安全は護られるモノ・・・「女王蜂」・「女王蟻」・「卑弥呼」?

 2796日目・文字霊日記
 楕円でも円満・・・八咫鏡・・・円周率再考
 八=ノ+乀=ノ+丶=8⇔∞
 咫=尺+只=尸+乀=口+ハ+口+ハ
   「咫=中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也」
   「周代の尺で八寸を咫という」

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 鏡=金+立+日+儿
 円周率=π=3,1415=「円周÷直径(二半径)」=円周の直径に対する比
    =「円周の長さ」は「直径の長さ」の何倍か?
   π = 3.14159
      3+1+4+1+5+9=14+9=23
            ・・・2+3=5⇔伍・語・吾(ゴ・あれ)
                いつ=伍・何時・壱・溢・乙
                   ウぅ(中国語)
       全数字を「正の整数」として
            加算し
           「基数=0~9の整数」にする
   π = 3.1415
      3+1+4+1+5=14・・・1+4=五⇔伍・吾(ゴ・あれ)
   π = 3.14
      3+1+4=8=八=ハ・・・捌(ハチ・さばく)
    參=ム+ム+ム+𠆢+彡
      三っの横嶋(ム)が会合する彡(痕・爪痕)
     壱=十+一+冖+匕=壹=十+一+冖+豆
      肆=镸+聿・・・肆⇔髟・镹・髪
        髠髯髽髭髧髤鬐髢髿髦髲鬋
        镸=匚+=+ム
        镸=Γ+=+一+ム
        镸=Γ+≡+ム・・・・Γ=厂
     ・・・镸=長・・・長⇔辰=≡+丿+レ+丶+乀
                   辰=厂+一+𧘇( xian)
                   辰=厂+亠+𧘇
                  ・・・衣=亠+丿+𠄌+乀+丿
ーーーーー
 「安全」・・・?・・・「危険」・・・?
  安=宀+女
  全=𠆢+王=人+王
    ・・・安全とは
      「宀」と「𠆢or人」に
       守られた
      「女王」
      「女王蜂」・「女王蟻」・「卑弥呼
        王⇔玉
       ・・・数珠・腕輪・首飾り
          釧(くしろ)=古代の装飾品で腕輪
          万葉集
          振田向(ふるのたむけ)が
          筑紫国に赴任する際に詠んだ
         「吾妹子(わぎもこ)は
          釧(くしろ)にあらなむ
          左手の 我が奥の手に
          まきて去(い)なまし」
          歌から釧などの腕輪は
          左手首に巻くのが
          一般的だった・・・?
          釧=金+川・・・釧⇔訓
            セン
            うでわ・くしろ
            腕にはめる飾りの輪
            くしろ・ひじまき・たまき
            腕釧(ワンセン)
            ブレスレット(bracelet)
 ↓↑
 裏字作重下「𧘇」=裏字として「𧘇」を下に重ね作る
 裏書(うらがき)
 法律用語・紙の裏に書かれた文字・文章を指す
 ↓↑
 「表=亠+土+𧘇」・・・音の土(ド)の𧘇・・・氏?
 「裏=亠+里+𧘇」・・・音の里(リ)の𧘇・・・氏?
 ↓↑
 「亠+𧘇」=衣=衣服の襟元(えりもと)
            襟=衤+禁・・・「衣」を禁じるって?
