多 品治(おほ の ほんじ・おほ の ほむぢ)・・・他翻字・・・?

 2829日目
 👞・👟・👡・👢=くつ=履⇔履歴書・・・「靴・舃・沓」の履歴?
ーー↓↑ーー
 おほの⇔おおの=大野・大納・大能・青野・多野・大埜・大濃・太野
  多・・・意富
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 多 品治(おほ の ほんじ・おほ の ほむぢ)
      太の本字? 姓は臣→朝臣 672年
 ↓↑
 多=夕+夕
   夕=セキ・・・夕方に現れて来る星々
   ゆう
   ゆうべ
   夕方・日暮れ
   夜
   年や月の末
   ↓↑
   一夕九徙(いっせききゅうし)
   一晩の間に何度も居場所が変わること
   一定の居場所にいないため
   どこにいるかわからないこと
   「一夕」は一晩
   「九」は数が多いことのたとえ
   「徙」は移動すること
   ↓↑
   中国の後漢の時代の
   李コウ=李 広(り こう、? - 紀元前119年)
   前漢時代の将軍
   文帝・景帝・武帝に仕えた
   綽名は飛将軍
   武勇に優れていたが
   戦功を認められることなく憤死
   匈奴から「飛将軍」と怖れられ
   のちに武勇に優れた武将は
   李広になぞらえ
   飛将軍と呼ばれ
   後漢末期の武将
   呂布も飛将軍と呼ばれた
   紀元前166年
   匈奴征伐に功
   郎となり
   文帝の側に騎士
   景帝の時代
   驍騎都尉
   周亜夫の下で
   楚七国の乱を鎮圧
   ただし
   梁王武の将軍に任じられていたため
   漢からは恩賞を受けられなかった
   ↓↑
   後に
   上谷太守、上郡太
   匈奴軍に囲まれ
   わざとゆっくり後退し
   伏兵があるように見せかけ
   匈奴軍は追わずに引き揚げた
   後
   隴西、北地、雁門、雲中の太守
   (北辺で匈奴に近い)
   を歴任
   ↓↑
   李広は
   暗殺を恐れ
   夜中に何度も居場所を変え
   同居している人ですら
   居場所が分からなかった故事
   出典『後漢書(蘇不韋伝)』
   蘇不韋=蘇+不+韋
     韋=𫝀+口+㐄
       イ
       なめす
       なめしがわ(鞣革・靼・鞣)
       毛を取り去って柔らかくした動物の皮
       毛を取り除き・やわらかくした皮
       そむく・たがう・行き違う
       かこい・かこう=囲
   韋+アルファ
   ↓↑
   韌(ジン・しなやか・やわらかで強い=靱)
   韎(バイ・バツ・茜色に染めた革
         その革で作った前掛け・ひざ掛け
         東方民族の舞楽の名)
   韍(韋+犮
     韋+友+丶
     韋+犬+丿
     フツ・祭礼用なめし皮の前掛け・ひざ掛け
        印璽用の組み紐)
   韑(光+韋
     ⺌+兀+韋
     ⺌+一+儿+韋
     イ・ひかり・ひかる)
   韐(韋+合
     韋+亼+口
     韋+人+一+口
     コウ・韎韐(バッコウ)=茜染めの前掛け
                 ひざ掛け
                 軍用の前掛け)
   韓(龺+韋
     十+日+十+韋
     カン・いげた・から・いげた・井戸のかこい
     戦国時代の七雄の一・馬韓辰韓弁韓三韓
   韔(韋+長
     チョウ・ゆぶくろ・ゆぶくろ・ゆみぶくろ
     弓を入れる袋・弓袋・ゆぶくろに弓を入れる)
   䪗(韋+叚・カ・くつ)
   韝(韋+冓
     韋+井+再
     韋+井+一+冉
     韋+二+丿+丨+再
     韋+二+丿+丨+一+冉
     韋+一+一+丿+丨+再
     韋+一+一+丿+丨+一+冉
     韋+井+一+冂+丨+一+一
     韋+二+丿+丨+一+冂+丨+一+一
     韋+一+一+丿+丨+一+冂+丨+一+一
     コウ・ゆごて
     弓を射るときに左腕につける防具
     韝鞴(コウビ)=ふいご・ふいごう)
   韙(是+韋
     日+一+龰+韋
     イ・よい・正しい・よしとする・同意する)
   韗(韋+軍
     韋+冖+車
     ウン・くつ・皮をなめす職人
           皮で鼓を張る職人
