真福八端=真福九端(シンプクキュウタン)=真福詞・真福字発端?

 2828日目・文字霊日記

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 山上=サンジョウ=・・・山上の垂訓
 憶良=良く憶えろ=記憶・・・
  ↓↑
 大宝元年(701)正月
 第七次遣唐使
 少録(ショウさかん)
 に任命
  ↓↑
 山上の垂訓(説教)
  ↓↑
 新約聖書
 『マタイによる福音書』第5章~7章
 『ルカによる福音書』第6章
 イエスが山の上で
 弟子たちと
 群集に語った教え
  ↓↑
 章頭(マタイ福音書5章3節~10節)
 「幸福なるかな」
 と8回繰り返される
 幸福の説教=真福八端=真福詞
       ・・・・・真福字発端?
 「正教会
 5章12節前半
 「幸いなり
  ・・・天には
     爾等(おれら・なんじら)の
     報い多ければなり」
 までの
 9句の構成とし
 真福九端(シンプクキュウタン)
ーーーーー
 2019年12月21日0時土曜日

 2019年 干支36 己亥(戊・甲・壬)年
  12月 干支13 丙子(壬・ ・癸)月
  21日 干支29 壬辰(乙・癸・戊)日
ーーーーー
 真福寺
  ↓↑
 所在地 愛知県名古屋市中区大須2-21-47
 位置  北緯35度9分35.13秒
     東経136度53分58.23秒
 山号  北野山
 院号  宝生院(寶生院)
 宗派  真言宗智山派
 寺格  別格本山
 本尊  聖観音
 創建年 元弘三年(1333年)
 開基  能信
 正式名 北野山
     真福寺
     寶生院
 札所等 日本三大観音
     東海三十六不動尊10番
     尾張三十三観音1番
     なごや七福神布袋霊場
     大名古屋十二支主管寺
 文化財 真福寺文庫
     古事記 写本他(国宝)
     絹本著色仏涅槃図他(重要文化財
  ↓↑
 愛知県
 名古屋市
 中区
 大須
 真言宗
 智山派の
 別格本山
 通称 大須観音
 真福寺本を所蔵
  ↓↑
 大須観音(おおすかんのん)
 真言宗
 智山派の
 別格本山・・・別に書く本の纂・・・?
 本尊は聖観音
 寺号は
 「北野山
  真福寺
  宝生院(ほうしょういん)」
 宗教法人公称は「宝生院」
 一般には「大須観音
 日本三大観音の一
 なごや七福神の一の
 布袋像を安置
 『古事記
 の最古写本、貴重書を多数蔵する
 「真福寺文庫」
  ↓↑
 建久年間・・・・・・建(たける)久(ひさしい=比差思惟)?
     日本武=大和建=倭男具那=小碓命
 (1190年代)
 尾張国
 中島郡
 長庄
 大須
 に
 中島観音が発祥
 元亨四年
 (1324年)
 「後醍醐」天皇・・・建武中興・1334年
 が
 大須郷(岐阜県
     羽島市
     桑原町
     大須
 に
 北野
 天満宮を創建
 元弘三年(1333年)
 同社
 別当寺として・・・別当字(時・治・地・辞・知・智)
 僧
 能信・・・能=ム+月(肉・ジク)+ヒ+七(匕・牝)
      信=イ(人)+言(亠+二+口)
 が創建した
 真福寺・・・「心腹・信伏・震幅・振幅・新福」+ジ
 が始まり
 後
 「後村上」天皇により
 伽藍建立
 勅願寺となった
 四天王寺
 観世音菩薩を移して
 本尊とした
  ↓↑
 三代目住職
 「任瑜」法親王
 の時
 寺領一万石
 伊勢・美濃・尾張三河遠江信濃
 六ヶ国の
 真言宗寺院・・・真言相似韻?
 の
 末寺・・・まつじ(枩時・俟時・奠時)?
      すえじ(陶字・須恵字)?