              衤+林+示
              衤+木+木+示
              キン・えり・むね
              衣服の前えり
              着物の前えり
              胸・心のうち
              心中・思い
              建物の南
 ↓↑
 「袋(有袋・郵袋)
  装(舗装)
  裂(分裂)」
 「亠+口+  𧘇=哀」・・・哀悼
 「亠+中+  𧘇=衷」・・・折衷
 「亠+保+  𧘇=褒」・・・褒美
 「亠+口+一+ 𧘇=衰」・・・衰退
 ↓↑
 𧘇
 𧘇的意思
 𧘇什(十)么(何)意思・・・么……(麼・末)接尾語
              这么・多么・怎么
              歌詞の口調をととのえる
 𧘇 的读(読・讀)音
 𧘇的解释(釋・釈)・・・解釈
 𧘇字的意思
 𧘇字什(十)么(何)意思
 汉(漢)字𧘇的意思
 𧘇字念什(十)么(何)
 𧘇怎()么(何)读・・・怎么都好=なんでもいい
             怎么=何故・如何(どう)
                奈何(いかん)
             怎=乍+心
ーーーーー
     ・・・镸=長・・・長の始点は点=・○
        镸円(楕円)の原型は円
           円の中心から
           左右横軸、上下縦軸に
           引っ張った形態
        镸+肀+二
        镸+肀+一+一
           丨+一+一+一+一+厶+聿
           丨+一+一+一+一+厶+肀+二
           丨+一+一+一+一+厶+肀+一+一
    円周=3,14x8=25,12・・・・2+5+1+2=10・・・1+0=1
      =3,1415x8=25,132・・2+5+1+3+2=13・・・1+3=4
      =24.8÷8=3,1
      =24.9÷8=3,1125
      =25.0÷8=3.125
      =25.1÷8=3.1375≒3.14・・・3+1+4=8=八=捌(さばく)
            3.1375・・・3+1+3+7+5=19
                    ・・・1+9=10(壱拾・足)
           人の足=1フィート
           漢字=一呎=one foot
           足=フィート・フット(feet・foot)
           1フィート=0.3048 メートル
           1フィート=12インチ
           3フィート=1ヤード
 ↓↑
 楕円=Daen=長円=卵型
 oval
 ellipse=iˈlips・エリプス・イリプス
 ↓↑ 
 ditch=ディッチ
    =みぞ・溝・渠・漊・瀆・涜・畎
     渠=洰+木
 ↓↑↓↑  氵+巨+木
       キョ
       おおきい
       かしら
       かれ
       なんぞ
       みぞ
       掘り割り・地面を掘った水路・小川
       大きい・広い
       かしら・親分
       かれ・三人称の代名詞
      「なんぞ・いずくんぞ」と読み
       疑問や反語の助字
       水到渠成
      「水至りて渠成る
      (蘇軾・答秦太虚書)」
        軾=車+式
          車+弋+工
          ショク
          しきみ
          車の前部についている横木
          横木に摑(捉)まり
          敬礼をすること
         「水到魚行」
          ・・・時がたてば成る様になる・・・?
       ⇔巨勢(こせ)氏
           許勢・許世・居勢
           己西・既洒
           大和国高市郡巨勢郷
          (奈良県御所市古瀬)
           を本拠とした古代豪族
           巨勢至信(こせ ゆきのぶ)
           江戸時代中期の旗本
           巨勢忠善(ただよし)の嫡男
           官位は従五位下
           伊豆守、縫殿頭
           至信の縁戚
           浄円院=彼女は徳川吉宗の母
               至信の伯母
           旗本巨勢氏
           至信の父
           忠善の代から
           紀州徳川家に仕え始め

           巨勢 至忠(こせ ゆきただ)
           土岐朝澄の子
           巨勢至信の婿養子
           官位は従五位下
           伊豆守
           日向守
           宝暦三年(1753年)
           定火消
           布衣(ほい)の着用許可
           旗本の礼装
           武家官位の最下層(六位)
           定火消(じょうびけし)
           江戸中定火之番
 ↓↑  ↓↑
    漊・瀆・涜・畎
    漊=氵+婁・・・婁=娄(ル・ロウ)
            鞴・送風器・ふいごう
            吹子・吹革
            吹影鏤塵(スイエイロウジン)
