「立春」・・・土筆坊か、福寿草か・・・「庚子」イヴ
2853日目・文字霊日記
情報を握るモノが権力を握る⇔不比等・降使徒・史・書記長
「立春」・・・土筆坊か、福寿草か・・・
ーーーーー
2020/2/4
己亥(戊甲壬)食神・正官 胎
丁丑(癸辛己)比肩・食神 墓
丁丑(癸辛己) ・食神 墓
丙午(丙 丁)劫財・比肩建禄
ーーーーー
「年始」・・・
2020/2/5
庚 子(壬 癸)食神・偏財 胎
戊 寅(戊丙甲)比肩・比肩長生
戊┏寅(戊丙甲) ・比肩長生
戊┗午(丙 丁)比肩・偏印帝旺
ーーーーー
なぜ、「書記長」なのか・・・?
非委員長、非議長・・・文麿・史麿・文磨
・・・史人・不比等・降使徒
・・・不見円・史麻呂・書(ふみ)麿?
舎人親王=舎・・・𠆢+土+口=𠆢+十+一+口
+
人・・・ノ+丶(乀)
崇道尽敬皇帝=尽敬天皇
舎人=とねり=譯音理
舎人=シャジン=写訊
史蛙儘(ジン・つくし・筑紫)
↓↑
天武天皇五年(676年)
誕生
母 新田部皇女
↓↑
持統天皇九年(695年)
浄広弐
大宝元年(701年)
大宝令に伴う位階制度の移行で
二品
養老二年(718年)
一品
↓↑
養老三年(719年)
元正天皇より
異母弟の
二品
新田部親王とともに
皇太子
首皇子(聖武天皇)の補佐
内舎人・大舎人・衛士・封戸
を与えられた
↓↑
養老四年(720年)
五月
「日本書紀・(紀三十巻・系図一巻)
を奏上
八月
右大臣
藤原不比等
薨去
舎人親王は
知太政官事に就任
太政官の首班
知五衛
及
授刀舎人事
新田部親王
および
右大臣(のち左大臣)
長屋王とともに
皇親政権樹立
↓↑
神亀元年(724年)
聖武天皇即位
封500戸を加増
藤原氏寄りに傾斜
藤原四子政権の成立に協力
↓↑
神亀六年(729年)
二月
長屋王の変
新田部親王らと共に
長屋王を糾問し、自害せしめた
八月
藤原不比等の娘
光明子
立后の勅を宣べる
↓↑
天平三年(731年)
八月
公卿らが
死亡、病気によって不政務
政務に耐えうる人材の推薦の勅宣
藤原宇合
麻呂
兄弟ら六名が参議に任官
藤原四兄弟全員が
議政官に加えられた
↓↑
天平七年(735年)
九月
新田部親王
薨じ
舎人親王は
彼の邸宅に遣わされ
天皇の弔意を伝達・・・天然痘に感染?
1ヶ月半後
十一月十四日・・・・・十一月十四日=25?
平城京で薨去・享年六十
知太政官事一品
↓↑
天平宝字二年(758年)・・・58-35=23年後
第七王子
大 炊 王
(おほいのおおきみ・淳仁天皇・淡路廃帝)即位し
天平宝字三年(759年)
六月十六日・・・・・・・六月十六日=66?
崇道 尽(盡) 敬 皇 帝
(すどうじん きょうこうてい)
と追号
崇=山+冖+示(二小・二亅八)
道=首+辶
首皇子(おびと)=聖武天皇
天 璽 国 押 開 豊 桜 彦 天皇
(あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみこと)
勝 宝 感 神 聖 武皇帝
(ショウㇹウカンジンショウムコウテイ)
沙 彌弥勝 満・・・彌(弓爾)=弥(弓尓)
(しゃみしょうまん) 爾(丅八冂爻爻)
尓(𠂉小・𠂉亅八)
盡=⺻+灬+皿=つくす=尽・悉・殱・殄・竭・釂
つくし=筑紫・土筆・都筑
譯句史
就くし・附くし・点くし
突くし・衝くし・搗くし
憑くし
肀⺻𦘒・・・肀⇔手・熊手・帚(箒)
帚星=彗星
定慧=定惠=貞恵=中臣真人
=藤原鎌足の長男
『日本書紀』巻二五
白雉五年二月条
「定惠 以 乙丑年
付 劉徳高 等船歸」
・・・劉徳高・劉仁願・劉仁軌・郭務悰・・・
慧=めぐみ=恵=惠
惠=十+日+ム+心
聿・・・書=かく=描・画・確・郭・格
晝(昼)=ひる=蛭・蒜・肥留
聿 (⺻)?