           革製の靴)
   韘(韋+枼
     韋+世+木
     ショウ・ゆがけ
     弓を射るときに、指を護るためにはめる道具)
   韜(韋+舀
     韋+爫+臼
     トウ・かくす・つつむ・ゆごて・ゆみぶくろ
     弓を入れておく袋
     ふくろ・剣を入れておく袋
     つつむ・おさめる・かくす・つつみかくす
     六韜(リクトウ)三略
     ゆごて・弓を射るときに左腕につける防具
   韞(韋+昷
     韋 囚 皿
     韋 日 皿
     韋 囗 人 皿
     ウン・オン・収める・包む・入れる・しまう
     かきいろ・赤色と黄色の中間色)
   韛(韋+艹+厂+用
     韋+艹+丆+用
     韋+艹+一+丿+用
     ハイ・ふいご・ふいごう
     火をおこすために
     風を送りだす革製の袋=鞴)
   韡(韋+華・イ・華やかなさま・美しいさま
          花の盛んなさま・咲き乱れるさま)
   韠(韋+畢・ヒツ・朝廷で用いたなめし皮の前掛け
           ひざ掛け)
   韣(韋+蜀
     韋+罒+勹+虫
     ショク・トク・ゆぶくろ・ゆみぶくろ
            弓を入れる袋・弓袋)
   䪜(韋+詹
     韋+厃+儿+言
     韋+⺈+厂+儿+言
     セン・障泥(あおり)
     馬具の名+馬の泥除けに用いられる物)
   䪝(韋+蒦
     韋+艹+隻
     韋+艹+隹+又
     コ・下緒(さげお)
     刀の鞘を帯に結びつけるためのもの
     しばる・束ねる)
   韤(韋+蔑
     韋+艹+罒+戍
     韋+艹+罒+戊+丶
     韋+艹+罒++丿+戈+丶
     ベツ・くつした・たび
        足袋(たび)・くつした=襪)
   ↓↑    ↓↑
       韋弦之佩(異言の葉意?)
         戒めのものを身につけること
       韋駄天走(異拿典叢?)
         足の速い人
       韋編三絶(異変・異編・纂是通?)
         同じ書物を何度も読むこと
       佩韋佩弦(配意葉異言?)
         自分の短所の改善に努めること
       布衣韋帯(不意異体?)
         官職についていない普通の人のこと
       藜杖韋帯(令状異体?)
         飾り気が無く慎ましいことのたとえ
 ↓↑
 蘇不韋 時年十八
 徴詣
 李公車
 會
 蘇謙
 見殺
 ↓↑
 蘇不韋
 載喪歸郷里
 瘞
 而不葬
 仰天嘆曰
 「伍子胥 獨 何人也!」
 ↓↑・・・楚の乾渓
      (安徽省亳州市利辛県)の人
       荘王から信頼された
       伍挙の孫
       楚の重臣を担った家柄
       伍子胥の父
       伍奢は
       平王の子
       太子建の
       太傅(侍従長兼教育係)
       直言清廉の人
       紀元前506年
       柏挙の戦い
       兵法の天才 孫武
       楚の地理と内情を知る 伍子胥
       が連戦連勝で
       楚の都郢を陥落させた
       平王は既に死んでいたので
       伍子胥は王墓を暴き
       平王の死体を300回に及び鞭打った
      「死者(屍)に鞭打つ」語源
       親友の
       申包胥に酷いと責められ
       伍子胥
      「日暮れて道遠し
       故に倒行してこれを逆施するのみ」
      「自分はもう年を取っているので
       やり方などは気にしておれないのだ」
      「時間は無いのにやるべきことは沢山ある
       だから焦って
       非常識な振る舞いをしたのだ」・・・
      「日暮れて道遠し(ひくれてみちとおし)」
       の故事
 ↓↑
 乃
 藏母
 於
 武都山中
 遂 變名姓
 盡
 以家財募劒客
 邀翬
 於諸陵輭
 不剋。
 ↓↑
 會
 李翬
 遷
 大司農
 時 右校芻廥
 在寺北垣下
 ↓↑
 蘇不韋
 與
 親從兄弟
 潛入廥中
 夜 則 鑿地
 晝 則 逃伏
 ↓↑
 如此 經月
 遂得傍達
 李翬之寢室
 出其牀下。
 ↓↑