            たたら=踏鞴・蹈鞴
            たたら= 鑪・多多良・多田羅
    漊=氵+串+女
           𧰃=豆+婁=通䝁正音勞野豆也
             二𧰃郎侯反𧰃豆也𧯲俗音
      婁・娄(ル・ロウ・つなぐ・つながれる
          ウシ=牛をつなぐ
          ひく・むなしい・から
          中空・空洞)
      婁=二十八宿
        西方白虎・第二宿
        挹婁(ユウロウ)
        中国古代の外満州沿海州付近にいた
        北方民族
        靺鞨(マッカツ)
        三世紀前半
        夫余の支配を脱した
 ↓↑  ↓↑ ↓↑  ↓↑
      ルソー=婁騒・魯叟・蘆騒=るそー
      Jean-JacquesRousseau
      (ジャン・ジャック・ルソー)
      仏人・啓蒙思想家・文学者
      (1712~1778)
      「民約訳解」著作
  瀆=氵+士+買・・・水の士のカイ物
             買=罒(網)+目+ハ
                 編  女の人
    涜=氵+売(女)・・水を拾う壱の冖の儿
       冒涜=冒瀆=ボウトク
            =貶める行為発言
             不敬
             氵=さんずい
              =纂隋・簒隋・篹隋
                隋=隋書・随所
       比売=比女⇔姫⇔「壱與・壹與」
               卑弥呼の宗女
                   瘦女
                   瘦得皮包骨
    畎=田+犬=甽=田+川(巛)
          異体字「圳=𤰕=甽=𤱶」
      ケン・テイ・キョウ
      みぞ
      田畑の間を流れる細い水路
      谷川・小川
      畎畝(ケンポ)
      田の「あぜ」と畑の「うね」
 ↓↑  ↓↑
 偻=的繁体字。亦作「軁」・・・偻⇔倭
   驼背=佝偻・・・・・稲穂垂れの曲がり
             禾穂垂れの曲がり
             のぎ(芒)
             穀物の穂先の毛
   泛指身体弯曲
   使身体弯曲
   表示恭敬・・・・・・お辞儀・挨拶のオジギ
   泛指弯曲
   屈曲・僂數
   迅速・立刻
   僂
   儸
   偻=僂
   脊背弯曲=伛~(弯腰驼背)
   迅速=不能~指(不能迅速指出来)
   其它字義(义)
    它=宀+匕=へび・タ・ダ=蛇
   偻=僂
   干練(练)=机灵=賢い
         灵=異体字「靈・㚑・霊・霛」
      指縁林或盗賊的部下、仆从(倒従(從))
   佝=僂
ーーーーー
 廃妃尹氏(はいひいんし、ペビユンシ)
 景泰五年閏六月一日
 (1455年7月15日)
  ~
 成化十八年八月十六日
 (1482年8月29日)
 李氏朝鮮
 第九代国王
 成宗の2人目の王妃
 第十代国王
 燕山君の生母
 本貫は咸安
 尹起畎(尹起畝)・・・・・畎=ケン=猟犬
 と
 申氏(申叔舟の従妹)・・・申=さる=猿
 の娘
 燕山君の在位中の
 1504年に復位
 斉献王后(チェホンワンフ)と追号
 1506年
 中宗反正の後に
 再び廃位・・・???
 美しい容姿で
 成宗の寵愛を受けた
 成化十年(1474年)
 成宗の最初の王妃
 恭恵王后崩御
 妊娠中の尹氏は
 王妃に冊封された
 4ヶ月後
 元子(燕山君)を出産
 成化十三年(1477年)
 尹氏は砒素を隠していたことが発覚
 他の後宮を毒殺しようとした
 嫌疑がかけられ
 降格されそうになったが
 成宗の取り計らいで免れた
 尹氏のもとを訪れた成宗は
 尹氏の母が残していった箱に
 呪詛の文が書かれた書を発見し
 成化十五年(1479年)
 成宗は
 尹氏を廃位し
 王妃から
 嬪(ピン、正一品。側室の最上位)に降格した
 三年後
 成宗が尹氏のもとを訪れた際
 尹氏は
 嫉妬で
 成宗の顔を
 爪で引っ掻くという不敬を犯した
 これを知った
 大妃や妃の強い要求により
 成宗は尹氏を廃妃、宮廷から追放
 尹氏の素行不良により
 成化十八年(1482年)八月
 成宗は
 廃妃尹氏に
 賜薬を下した
 ↓↑
 尹氏の
 廃妃と賜死を巡って
 両班家、貧家の出身の
 尹氏を快く思わなかった
 太后後宮の妃妾たちの妬みに遭い
 謀略により憤死した・・・説
 尹氏の
 墓碑は建てなかったが
 成宗は世子の将来を考慮し
 「尹氏之墓」という墓碑銘を与えた
 成宗は自分の
 死後100年間は
 廃妃問題に関して論じないよう遺言
 燕山君は後に
 尹氏の死の経緯を知り
 甲子士禍へ・・・
 ↓↑
 甲子士禍(コウシシカ)
 燕山君の独裁政治の粛清事件
 士林派
 国王に反対する
 勲旧派の一部も
 弾圧
 ↓↑
 燕山君は
 1498年(燕山君四年)
 「戊午士禍」
 によって
 士林派を一掃し
 奢侈な生活
 重税を課し
 官吏の功臣田の削減
 ↓↑
 燕山君は
 1503年(燕山君九年)頃
 狂動が増し
 1504年(燕山君十年)
 外戚を中心とした宮中派
 と
 議政府によった府中派
 との対立を利用し
 権力の掌握を狙った側近の
 任士洪と
 宦官(内侍)の
 金子猿が・・・・金子の猿
         金の子の猿・・・猿女?
