鹿鳴館・呦呦と鹿は鳴き、野の苹〈よもぎ〉を食う・詩経(小雅)

 2809日目・文字霊日記
 W(ダブリュウ)之・・・奥州・欧州・桜洲・応酬・押収?
 酔う路通端(ようろっぱ)⇔讃良選・沙羅染(サラセン)・・・
 サラセン(Saracen)
      ・・・「さら・晒・曝・曬」せん・・・
      ・・・「さらすなッ、あばくなッ・曝せ、暴け」?
          曝=日+暴・・・曝露(ばくろ)・暴力
            日+日+㳟
            日+日+共+氺・・・日々、共に水の中?
            日+日+龷+八+氺
            日+日+卄+一+八+氺
            日+日+一+丨+丨+一+八+氺     
 古代ローマ人
 シリア付近の
 アラブ人に対して用いた呼称
 中世ヨーロッパではイスラム教徒をさす
 「イスラム=サラセン

      =大食(タージ)=caliphate)と呼ばれる政権・・・
          大食=アラブ部族
            =タイイ族 (Tayy)
            =タジク人・・・・太肉・多字句・截字句?
 アッバース朝=エジプト、バビロニアの伝統文化を基礎にし
        インド、アラビア、ペルシア、中華、ギリシア
        などの諸文明の融合させた「サラセン文化」・・・
   「ウンマ」=「イスラム共同体」のアラブ人支配階級の文化・・・
   「ウンマアラビア語で母と同義」
        現代では民族・国民・共同体などを意味
   「ウンマ・イスラーミーヤ=イスラーム共同体
                イスラーム国家」
ーーーーー
 応県(オウケン)・・・応じて懸ける?
 中国
 山西省・・・賛成・三世・参政・産生・酸性・纂成
 朔州市・・・朔(ついたち・サク)の・・・壱日・作・昨・咲
         朔=屰+月
           䒑+屮+月
           丷+一+屮+月
           䒑+凵+丿+月
           丷+一+凵+丿+月
           サク
           きた
           ついたち
           陰暦の月の最初の日
           朔(new moon)
           月と太陽の視黄経が等しくなること
           (本来
            月の始まりを
            日没時に見える
            月が
            観測される時点
            その時刻のことで
            観測出来るのは
            陰暦「三日月=朏」が「新月」)

f:id:naie:20191112203724j:plain

          「現今新月」と同義なのは
           暗月=闇夜=地球⇒月←太陽
           月の形は観測できない
           皆既日食金環日食時に
          「新月」の輪郭を見ることができる
           第一日
           天子が諸侯に与えたこよみ
           きた・方位の北
           十二支の第一番の子が北に位
           月食(lunar eclipse
           太陽→地球→月
           地球の影が月にかかり
           月が欠けて見える現象=月蝕

f:id:naie:20191112203728j:plain

       州(くに・ス・シュウ)の・・素・周・集
       市(いち・シ)・・・・壹・位置・史・詞
 唐朝
 により設置された
 金城県・・・・・金(かね)の城(しろ)を県(懸ける)?
 が前身
 五代十国時代・・・醐代拾故句字戴?
 後唐の・・・・・・語当・語等・語問(答)
 応州の州治・・・・応酬
 明朝
 が成立すると
 洪武初年に
 金城県は廃止
 応州直轄とされ
 1913年(民国二年)・・・民の国の二の年 州制廃止で
 応県と改称
 1949年~1952年
 察哈爾省
  ・・・察哈爾省(チャハル-ショウ)
     中華民国にかつて存在した省
     モンゴル族の部族名チャハルに由来
     塞北四省の一