 値翬在廁
 因殺
 其妾 并及 小兒、
 留
 書而去。
 ↓↑
 李翬 大驚懼
 乃
 布棘於室
 以
 板籍地
 一夕九徙
 雖 家人
 莫知其處。
 ↓↑
 毎出
 輒劒戟隨身、壮士自衛。
 ↓↑
 蘇不韋
 知
 李翬 有備
 乃 日夜飛馳、徑到魏郡
 ↓↑
 掘
 其父阜冢、斷取阜頭、以祭父墳
 又
 標之於市曰
 「李君遷父頭」。
 ↓↑
 李翬
 匿 不敢言
 而
 自上退位、歸郷里
 私掩塞冢椁。
 ↓↑
 捕求
 蘇不韋
 歴歳不能
 憤恚感傷
 發病歐血死。
(『後漢書』列伝第二十一・蘇不韋伝)
 ↓↑
 蘇不韋という青年が
 父の
 蘇謙が
 李翬・・・翬=羽+軍=雉(きじ)
        キ
        ちぶ・とぶ
        鳥革翬飛(チョウカクキヒ)
        鳥が翼を広げ
        翬(とぶ・きじ)=あでやかに飛ぶ様
        両翼の宮殿の形容
 の逆恨みで
 殺された
 ↓↑
 蘇不韋は家財をなげうって
 親族と共に
 仇の李翬を付け狙った
 ↓↑
 李翬
 宦官と結んだ
 本人は大臣職
 ↓↑
 蘇不韋らは
 暗殺者を雇ったが果たせず
 李翬の住居の傍から
 隧道を掘り
 住居へ侵入し
 妾と子供を殺し
 犯行の書置きを残して去った
 ↓↑
 李翬は
 出歩く時は護衛を付け
 蘇不韋は
 李翬の故郷
 魏郡へ行き
 李翬の父の墓を暴き
 首を取って
 父の
 蘇謙の墓に供えた
 ↓↑
 李翬は職を辞し
 父の墓をもとに戻し
 蘇不韋を探したが見つからず
 怒りと悲しみで
 病を発して死んだ
 (『史記
  李広や
  涼武昭王
  李翬の本貫は「隴西成紀」)
 ↓↑ ↓↑
   一朝一夕(一兆一石?)
   花朝月夕(可聴解通籍?)
   初秋涼夕(書集良籍・碩?)
   朝盈夕虚(長英・張衛-籍拠・籍挙?)
   朝過夕改(長歌籍戎?)
   朝観夕覧(鳥観籍覧・鳥瞰跡乱
        兆巻赤覧・聴感籍覧?)
   朝不謀夕(貼付望籍?)
   朝聞夕死(長文碩詞・弔文籍詞?)
ー↓↑↓↑ー
 多 品治・・・多(おほの)の翻字(ホンジ)?
        品=口+吅
          口+口+口
          ヒン・ホン
          しな
          しな・しなもの
          いろいろな物・物品
          くらい・級・位階
          人がら・人格・人の性質
          等級
          評価ランク
          良し悪しの判断
          たぐい・種類
          物事の種類を数詞
          きまり・制度・基準・法則
          仏典で「章・編」
          日本語で
          律令制親王に賜った位
          品位は一品~四品まで
          商品・物品
          物に備わっている価値
          ねうち・ひん
          等級・品位・品格
          しなさだめをする・品評
          物の種類、分類
          品詞・品種
          親王に賜った位
 品(ホン)⇔本  品(ホン)⇔本
 品治=ホンジ=本字・翻字・本寺・本地・本児・本旨
 日本書紀・巻二十八(壬申紀)
 ↓↑
 古事記・序文
 ここに
 天皇詔りたまわく
 「朕聞く
  諸家のもてる帝紀および本辭
  既に正實に違ひ
  多く虚僞を加ふと
  今の時にあたり
  その失を改めずは
  いまだ幾年を経ずして
  その旨、滅びなむとす。
  これすなわち
  邦家の經緯、王化の鴻基なり。
  故
  これ帝紀を撰録し
  旧辞を討覈して
  偽りを削り
  実を定實めて
  後の葉に
  流へむと欲ふ」
 とのりたまひき。
 ↓↑
 時に
 舍人、有り
 姓は稗田
 名は阿禮。
 ↓↑
 年はこれ廿八。
 ↓↑
 人と爲り聰明にして
 目に度れば
 口に誦み
 耳に拂るれば
 心に勒す。
 ↓↑
 即ち
 阿禮に
 勅語して
 帝皇の日繼
 及び
 先代の旧辞
 誦に習はしめたまひき
 然れども運移り世異りて
 未だその事を
 行ひたまはざりき。
 ↓↑
 伏して惟うに皇帝陛下
 一を得て光宅し
 三に通じて亭育したまふ。
 紫宸に御して
 徳は馬の蹄の極まる所に被び
 玄扈に坐して
 化は