 燕山君に
 生母(廃妃)尹氏の賜死の経緯を
 告げ口し、亡き母の遺品を見せた
 燕山君は逆上し
 賜死にかかわった関係者の
 すべての調査と処罰を命じた・・・SK国状況?
 7ヶ月以上にわたる
 疑惑の追及が行なわれ
 勲旧派
 士林派
 を問わず
 賜死事件に関連した要人が
 死刑、流刑
 貴人鄭氏
 貴人厳氏
 の2人は
 燕山君に殺害
 勲旧派の巨頭
 韓明澮
 もこの時
 「剖棺斬屍」・・・死体を棺から引き出し斬刑に処すこと
 に処された
 生母尹氏の賜死を実行した
 燕山君の祖母
 仁粹大王大妃も
 燕山君から虐待を受け死去
 ↓↑
 国王自身の「恐怖政治」は
 開国以来の
 王権と臣権の関係に重大な影響をもたらし
 朝鮮王朝史上
 最初の臣下による
 政変を引き起こした
 燕山君は
 1506年(燕山君十二年)9月2日
 朴元宗
 柳順汀
 らによる
 宮廷クーデターにより
 王位を剥奪
 3ヵ月後に流刑先の
 江華島で死亡・・・
 ↓↑
 1494年
 6歳で
 晋城大君(チンソンデグン)に冊封
 ↓↑
 1506年9月2日
 勲旧派の
 朴元宗
 成希顔
 柳順汀
 らがクーデターによって
 燕山君を廃位、追放し
 18歳の
 晋城大君
 を擁立
 ↓↑
 「獄中花」・・・「獄女(オクニョ)→玉女」?
 中宗
 李氏朝鮮
 第十一代国王
 (在位
  1506年9月2日~1544年11月14日)
 諱は懌(ヨク)
 諡は恭僖徽文昭武欽仁誠孝大王
   中宗恭僖大王
 第九代
 成宗の次男
 第十代
 燕山君の異母弟
 ↓↑
 1510年
 側近の
 朴元宗が死去
 「三浦の乱」
 北方からは
 女真族の侵入
 ↓↑
 38年2ヶ月在位した後
 1544年11月14日
 長男の
 仁宗に譲位し
 翌日56歳で死去
ーーーーー
 ・・・???・・・
 「乙巳士禍」
 by 『ウィキペディアWikipedia)』
 ↓↑
 乙巳士禍(ウルササファ)
 1545年
 李氏朝鮮
 明宗時代
 明宗の外戚
 尹元衡(文定王后・尹氏の弟)・・・文+定
 らによる
 鳳城君
 を推戴しようとした
 反対勢力
 先代
 仁宗(明宗の異母兄)外戚
 尹任
 と
 彼に登用された
 士林
 らの粛清事件
 ↓↑
 1544年11月
 中宗が死去
 世子が29歳で即位
 仁宗は生母が産褥で生後直ぐに死去し
 継妃であった
 文定王后に育てられた
 文定王后の実子で
 仁宗の異母弟
 慶源大君(明宗)は
 十一歳
 ↓↑
 中宗の晩年
 仁宗の伯父
 尹任
 の率いる
 大尹派
 と
 文定王后の次弟
 尹元衡を中心とする
 小尹派
 とが対立して
 仁宗の即位により
 大尹派が優位となった
 ↓↑
 仁宗
 短い在位期間中
 「己卯士禍」で
 被害にあった
 趙光祖ら士林派の名誉回復をはかり
 自らも
 道学政治を標榜し
 士林派の登用を推進
 が、即位後9か月足らずで
 原因不明の急病で死去
 急死について
 継母
 文定王后による
 殺害説が囁かれてきた・・・
 ↓↑
 仁宗
 の死によって
 幼い国王
 明宗
 と
 生母
 文定王后(垂簾政治)
 に擁護された
 小尹派の中心人物
 尹元衡は
 策略で
 尹任、柳灌、柳仁淑
 らの
 大尹派の
 首領を自決に追い込み
 彼らに追随した
 士林派の
 官僚たちを配流
 ↓↑
 政権を掌握した
 尹元衡は
 1547年
 「良才駅壁書獄」
 を起こし
 先の事件で生き残った
 良識派
 士林勢力をも一掃し
 権力を独占
 ↓↑
 尹元衡
 は
 国王の外戚として
 文定王后
 存命中は
 栄華を極めた
 文定王后の死により
 妾
 鄭蘭貞とともに政権を追われ
 自害
 ・・・「鄭蘭貞」・・・「半島美人」!!