f:id:naie:20191112203728j:plain

 ↓↑ ↓↑
 察=宀+祭
   サツ
   あきらか
   しる
   みる
   あきらか
   あきらかにする
   よく見る
   くわしく知る・くわしく調べる
   見分ける・区別する
   さっする・おしはかる・思いやる
   忖度?
   御明察
 ↓↑ ↓↑
   仰観俯察・・・行間譜冊?
     目に入る様々なものや、現象を観察すること
   察言観色・・・察元鑑識?
     人の言葉や表情
     顔の様子から相手の性格や考え方を見抜くこと
    「色」は表情や顔つき言葉を観察する
    「言を察して色を観る」とも読む
   彰往察来・・・照皇殺等意?
     昔の出来事を明らかにし
     先のことを予測すること
    「彰」は明らかにする意
    「察」は様々な事情を考えること
    「往を彰かにして来を察す」とも読む
   明察秋毫・・・名刹集合(習合)?
     どんな小さなことも見逃さない
     非常に優れた洞察力
    「秋毫」は秋に生え変わる獣の細い毛
     その細い毛さえも見分ける意
 ↓↑ ↓↑
 哈=口+合
   口+亼+口
   口+人+一+口
   コウ
   ゴウ
   ソウ
   ハ
   すする
   魚が数多く集まるさま
   魚が口をぱくぱく動かすさま
   すする・すすり飲む
   外国語の「ハ」の音訳
 ↓↑ ↓↑
 爾=一+八+冂+丨+㸚
   一+八+冂+丨+爻+爻
   一+八+冂+丨+㐅+乂+爻
   一+八+冂+丨+爻+㐅+乂
   一+八+冂+丨+㐅+乂+㐅+乂
 爾=尓=𠂉+小(亅+ハ)・・・髪挿しの鍵は葉?
   ジ
   ニ
   その
   なんじ
   おまえ・あなた
   二人称の代名詞
   その・それ
   この・これ・ここ
   かれ・指示代名詞
   しかり・しかく
   かくのごとし・そのとおり
  「のみ」と読み、「~だけ」の意
   他の語の下に添えて、状態を表す
 ↓↑ ↓↑
 の管轄
 1958年に廃止
 山陰県に編入・・・纂の韻(音)に懸ける
 1960年に再設置
 ↓↑ ↓↑
  中 井 桜 洲
 (なかい おうしゅう)
 幕末・明治の政治家・鹿児島藩
 幼名は休之進
 通称は弘
 十八才で・・・拾捌差異?
 脱藩・・・・・奪葉務?
 諸藩の
 志士と・・・・詩史・詩誌・史誌・誌紙?
 交遊
 後藤象二郎
 の知遇を得て
 英国に留学・・・イングリッシュ (English)
 ↓↑      英語(English language)
         イングリッシュ (Engrish)
         非英語圏の人が使う奇妙な英語
         音愚(具・倶・禺)理通諏?
         イングランド
         イングランド
        (English people
 ↓↑      Englishman or woman)
 帰国後
 宇和島藩
 伊達宗城
 に招かれ仕えた
 滋賀県知事
 元老院議官
 京都府知事
 等を歴任
 詩文を能くした
 明治二十七年(1894)歿、57才
 ↓↑ ↓↑
 中井 弘(なかい ひろし・ひろむ)
 天保九年十一月二十九日
 (1839年1月14日)
 ~
 明治二十七年
 (1894年10月10日)
 薩摩藩
 外交官、政治家
 号は桜洲(桜州山人)
 別名
 横山休之進、鮫島雲城、後藤休次郎
 田中幸介、中井弘蔵
 「鹿鳴館
 の名付け親
 著書に
 『合衆国憲法略記』
 『西洋紀行-航海-新説』
 『魯西亜-土耳其-漫遊記程』
 明治の怪傑、奇人、滑稽家
 ↓↑ ↓↑
 犬上県(いぬかみけん)⇔長浜県
 1872年(明治四年)
 近江国北部を管轄するために設置
 滋賀県北部や東近江市の大部分
 ↓↑ ↓↑
 犬上(いぬがみ)神社
 琵琶湖のほとり
 湖東の犬上郡中央部、豊郷町に鎮座
 犬上郡のある近江の国は
 百済から入植した帰化人が開いた土地
 犬上郡の地名にもなっている
 犬上氏は
 天日槍(あめのひぼこ)
 ↓↑ ・・・・『日本書紀』で
        「天日槍」