 となった
  ↓↑
 戦国時代
 「織田信長
 により
 寺領五百石が寄進
  ↓↑
 慶長十七年
 (1612年)
 徳川家康
 の命令で
 犬山城
 成瀬正茂によって
 大須郷(岐阜県羽島市桑原町大須
 から現在地に移転
  ↓↑
 文化十二年(1815年)
 五重塔建立
 「空海」が彫った
 愛染明王像が
 五重塔内に安置
  ↓↑
 明治二十五年(1892年)
 3月21日
 宝生座(芝居小屋)裏手から出火(大須大火)
 本堂、五重塔
 仁王門
 を焼失
 4月
 大須の大火で焼失した
 本堂、五重塔、仁王門を再建する為
 「再建寄附金帳」に
 再建の為に
 本堂、五重塔、仁王門の
 建地割図(設計図)が描かれ
 本堂、五重塔、仁王門に関する
 再建内容が5丁で記録
 後に
 本堂と仁王門は再建
 五重塔は再建されなかった
 昭和20年
 (1945年)
 名古屋大空襲で2度目の焼失
 昭和24年
 (1949年)
 仮本堂と仁王門が建立
 昭和45年(1970年)
 鉄筋コンクリートで再建
 ↓↑
 戦前
 観音よりも
 大須で賑わっていた寺は
 七堂伽藍の七寺
 戦後
 七堂伽藍は再建される事はなく
 大須観音が再建され
 大須の地名は
 大須観音門前町が発祥
 ↓↑
 真福寺文庫(大須文庫)
 醍醐寺根来寺と共に日本三経蔵の一
 仁和寺根来寺と共に本朝三文庫の一
 15,000冊もの古典籍を所蔵
 真福寺本、大須本と言われる
 ↓↑
 国宝の
 『古事記』は
 「真福寺古事記
 同書の現存最古の写本
 ↓↑
 「古事記
 (こじき・ふることふみ・ふることぶみ)」
 日本最古の歴史書・・・
 和銅五年
 (712年)
 「太安万侶」が編纂
 「元明天皇」に献上
 「上・中・下の三巻」
 天地開闢推古天皇
 まで記述
 養老四年
 (720年)
 編纂の
 『日本書紀』より
 『古事記』は
 出雲神話を重視
 「六国史
 和銅五年を含む
 『続日本紀』に
 『古事記』への言及がない・・・
 「偽書説」も・・・
 序文のみ
 or
 本文も
 偽書・・・
 ↓↑
 賢瑜
 『真福寺古事記
 建徳二年(1371)~建徳三年(1372)
 応安四年(1371)~応安五年(1372)
 ↓↑
 真福寺の二代住職信瑜の弟子賢瑜によって書写された写本
 真福寺の僧
 賢瑜
 が師
 信瑜の命を受けて書写
  ・・・「真福寺-究探」・・・
ー↓↑ーーーー↓↑ーーー↓↑
 山上の垂訓↓↑ーーー↓↑
 編上   真福字 九端(シンプクキュウタン)
 と呼ぶ
 幸福の説教の第1文(マタイ5:3)
 「全き謙遜」にある状態を幸いとする
 「地の塩、世の光」
 「右の頬を打たれれば、左も向けなさい」
 「汝の敵を愛せよ」
 「裁くな、裁かれないためである」
 「人からしてもらいたいと
  あなたが望むことを
  人々にしなさい」(イエスの黄金律) 
 「敲けよ、さらば開かれん」
 「狭き門より入れ」
 日本語
 「豚に真珠」
 「砂上の楼閣」
  ↓↑
 山上の垂訓の場所
 ガリラヤ湖の西の小高い丘・・・
 湖の北端、カペナウム近郊・・・
  ↓↑
 「祝福の山(Mount of Beatitudes)」
 丘の上に
 「山上の垂訓教会」
  ↓↑
 マタイ伝
 5章1節
 イエスはこの群衆を見て
 山に登り、座につかれると
 弟子たちが
 みもとに近寄ってきた
 ↓↑
 そこで
 イエスは口を開き
 彼らに教えて言われた
 ↓↑
 「こころの貧しい人たちは
  さいわいである
  天国は彼らのものである」
 ↓↑
 「悲しんでいる人たちは
  さいわいである
  彼らは慰められるであろう」
 ↓↑
 「柔和な人たちは
  さいわいである
  彼らは
  地を受けつぐであろう」・・・天ではない
 ↓↑
 「義に飢えかわいている人たちは
  さいわいである
  彼らは
  飽(あ)き足りるようになるであろう」
  ・・・ナゼ、アキたりる、のか・・・
    「ギ」はモウ、「沢山」であるカラ・・・?
