誤解し
 更に「南+北」=「一K」となって
 一〇〇〇年の仇敵?
 倭国に復讐できると目論だが
 怨みも恨みも果たせず
 頓挫、挫折寸前であるらしい・・・
 「勾践(嘗胆)=越」・・・大嘗祭・新嘗際の大和
  か   山陰・越前・鶴舞
 「夫差(臥薪)=呉」・・・艸(日の下)に臥せる新羅
  か   山陽・呉軍港・・???
         音戸の瀬戸(おんどのせと)
     「阿波の鳴門か音戸の瀬戸伊良湖度合が恐ろしや」
 ↓↑
 生死を賭けての戦争で
 カツ(生き残る)為には
 例え
 状況が有利であろうと
 仇敵の相手には
 徹底的で冷酷なダメージを与え
 根源的な
 恨みを断つ必要がある
 ↓↑
 恨みを断つとは
 成人男子を全滅させ
 婦女子のみを奴隷として生かす、というコトだ・・・
 だが、国家間の「人民戦争」の遂行は
 「ジェノサイドゥ(genocide・皆殺し)」である
 武器、戦術的知識を有した
 女、子供も「戦術的な戦力」だから・・・
 不意を衝く存在の仕返しの根絶は
 「ジェノサイドゥ(genocide・皆殺し)」・・・
 ↓↑
 エジプト・中東諸国
 中東での「旧約」に語られている
 同族ユダヤ人の戦争
 ↓↑
 スパルタ・アテネ
 都市国家間の戦争
 ギリシャペルシャ
 ギリシャ・ローマ
 ローマ・ヨーロッパ
 の戦争・・・
 古代中国
 朝鮮半島
 高句麗新羅百済
 三国
 と
 伽耶
 日本列島(九州・本州)
 での戦争・・・
 中南米、南米、北米
 での戦争も
 「武士道」なんかは通用しない
 「人間組織の縄張り利権の殺し合い」だった・・・
 「自然界の生物の生命維持の鉄則」は
 個々の生命体にとっては
 食物連鎖
 「弱肉強食」であり
 群れ家族、仲間にとっては
 彼らの枠内での
 暴力的強弱で決定された
 序列順序で
 得た獲物の
 食物分配の
 多寡が決定される
 ・・・全体の維持機能性は部分を犠牲にするのが鉄則・・・
 ・・・自然界のルール・・・人間社会のルールもお変わりなし・・・
 ↓↑
 同属、同種族であっても
 同族が増えれば
 食糧確保の為に
 異なった領域に
 分裂分化、独立して
 新たな家族、仲間形成と
 生活を維持する
 新たなテリトリー(領域・縄張り)を
 形成し
 それを侵す他の組織に対して
 戦い、防衛し
 自らの組織の全体としての命を繋いでいく
 当然にも部分的な犠牲は前提である
 ↓↑
 「生き物の宿命」は
 未来的な時間に於いて「種」の絶滅を避け
 「命」を繋いでいくというコトにつきる
 ↓↑
 協同体の「階級序列」は
 「組織協同体維持の自明の役割分担」で
 「社会組織維持の当然な管理分担」なのだ
 ↓↑
 もちろん
 「自然界の一部」を形成してきた
 「人間」も例外ではない
 古代~中世~近代~現代に吹聴されてきた
 「人道3原則」=「盗むな・騙すな・殺傷するな」
 は
 「十戎」以前からの「源社会」の
 「協同体⇔協同体維持⇔種族保存維持」の為の
 「秩序」上の「禁止ルール」である
 だが、状況によって
 「人道3原則」は
 「盗め・騙せ・殺傷しろ」の
 「推奨ルール」になる・・・
 ↓↑
 「共同体=協同体」組織それ自体が
 「全体維持」を目的として
 必要とした「王=階級トップ=指導者」
 「女王、男王=支配階級」⇔「被支配階級」
 を形成するのは必然であり
 「指導階級⇔従属追随階級」
 ↓↑      ・・・Epigonen(ドイツ語・エピゴーネン
            思想・文学・芸術をも超えた
           「社会生活」全般での
            追随者・・・
            原語はギリシャ語の
           「epigonos」で
           「後に生まれた者」の意・・・
           「前に生まれた者の狡猾な知識」に
 ↓↑        「学習し、洗脳されいく」のは当然である・・・
 の枠内での
 生命、生活維持は
 この
 個々人の「宿命的な暗黙の了解(?)」であり・・・
 それを保障するのが
 生から死への時系列で
 「犠牲」も必然的に引き受けねばならない
 「自由な選択」
 と言う
 「秩序」上の「哲学=観念」である・・・
 ↓↑
 生物の「ルール」は「食物連鎖のバランス」である・・・
 このルールは
 「人間諸関係」での
 「個々人の生命、生活の安全の無保障」・・・?
  or
 「個々人の生命、生活の安全の有保障」・・・?
 の
 家族生活
 近所生活
 市民生活
 国民生活
 国際社会の
 国家間の
 相互諸関係での生活
 すべてが
 宇宙、地球、地域、社会、家族での
 「相手」との
 状況に於ける諸関係でのコト・・・

 「まんが」や「映画」から飛び出した
 「確信犯」がワンサカ存在する「人間社会」・・・
 殺人を犯して
 「無期懲役」って、市民社会に「寄生」させて生かすって・・・?
 残骸原発現場での「重労働」か、「遠島」・・・
 今現在、生きているモノに
 「たしかなモノはナニもない」
 ならば
 「覚悟」アルのみ・・・???