        『 古事 記』で
        「天之日矛
        他文献では
        「日桙(ひぼこ)」
        「天日槍命・天日桙命」
        「海檜槍(あまのひぼこ)」
        『日本書紀』の
         垂仁天皇三年三月条
         新羅王子と名乗る・・・・新羅
         天日槍が渡来し
         羽太の玉
        (はふとのたま) 1箇
         足高の玉
        (あしたかのたま) 1箇
         鵜鹿鹿の赤石の玉
        (うかかのあかしのたま) 1箇
         出石の小刀
        (いづしのかたな) 1口
         出石の桙
        (いづしのほこ) 1枝
         日鏡
        (ひのかがみ) 1面
         熊の神籬
        (くまのひもろき) 1具
 ↓↑      などを献上
 とともに
 百済から・・・百済
 渡来した豪族
 犬上郡の県主(あがたぬし)だった
 神社は犬上氏の祖を祀っている
 ↓↑ ↓↑
 犬族が蛇族を征伐?
 ↓↑ ↓↑
 王脩(王修)
 叔治
 魏. 生まれ
 青州北海郡営陵県
 王脩(オウシュウ)
 字は叔治(シュクジ)
 魏書列伝
 袁紹(エンショウ)始め
 北方の群雄への忠誠を誓い
 清廉忠直
 司空掾・行司金中郎将・魏郡太守を歴任
 賞罰を厳格に定めた法を制定
 建安二十一年(216年)
 大司農兼郎中令
 ↓↑ ↓↑
 アムル人
 紀元前2000年期前半
 中東各地で権力を握った諸部族
 アッカド語はアムル(Amurrū)
 シュメール語はマルトゥ(mar.tu)
 旧約聖書
 アモリ人=エモリ人
 ハムの子である
 カナンの諸部族の一
 アラム人と混同されるが
 全く別ものである
 ↓↑ ↓↑
 (Margat、Qalaat al-Marqab)
 ↓↑ ↓↑
 桜島
 古代に「鹿児島」と呼ばれていた
 1334年(建武元年)
 頃の記録では
 「向嶋」と呼ばれ
 1476年(文明八年)以降
 「桜島」の名称が記録に現れ
 その後
 「向嶋」と「桜島」の名称が併存
 1698年(元禄十一年)
 薩摩藩の通達で
 桜島の名称に統一
 「向嶋」の名称は
 東西南北どの方向から眺めても
 こちらを向いているように
 見えることに由来
 御岳は
 「筑紫富士」とも
 ↓↑ ↓↑
 「桜島」の名称由来
 三説
 島内に
 木花咲耶姫命を祭る神社が在った
 島を「咲耶島」と呼んでいたが
 転訛して「桜島」となった
 『麑藩名勝考』『三国名勝図会』
 10世紀中頃
 大隅守を勤めた
 桜島忠信の名に由来
 ↓↑ ↓↑
  桜  島  忠 信
 (さくらじま ただのぶ)
 平安時代中期の官人
 姓は宿祢
 官位は外従五位下大隅
 姓は櫻嶋
 文章生
 大学寮の
 字(あざな)では
 櫻藝と称され
 文章生の年長者としての堂監を務めた
 4年にわたり堂監
 除目で任官の機会に恵まれず
 一方で大学寮に属していない者が
 財力を背景に
 文人職を得
 憂いた忠信は
 官位の売官が横行していると
 批判し
 官吏社会の腐敗を鋭く諷刺した
 落書を出した
 本朝文粋には
 『桜島忠信落書』として収録
 この落書によって
 忠信の大隅守が決まった・・・
 ↓↑ ↓↑
 大隅守となった忠信は
 在庁官人らの職務怠慢を糾問するため
 郡司を召した
 白髪の翁が出てき
 白髪の翁を見て憐れに思った忠信は
 翁に一首詠ませた
 『老いはてて
  雪の山をばいただけど
  霜と見るにぞ
  身はひえにけり』
 と返した
 忠信は、翁の罪を赦した・・・
 逸話は
 『今昔物語集
 『宇治拾遺物語
 にも収録
 地名の桜島は忠信の姓から由来・・・
 『麑藩名勝考』
 ↓↑ ↓↑
 海面に
 一葉の桜の花が浮かんで「桜島」ができた・・・
 『麑藩名勝考』
 ↓↑ ↓↑
 「鹿鳴」=『詩経(小雅)』
     「鹿鳴の詩」に由来・来客をもてなす語
     「呦呦鹿鳴、食野之苹
     (呦呦と鹿は鳴き
      野の苹〈よもぎ〉を食う)」
ーーーーー
 ・・・???・・・