 船の頭の逮ぶ所を照らしたまふ。
 日浮かびて暉を重ね
 雲散ちりて烟に非ず
 柯を連ね穗を并す瑞
 史書すことを絶たず
 烽を列ね
 訳を重むる貢
 府空しき月無
 名は
 文命よりも高く
 徳は天乙にも冠りたまへりと
 謂ひつべし。
 ↓↑
 ここに
 舊辭の誤り忤へるを惜しみ
 先紀の謬り錯れると正さむとして
 和銅四年九月十八日
 を以ちて
 臣
 安萬侶に詔りして
 稗田阿禮
 が誦む所の
 勅語の舊辭を撰録して
 獻上せしむといへれば
 謹みて詔旨のまにまに
 子細に採りひぬ。
 ↓↑
 然れども
 上古の時は
 言と意を
 並朴にして
 文を敷き
 句を構ふること
 字におきて
 即ち
 難し。
 已に
 訓によりて述べたるは
 詞心におよばず。
 全く音を以て連ねたるは
 事の趣さらに長し。
 是をもちて今
 或は
 一句の中に
 音訓を交いて用ゐ
 或は
 一事の内に
 全く訓を以ちて録す。
 即ち
 辭理の見えがたきは
 注を以ちて明かにし
 意况の解り易きは
 更に注せず。
 また
 ↓↑
 姓おきて
 日下を
 玖沙訶といひ
 ↓↑
 名におきて
 帶の字を
 多羅斯
 といふ。
 ↓↑
 かくの如き類は
 本のままに改ず。
 大抵
 記す所は
 天地の開闢より始めて
 于
 小治田の御世に訖る
 故
 天御中主神
 以下
 日子波限建鵜
 草葺不合尊
 以前を上卷となし
 神倭伊波禮毘古天皇
 以下
 品陀御世以前を中卷となし
 大雀皇帝
 以下
 小治田大宮
 以前を下卷となし
 并せて三卷に録して
 謹みて獻上る。
 臣安萬侶
 誠惶誠恐
 頓首頓首。
 ↓↑
 和銅五年正月二十八日
 正五位上勲五
 等
 太
 朝臣
 安萬侶
 謹上。     
 ↓↑
 壬申の乱
 天武天皇元年
 六月二十四日~七月二十三日
 ユリウス暦
 672年7月24日~8月21日
 ↓↑
 大海人皇子天武天皇)の側
 莿萩野を守って敵を撃退
 冠位は小錦
 ↓↑
 美濃国
 安八磨郡(安八郡)の
 湯沐令で
 皇子の生計を支える
 封戸を管理する役職
 大海人皇子
 行動をおこす
 2日前の
 6月22日
 村国男依
 和珥部君手
 身毛広
 ら3人は
 美濃に先行を命じ
 任務は
 ↓↑
 多 品治
 ↓↑
 に連絡し
 安八磨郡を挙兵させること
 その任を果たし
 美濃の兵3千が
 大海人皇子のために
 不破道を塞いだ
 大海人皇子
 東国の兵力を結集
 ↓↑
 7月2日 美濃で
 大海人皇子
 数万の軍を 二手に分け
 一軍を伊勢国の大山越えで大和国
 一軍を直接近江国に入らせることを命じた
 品治は
 紀阿閉麻呂
 三輪子首
 置始菟
 と共に大和に向かう軍を率いた
 後
 品治は別命を受け
 3千の兵と共に
 莿萩野(たらの)に駐屯
 莿萩野=伊賀(伊勢国
 大和⇔伊賀⇔伊勢⇔美濃
 の連絡線の伊賀を守る位置
 田中足麻呂が
 近江と伊賀を結ぶ
 倉歴道の守備についた
 ↓↑
 対する
 大友皇子側の将
 田辺小隅は
 5日
 倉歴に夜襲
 守備兵は敗走し
 足麻呂は一人逃亡
 小隅の軍は
 翌日
 莿萩野を襲おうとしたが
 多品治がこれを阻止、追撃
 小隅は逃亡
 以後
 大友方の軍勢の襲撃はなかった
 ↓↑
 天武天皇12年(683年)12月13日
 多品治は
 伊勢王
 羽田八国(羽田矢国)
 中臣大島
 と共に
 判官・録史・工匠
 などの部下を引き連れて全国を巡り
 諸国の境界を定めた
 多品治の位は小錦
 ↓↑
 天武天皇13年(684年)11月1日
 多臣など
 52氏は新たに朝臣の姓を授かった
 ↓↑
 天武天皇14年(685年)9月18日
 天武天皇
 皇族・臣下と
 大安殿で博打
 天皇は大安殿の中に
 皇族と臣下は殿の前に位置
 多品治はこの日に
 天皇の衣と袴を与えられた
 10人の中の一人
 ↓↑
 持統天皇10年(696年)8月25日
 多品治は
 直広壱
 と物を与えられた
 壬申の乱で関を守った褒賞
 多品治を・・・緒保(他・妥)の本をオサム?
 太安万侶
 の父とする説・・・
 (『阿蘇家略系譜』)・・・
 健磐龍命の後裔氏族である
 阿蘇氏・・・
 神武天皇の皇子
 神八井耳命
 阿蘇氏(姓は君)などの祖
 意富氏(姓は臣)
 火 氏(姓は君)
 大分氏(姓は君)
 などとは同祖(古事記)・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・