聿=肀+二
肀+一+一
イチ
イツ
おさめる
のべる
ふで
筆・書く
とうとう・ついに
自分から・自ら
修める・述べる
すばやい・すばやく走る
共に・従う
藎=艸(艹)+盡
艸(艹)+⺻+灬+皿
シン
ジン
藎草(ジンソウ)
イネ科の植物
黄色の染料に用いられる
忠誠をささげる・忠実な
燃え残り・残り火・藎灰⇔塵灰?
敬=艹句+攵
皇帝=白+王+亠+丷+冖+巾
コウテイ
更訂・校訂・公定・行程・項綴・項貞
↓↑
天平宝字八年(764年)
十月十四日
淳仁天皇は
淡路島へ流された
『新唐書』日本伝 「大炊」
『宋史』 日本伝 「天炊天皇」
と記録
10世紀
宋に渡った僧
「奝然」・・・奝然(チョウネン)・・・奝=大+冂+吉?
奝⇔大+冂+‡+口・・・?
↓↑ 天慶元年一月二十四日
(938年2月25日)
~
長和五 年三月十六日
(1016年4月25日)
大運1015年3月(77歳)~1025年
丙午正官
丁 ┏酉(庚 辛)偏官・比肩建禄⇔┏丙辰
癸 ┏丑(癸辛己)食神・偏印 養⇔┗辛卯
辛 ┗未(丁乙己) ・偏印 衰⇔ 庚申
甲 ┗午(丙 丁)正財・偏官 病⇔ 壬午
戌亥空亡 1016年4月25日
永観一 (983) 年
東大寺と延暦寺の信書をたずさえ
宋商船に便乗して入宋
翌年太宗に謁し
紫衣を賜わり
法済大師の号を受けた
寛和二 (986) 年
『釈迦如来像』や
大蔵経 5048巻
『十六羅漢画像』をもって帰朝
永祚一 (989) 年
東大寺に住した
のち京都嵯峨に
清涼寺を建立
↓↑
が伝えた『王年代紀』を参照したもの・・・
↓↑
諡 淳仁天皇
1870年8月20日
(明治3年7月24日)
諡号勅定・・・?
諱 大炊
別称 淡路廃帝、大炊王
父親 舎人親王
母親 当麻山背
夫人 粟田諸姉
子女 安倍内親王・・・???安部≠阿部
↓↑ ↓↑
安倍 内 親王・・・・・阿部皇女=孝謙・称徳天皇?
(あべ ないしんのう) 「阿倍内親王」
生前に「宝字称徳孝謙皇帝」の尊号
「高野天皇(続日本紀)」
「高野姫天皇」
「倭根子天皇
(やまとねこのすめらみこと)」
史上六人目の女帝
天武系の最後の天皇
以後の女帝は
第百九代
↓↑ ↓↑ 明正天皇(在位1629年~1643年)
霊亀三年=養老元年(717年)
多治比県守・第九次遣唐使・・・阿部仲麻呂・唐都・長安留学
天平五年(733年)多治比広成・第十次遣唐使・・・阿部仲麻呂が長安で出迎え
↓↑ ↓↑ (阿部仲麻呂=朝衡=チョウコウ=晁衡)
衡=彳+𩵋+亍
𩵋=魚=鱼
↓↑ ↓↑
安部内親王≠阿部皇女
安≠阿・・・???
↓↑
伊勢斎宮
淳仁天皇の娘
母は不詳
父の即位前
山於女王(やまのうえのじょおう)
即位後
斎宮に卜定
内親王宣下により
名を改め
「安倍内親王」・・・
となった
天平宝字五年
八月二十九日
(761年10月2日)
大祓
天平宝字六年九月
伊勢へ群行
天平宝字八年
十月九日
(764年11月6日)
父の廃位により退下
後
磯部王(長屋王の孫・高階氏の祖)
=磯=石+幾=いそ
石の幾何?