 ↓↑
 「あわれみ深い人たちは
  さいわいである
  彼らは
  あわれみを受けるであろう」
 ↓↑
 「心の清い人たちは
  さいわいである
  彼らは
  神を見るであろう」・・・普段は視えない存在?
 ↓↑
 「平和を・・・タイラ(平)かに、ナギ(和)る
        多比良   かに、薙ぎ   る
        武力平定・天下布武・・・?
  つくり出す
  人たちは
  さいわいである
  彼らは
  神の子と呼ばれるであろう」
 ↓↑
 「義のために
  迫害・・・・・・・・・迫=白+辶=廹=白+廴
  ↓↑            辶=====廴
             白が瀬間って害する
               勢馬って
               逼って=逼迫
               逼=辶+畐
                 辶+一+口+田
               畐=ヒョク・フク
                 容器・足のない鬲
                 いっぱいになる
                 満ちる・布の幅
                 いっぱいに塞がる
  ↓↑            ぎゅう詰めになる
  されてきた人たちは
  さいわいである
  天国は彼らのものである」
 ↓↑
 「わたしのために
  人々が
  あなたがたを
  ののしり、また迫害し
  あなたがたに対し
  偽って様々の悪口を言う時には
  あなたがたは
  さいわいである」
 ↓↑
 「喜び、よろこべ
  天において
  あなたがたの受ける報いは大きい
  あなたがたより前の預言者たちも
  同じように
  迫害されたのである」
 ↓↑
 「あなたがたは、地の塩である
  もし
  塩のききめがなくなったら
  何によって
  その味が取りもどされようか
  もはや
  なんの役にも立たず
  ただ外に捨てられて
  人々にふみつけられるだけである」
 ↓↑
 「あなたがたは、世の光である
  山の上にある町は
  隠れることができない」
 ↓↑
 「また
  あかりをつけて
  それを
  枡の下におく者はいない
  むしろ
  燭台の上において
  家の中の
  すべてのものを
  照させるのである」
 ↓↑
 「そのように
  あなたがたの光を人々の前に輝かし
  そして
  人々があなたがたの
  よいおこないを見て
  天にいます
  あなたがたの父を
  あがめるようにしなさい」
 ↓↑
 「わたしが
  律法や預言者
  廃するためにきた、と思ってはならない
  廃するためではなく
  成就するためにきたのである」
 ↓↑
 「よく言っておく
  天地が滅び行くまでは
  律法の一点、一画もすたることはなく
  ことごとく
  全うされるのである」
 ↓↑
 「それだから
  これらの最も
  小さい戒(いまし)めの一つでも破り
  また
  そうするように
  人に教えたりする者は
  天国で
  最も小さい者と呼ばれるであろう
  しかし
  これをおこない
  また
  そう教える者は
  天国で
  大いなる者と呼ばれるであろう」
  ・・・天国・・・
  そこは
  呼ばれる必要のない場所なのでは・・・?
 ↓↑
 「わたしは言っておく
  あなたがたの義が
  律法学者や
  パリサイ人の義に
  まさっていなければ
  決して天国に、はいることはできない」
 (マタイ 5:1~マタイ 5:20)
ーーーーー
 ルカ伝
 6章20節
 そのとき
 イエスは目をあげ
 弟子たちを見て言われた
 「あなたがた貧しい人たちは
  さいわいだ
  神の国はあなたがたのものである」
 ↓↑
 「あなたがた
  いま飢えている人たちは、さいわいだ
  飽き足りるようになるからである」
 ↓↑
 「あなたがた
  いま泣いている人たちは、さいわいだ
  笑うようになるからである」
 ↓↑
 「人々があなたがたを憎むとき
  また
  人の子のために
  あなたがたを
  排斥し、ののしり、汚名を着せるときは
  あなたがたはさいわいだ」
 ↓↑