 ・・・「鄭蘭貞」の配下使用人も全員忠義モノ・・・?
 鄭蘭貞 (チョン・ナンジョン・てい・らんてい)
 ?~嘉靖四十四年 (1565年11月13日)
 朝鮮の身分制度を覆そうとした聖女
 ・・・パク・チュミ・・・
 (朴周美・1972年10月5日)・・・
           交通事故・2012年10月23日夜
 壬子(壬 癸)正財・偏財 絶⇔壬辰
 己酉(庚 辛)比肩・食神長生⇔庚戌
 己巳(戊庚丙)  ・印綬帝旺⇔丁巳
  戌亥 大運2012年3月(39歳) 乙巳 偏官
 庚午(丙 丁)傷官・偏印建禄⇔丙午
 ↓↑
 「李之菡(イ・ジハム)」
         ・・・菡萏(カンタン)
            中国語でハス(蓮)
            大分県大分市西部の地名
           「菡萏」と表記
            菡萏港 - 大分県大分市
            大分港の旧称
            菡萏湾 - 大分県にある
            別府湾の旧称
  (1517~1578)
 (中宗十二年~宣祖十一年)
  朝鮮時代中期の学者・博学多才
 「李之菡(イ・ジハム)」
 妻の父
 李呈琅は
 「良才駅壁書事件」・・・良才駅で政権批判の張り紙(壁書)が発見
            「上では大統領が
             下では奸臣が権力を占めているから
             国が滅びてしまう」・・・?
 に巻き込まれ処刑
 ↓↑
 土亭是
 李之菡
 的外號
 李是
 高麗
 忠臣
 牧隱李穡的
 第6代玄孫
 1517年
 出生
 在忠清道
 保寧。
 他十四歲的
 時候就失去了父親
 是長兄教會
 他
 讀書寫字的。
 成家後
 他拜師
 於
 自然哲學家
 徐敬德門下
 學習力學
 醫學
 數學
 天文和地理
 等
 各個領域的知
 ↓↑
 乙卯倭変
 1555年
 倭寇
 全羅南道
 康津
 珍島
 に侵入、略奪
 ↓↑
 1544年
 蛇梁鎮倭変
 朝鮮で
 倭人の来往を禁止
 対馬島主の
 謝罪
 通交再開許可願いを受け入れ
 1547年
 丁未約条
 倭人の交易を許可
 約条は倭人に対する統制を強化
 倭人は朝鮮との貿易で規制され
 倭寇
 日本全域が戦乱状態で
 貿易事情も悪く
 明の沿海と朝鮮の沿海地方
 略奪行為
 1555年5月
 倭寇は船七十余隻で
 全羅道の南海岸に侵入
 城を包囲
 長興、康津、霊岩一帯を横行
 朝鮮は
 倭寇討伐隊を全羅道に急派
 節度使・元績
 長興府使・韓温
 などが戦死
 霊岩郡守・李徳堅が捕虜になる
 ↓↑
 朝廷は
 戸曹判書・李浚慶を都巡察使
      南致薫を防御使
 に任命し、討伐隊を再び派遣
 彼らが倭寇を職滅すると
 対馬島との貿易関係悪化
 立場が苦しくなった対馬島主は
 朝鮮を略奪し蛮行に出た
 倭寇の首を切ってきて謝罪
 歳遣船の増加を願った
 朝鮮では
 対馬島の生活必需品を支援するため
 食料事情などを考慮し
 歳遣船五隻を許可した
 が
 倭寇の侵入は減らなかった
 豊臣秀吉
 日本統一
 朝鮮に
 大規模な戦争を敢行
 「壬辰倭乱
 以後
 朝鮮と日本の
 両国間の貿易は中断・・・???
 「悪女・獄女」・・・ドラマの結末は・・・
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 人種、種族、民族に関係なく
 ・・・ヤッタ方は事実をトボケテ忘れる・・・?
 ・・・ヤラレタ方は事実を誇張して忘れない・・・?
 ・・・みんな、ボケればヘイワ・・・カモ?