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
磯部 浅一(いそべ あさいち)
1905年(明治38年)4月1日
~
1937年(昭和12年)8月19日
大運1933年2月(27歳)~1943年
丙 子 丙┏子 偏官死
┣支合己
乙 巳(戊庚丙)正財・偏官長生⇔丙┏子⇔丁┗丑
己┏卯(甲 乙)印綬・正財 胎⇔庚┏寅⇔戊┏申
┣冲己
庚┣午(丙 丁) ・正官沐浴⇔戊┣寅⇔戊┗寅
┣三合 ┣三合丙
壬┗午(丙 丁)食神・正官沐浴⇔戊┗午⇔戊┗午
戌亥空亡 1936年2月26日 ~1937年8月19日
支破(月日)卯午
支破(月時)卯午
自刑(日時)午午
大運
支冲(日年)午子
支合(日月日)午寅寅
流年
支冲(日年) 午子
支合(日月日)午寅寅
六害(日年) 丑午
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
陸軍軍人
皇道派青年将校
陸軍幼年学校、陸軍士官学校(38期)
陸軍歩兵将校
中尉の時に経理部に転科
陸軍一等主計の時
陸軍士官学校事件により停職
「粛軍に関する意見書」配布により免官
二・二六 事件
決起将校らと行動を共にし
軍法会議で死刑判決を受けて刑死
↓↑ ↓↑
の妃となって
「石見王(いわみおう)」・・・?・・・磐余彦?
石+見=硯(すずり)・・・墨を溶く・鈴里
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
・・・石見銀山=島根県大田市
大森銀山
佐摩銀山(さまぎんざん)
銀鉱石=福石(ふくいし)
『石見銀山旧記』
鎌倉時代末期
1309年(延慶二年)
周防
大内弘幸が石見に来訪し
北斗妙見大菩薩(北極星)
の託宣により銀を発見
1526年
博多商人
神谷寿貞
が鉱山開発
灰吹法で
酸化鉛の
粉塵を吸い込んだ作業員は
急性、慢性の
鉛中毒を発症
↓↑ ↓↑
岩見沢(北海道)
山口県・鳥取県ほか10県から
士族集団移住により開拓
開拓者が休泊所で
浴(ゆあみ)をし
「浴澤(ゆあみさわ)」と称され
転訛し「岩見澤」・・・?
和名由来の自治体名・・・?
入植者の故郷の地名だろう・・・
岩見の澤・宮城の澤
↓↑ ↓↑
岩見重太郎(いわみじゅうたろう)
安土桃山時代の伝説的剣豪
小早川家に、のち秀吉に仕え
薄田隼人 (すすきだはやと)
↓↑ と名のり、大坂夏の陣で討ち死
を産んだ
↓↑
歴史
↓↑
史=中+乂=中+又
口+乂
口+丿+乀
シ
ふびと
ふみ
記録をつかさどる役人
記録文
歴史書
さかん
四等官(シトウカン)
太政官
神祇官の第四位
↓↑
史=口+乂
史⇔央=中央
↓↑ ↓↑
央=冂+大
冂+一+人
オウ
エイ
ヨウ
なかば
なかば・まんなか
つきる・やむ・無くなる?⇔0
鮮明なさま?