 「その日には喜びおどれ
  見よ
  天において
  あなたがたの受ける報いは大きいのだから
  彼らの祖先も
  預言者たちに対して
  同じことをしたのである」
 ↓↑
 「しかし
  あなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ
  慰めを受けてしまっているからである」
 ↓↑
 「あなたがた
  今満腹している人たちは、わざわいだ
  飢えるようになるからである」
 ↓↑
 「あなたがた
  今笑っている人たちは、わざわいだ
  悲しみ泣くようになるからである」
 ↓↑
 「人が皆
  あなたがたをほめるときは
  あなたがたはわざわいだ
  彼らの祖先も
  にせ預言者たちに対して
  同じことをしたのである」
 ↓↑
 「しかし
  聞いているあなたがたに言う
  敵を愛し、憎む者に親切にせよ」
 ↓↑
 「のろう者を祝福し
  はずかしめる者のために祈れ」
 ↓↑
 「あなたの頬を打つ者には
   ほかの頬をも向けてやり
  あなたの上着を奪い取る者には
      下着をも拒むな」
 ↓↑
 「あなたに求める者には与えてやり
  あなたの持ち物を奪う者からは
  取りもどそうとするな」
 ↓↑
 「人々にしてほしいと
  あなたがたの望むことを
  人々にもそのとおりにせよ」
 ↓↑
 「自分を愛してくれる者を
     愛したからとて
  どれほどの手柄になろうか
  罪人でさえ
  自分を愛してくれる者を愛している」
 ↓↑
 「自分によくしてくれる者によくしたとて
  どれほどの手柄になろうか
  罪人でさえ
  それくらいの事はしている」
 ↓↑
 「また返してもらうつもりで
    貸したとて、どれほどの手柄になろうか
  罪人でも
  同じだけのものを返してもらおうとして
       仲間に貸すのである」
 ↓↑
 「しかし
  あなたがたは
  敵を愛し、人によくしてやり
  また
  何も当てにしないで貸してやれ
  そうすれば
  受ける報いは大きく
  あなたがたは
  いと高き者の子となるであろう
  いと高き者は
  恩を知らぬ者にも
  悪人にも
  なさけ深いからである」
 ↓↑
 「あなたがたの
  父なる神が
  慈悲深いように
  あなたがたも慈悲深い者となれ」
 ↓↑
 「人をさばくな
  そうすれば
  自分もさばかれることがないであろう
  また
  人を罪に定めるな
  そうすれば
  自分も罪に定められることがないであろう
  ゆるしてやれ
  そうすれば
  自分もゆるされるであろう」
 ↓↑
 「与えよ
  そうすれば
  自分にも与えられるであろう
  人々は
  おし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに
  量をよくして
  あなたがたの
  ふところに入れてくれるであろう
  あなたがたの量るその量りで
  自分にも量りかえされるであろうから」
  (ルカ 6:20 - ルカ 6:38)
 ・・・
 「精神性を重視したマタイ伝に対し
          ルカ伝の方は
  社会性、現実性を重視した表現になっており
  幸福と不幸の対比の形になっている」
 原文は・・・by 「ウィキペディアWikipedia)」・・・
ーーーーー
 ・・・
 山上 憶良(やまのうえ の おくら)
 ↓↑
 斉明天皇六年(660年)?
 ~
 天平五年(733年)?
 名は
 山於 億良
 とも
 『日本書紀
 天武天皇十五年五月九日条
 に
 「億仁」
 姓は臣
 官位は従五位下
 筑前
 大宝元年(701年) 正月二十三日 遣唐少録
 時期不詳 正六位下
 和銅七年(714年) 正月五日 従五位下
 霊亀二年(716年) 四月二十七日 伯耆
 神亀三年(726年)頃 筑前
 天平五年(733年)頃 卒去
 ↓↑
 「山の上の憶の良」
 山上の記憶の良(白𧘇・白𠄌乀ノ・白ヒ)し
 ↓↑
 大宝元年(701年) 正月二十三日:遣唐少録
 時期不詳:正六位下
 和銅七年(714年) 正月五日:従五位下
 霊亀二年(716年) 四月二十七日:伯耆
 神亀三年(726年)頃:筑前
 天平五年(733年)頃:卒去
 ↓↑
 山上憶良
 春日一族
 皇別氏族
 山上氏(山上臣)
 山上の名称
 大和国
 添上郡
 山辺
 の地名に由来
 山於(やまのえ)とも記録
 ↓↑
 憶良は
 天智・天武両天皇
 侍医を務めた
 百済
 憶仁の子
 百済滅亡で
 父親と共に日本渡来
 近江国
 甲賀郡
 山直郷に住み着き
 山上氏を称する
 土地の有力氏族
 粟田氏に従属し同族化・・・
 ↓↑
 大宝元年(701年)
 第七次
 遣唐使
 少録に任ぜられ
 大宝二年(702年)
 唐に渡り
 儒教、仏教など学問研鑽
 大宝の遣唐使
 執節使
 粟田真人
 同族の
 憶良を引き立てた・・・
 和銅七年(714年)
 正六位下から従五位下に叙爵
 霊亀二年(716年)
 伯耆
 養老五年(721年)
 佐為王
 紀男人
 らと共に
 東宮
 首皇子聖武天皇
 の侍講
 退朝の後
 東宮に侍す
 ↓↑
 神亀三年(726年)頃
 筑前
 神亀五年(728年)頃
 大宰帥
 大宰府に着任した
 大伴旅人
 と共に
 筑紫歌壇を形成
 天平四年(732年)頃
 筑前守任期を終えて帰京
 天平五年(733年)六月
 「老身に病を重ね
  年を経て辛苦しみ
  また児等を思ふ歌」
 藤原八束が
 見舞いに遣わせた
 河辺東人に対して
 「沈痾る時の歌」
 を詠む
 ↓↑
 山上船主は
 憶良の子・・・説
 ↓↑
 仏教や儒教の思想に傾倒
 死や貧、老、病
 など
 社会的な矛盾を観察
 重税に喘ぐ
 農民や
 防人に取られる夫を見守る妻など
 家族への愛情
 農民の貧しさなど
 社会的な優しさや
 弱者を鋭く観察した歌を多数詠んだ
 ↓↑
 代表的な歌
 『貧窮問答歌
 『子を思ふ歌』
 『万葉集』には78首
 大伴家持
 柿本人麻呂
 山部赤人
 らと共に奈良時代の代表歌人
 『新古今和歌集(一首)』
 以下の
 勅撰和歌集に五首が採録
 ↓↑
 神代(かみよ)より
 云(い)ひ伝(つ)て来(く)らく
 虚(そら)見(み)つ
 倭国(やまとのくに)は
 皇神(すめかみ)の
 いつく(厳)しき国
 言霊(ことたま)の
 幸(さき)はふ国(くに)と
 語(かた)り継(つ)ぎ
 言(い)ひ継がひけり・・・
 ↓↑
 (「神代欲理
   云傳久良久
   虚見通
   倭國者
   皇神能
   伊都久志吉國
   言霊能
   佐吉播布國等
   加多利継
   伊比都賀比計理」
   『万葉集』巻五~八九四)
 ↓↑
 いざ子ども
 はやく日本(やまと)へ
 大伴の御津(みつ)の浜松
 待ち恋ひぬらむ(唐にて詠んだ歌)
 (『万葉集』巻一-六三
  『新古今和歌集』巻十-八九八)
 ↓↑
 憶良らは
 今は罷(まか)らむ
 子泣くらむ
 それその母も
 吾(わ)を待つらむそ
 (『万葉集』巻三-三三七)
 ↓↑
 春されば
 まづ咲くやどの
 梅の花
 独り見つつや
 はる日暮らさむ
 (大宰府「梅花の宴」で詠んだもの)
 (『万葉集』巻五-八一八)
 ↓↑
 秋の野に
 咲きたる花を
 指折りて
 かき数ふれば
 七種(ななくさ)の花
 (『万葉集』巻八-一五三七)
 ↓↑
 瓜食めば
 子供念(おも)ほゆ
 栗食めば
 まして偲(しの)はゆ
 何処(いづく)より
 来たりしものぞ
 眼交(まなかい)に
 もとな懸りて
 安眠(やすい)し寝(な)さぬ
 (『万葉集』巻五-八〇二)
 ↓↑
 銀(しろがね)も
 金(くがね)も
 玉も
 何せむに
 まされる宝
 子に如(し)かめやも
 (『万葉集』巻五-八〇三
   今昔秀歌百撰 七
 ↓↑
 行く船を
 振り留めかね
 如何ばかり
 恋しかりけむ
 松浦佐用姫
 (『万葉集』巻五-八七四)
 ↓↑
 世の中を
 憂しとやさしと
 おもへども
 飛びたちかねつ
 鳥にしあらねば
 (『万葉集』巻五-八九三)
 ↓↑
 士(をのこ)やも
 空しくあるべき
 万代(よろずよ)に
 語り継ぐべき
 名は立てずして
 (『万葉集』巻六-九七八)
  『貧窮問答歌
ーーーーー
 ・・・???・・・「垂君=垂仁天皇」・・・?