声が調和するさま
↓↑
佒英怏泱柍殃胦映㼜秧偀盎䇦瑛暎詇
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姎抰煐绬鶧㹧䊔䣐媖楧眏蝧鸯㡕㿮䒋
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↓↑
中
なか・ちゅう・あたり・あたる
まんなか
中央・中心・中核
ある範囲のうちがわ・なかがわ
意中・車中・ 忌中
なかほど
三つに分けた二番目
中等・中流・中盤
あいだ・二者のあいだ
中間・中継・中腹
かたよらない
中立・中道・折中
あたる・あてる
中くらいの大きさの物
大中小
中くらいの高さの物
上中下
中くらいの質の物
上中(並)下
ある物体の内部のこと
内(中)外
中央
↓↑
三経義疏=聖徳太子の撰述
「法華 義疏」四巻
「維摩経義疏」三巻
「勝鬘経義疏」一巻
の三疏(サンショ)
疏(ショ)=注釈書
↓↑
聖徳太子の著
『法華 義疏』
(伝 推古天皇二十三年(615年)
『勝鬘経義疏』
(伝 推古天皇 十九年(611年)
『維摩経義疏』
(伝 推古天皇二十一年(613年)
の総称
↓↑
疏=疋+㐬
乛+龰+亠+厶+川
乛+止+亠+厶+川
あらい
うとい=疎
親しくない
うとんじる
おろそか=疎
おおまか・まばら=疎
通ずる=疎通
分かつ=疎
除く=疎
箇条書きにする
ときあかす
蔬=艹+疋+㐬
艹+
な・あおもの・野菜の総称
梳=カミを梳く
↓↑
流=氵+㐬
氵+云+川(儿+丨・丿+丨+乚)
ながれる
↓↑
㐬=𠫓+川
亠+ム+川
╹+𠫔+川・・・𠫔=𠮛=旨
=𣅀=亠+日
╹+一+ム+川
𠫓=出産時の股間の嬰児
川=乱れ髪
↓↑
育児
育=𠫓+肉(月)
育=女性が子を産む象形
𠫓=生まれた子どもの逆さまの形
出産で子どもが生まれ落ちる姿
月=肉=人体
育の源字「毓=毎+㐬」
子どもが生まれる形の
育・毓=産育の意味
↓↑
𠫓=子(児・兒⇔个
臾=⺽+人)の字が
上下に逆字なった字
・・・冖(ワ)+┳(ㅜ)
臾=叉(又丶)手なり
𠀉彐(∈+∋・E+ヨ)に従ふ
𦥑の屬は皆な𦥑に従ふ(説文解字)
左右の手を合わせた形・拿=合+掌
左右の手でモノを持つ
𦥑は前方にものを抱きかかえる形
匊(きく)は
掬(すく)いとるような形(字通)
子=一+了
↓↑
㐬=𠫓+川
リュウ
トツ
𠫓=亠+厶
異体字「𡿮・旒」
㐬
子の生まれ出る形の象形
赤子が頭を下にして生まれるさま
篆文の一字は
生まれ出るときの羊水を描いている
生まれ出た子=育・棄
イク=育
キ =棄・・・枼・諜・諜報・お喋り・蝶々
棄てる・廃棄・棄損・棄権
↓↑
育=イク・そだつ・そだてる・はぐくむ
𠫓(生まれ出た子)
月(肉体)
生まれ出た子のからだ
子が育つ・育てる
はぐくむ(育む)
やしなう
育成・養育・育英
育苗・・・育猫
発育
棄=キ・すてる
↓↑
甲骨文
生まれた子
子+羊水+箕(キ・み)+両手
生まれた子を
両手で持った箕に受ける形
捨て子(棄子)の意
↓↑
「字統」
生まれた子を一旦すてた形にし
他人に拾わせる
「捨(棄)て子」の習俗
↓↑
棄=亠+厶+丗+木=弃=𠫓+廾
亠+厶+卅+一+木
亠+厶+廿+丨+一+八
「篆文」
𠫓=生まれる子の頭を下にし
甲骨文の
丗+木(十八・拾八)
箒=帚と箕=柄の出た塵取りの
箕の形がなくなった会意
↓↑
㐬=リュウ・ながれ出る
頭を下にした胎児+ながれる水
出産の際、赤子と羊水が出るさま
流れ出る意
流・硫・琉
↓↑
流=リュウ・ル・ながれる・ながす
氵(水)+㐬(ながれ出る)
流水・海流
流行・流布
流民・流浪
流儀・亜流
流言
↓↑
硫=リュウ
石+㐬(ながれ出る)
熔岩流
硫黄=いおう・・・云おう
硫化水素
硫酸=硫黄+酸素+水素
が化合した酸性液
↓↑
琉=リュウ・ル
王(たま)+㐬(リュウ・ル)」
宝石の一
琉璃=瑠璃=青色の宝石・ガラス
琉球(沖縄の別称)
琉金(金魚の一・琉球産の金魚)
↓↑
ーーーーー
・・・???・・・