時軸=ときじく=解き字句=枳・枸橘=からたち=唐立・・・

 2793日目・文字霊日記
 天保十四年(1843年)閏九月十一日
 阿部 正弘
 ペリー来航時
 25歳で
 幕府老中だった

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 ↓↑  ↓↑
 タイムスリップ
 時軸=ときじく=解き字句=枳・枸橘=からたち=唐立
        =垂仁天皇、 三宅連(ミヤケノムラジ)等の祖
         名は多遅多摩毛理(タヂマモリ)を
         常世国に遣わし
         非時香菓(ときじくのかくのみ・橘)
         すなわち
         時を定めず
         いつも黄金に輝く
         木の実を求めさせた
         履中三年(720)十一月
        「是の花、
         非時而(トキシク)
         にして来れり
         其れ・・・・・・・・蘇(よみがえらす)例
         何処(いとこ)・・・・伊都処・意図虚?
         の花ならむ・・・・・の「葉名」奈良務?
         汝(いまし)・・・・・なんじ(何字)
         自ら求むべし」・・・ミズカラ求むべし?
 ↓↑  ↓↑
 越勢能山時 阿閇皇女 御作歌
       阿閉皇女の作らす歌
 ↓↑
 これや・・・・・・・此也
 この・・・・・・・・是能
 大和にしては・・・・倭尓四手者
 我(あが)恋ふる・・我戀流
 紀路(きぢ)に・・・木路尓
 ありといふ・・・・・有云
 名に負ふ・・・・・・名二負
 勢の山・・・・・・・勢能山
 (萬葉集1-35)
 ↓↑
 仮名読
 これや・・・・・・・此(止匕)也
 この・・・・・・・・是(日下人)能(厶月匕匕)
 やまとに・・・・・・倭(人禾女)尓
 しては・・・・・・・四手者・・・四つ手の網
 ↓↑         罒手者・・・網手
       紙垂(かみしで)
      「し(垂)ず」
       〆の子・しめ縄飾り
       白熊 (はぐま) の毛で作った
       払子 (ほっす)
       ↓↑ ・・・払子(ほっす)
            仏教の法要の際に僧が威儀を示す法具
            麈尾(シュビ・シュミ)
            白払(びゃくほつ)とも
            獣毛や麻などの繊維を
            束ねて柄をつけたもの
            本来は
            インドで
            蚊や蠅など虫を追い払うために使われた道具
 ↓↑     ↓↑    禅宗で煩悩を払う法具として用いられた
       に似たもの
       槍の柄につけた槍印
       玉串や
       注連縄(しめなわ)などにつけて
       垂らす紙
       古くは麻(あさ)
       楮(こうぞ)
       木綿(ゆう)
       を用いた
       四手(よんしゅ)
       四手網=大漁捕穫網・魚捕り網
           滋賀県
           犬上郡
           多賀町
 ↓↑         四手
 あがこふる・・・・・我が戀(こい)の流(ながれ)
 きぢに・・・・・・「記字・記事・生地」に
           木(十八)
           路(足各)
           尓(𠂉亅八=捌)
 ありといふ・・・・・有(ナ月)
           云(二ム・一𠫔)
           𠫔=旨・甘・𠮛
            =うまい・あまい
 なにおふ・・・・・・名(夕口)
           二(似)
           負(𠂊・ク・ワ・目ハ)
 せ・・・・・・・・・勢
 ↓↑  ↓↑ 
 (なに、おふせ=何=名似、お布施)
 ↓↑   阿倍御主人(あべのみうし)=布施
     ↓↑      フセ=伏・臥・附
     阿倍 御主人(あべ の みうし)
     氏は布勢・普勢(ふせ)とも
     阿倍普勢(あべのふせ)の
     複姓で記される場合もある
     姓は臣のち朝臣、公卿、
     左大臣
     阿倍内麻呂の子
     子に
     広庭
     人主
     ↓↑
     阿倍 御主人
     は
     672年の
     壬申の乱
     大海人皇子天武天皇)方の功臣
     晩年には右大臣・太政官・従二位
     ↓↑
     百寮人が
     殯宮で慟哭したとき
     納言の
     布勢(阿倍)朝臣御主人が誄し
     ↓↑
     持統天皇二年
     (688年)十一月十一日・・・拾壱・足壱
     天武天皇が大内陵に葬られ
     布施-朝臣-御主人は
     大伴御行・・・・大(ダイ・おほ)は
             伴(ハン・とも)なう
             御(オン)・・・音
             行(ギョウ)・・行
     と共に誄した
 ↓↑  ↓↑
 のやま・・・・・・・能(ム月ヒヒ)山(サン)
           ム(よこしま・私・己)の
           解通(ジク字句)
           比々(日々・狒々・霏霏)の
           纂(簒)?
 ↓↑ ↓↑
 雑歌
 作者 阿閇皇女・・・阿倍皇女?
    羈旅 妹背 行幸
 ・・・羈=罒+䩻
 ↓↑  ↓↑ 罒+革+馬
      キ
      おもがい(面繋・面懸・面掛)
      馬の口に轡(くつわ)をはめるため
      頭部にからめる装具で頭絡にあたる
      轡 (くつわ) を固定するために
      馬の頭にかける緒
             対語は鞦(しりがい)
      たづな(手綱)
      たび
      たびびと
      つなぐ
      トリしまる
      つなぎとめる
      旅人・旅をする
      旅ずまい・旅暮らし
   ・・・面掛行列=神奈川県
           鎌倉市坂ノ下の
           御霊神社での
           行列行事
           鶴岡八幡宮の八月十五日の
 ↓↑  ↓↑      放生会で行われていた
    妹背=夫婦=兄と妹・姉と弟
      =伉儷(コウレイ)
       栄諧伉儷
       伉(コウ)=つれあい・配偶者
       儷(レイ)=「二つ並ぶ」という意
       儷=イ+麗(麓)
 ↓↑     ↓↑  ・・・高句麗・高麗
               麗=一+冂+丶+一+冂+丶+鹿
                =䴡
                 レイ
                 リ
                 うるわしい
                 うら(ら)
                 うら(らか)
                 つら(なる)
                 なら(ぶ)
                 うつくしい
                 ならぶ・つらなる
                 そろい・そろう・対になる
                 つく・くっつく
                 つける・くっつける
                 かかる・ひっかかる
            綺麗・華麗・美麗・秀麗・艶麗・絶麗
            ・・・駢儷
            美辞麗句・容姿端麗
         ・・・解語之花?=美人=楊貴妃・・・
                 『開元天宝遺事』            
           「高句麗・高麗」
                 うららか・うらら
 ↓↑     ↓↑         空が晴れて、穏やかなさま 
       四六駢儷
       駢四儷六
       四字句と六字句の対句を用いる
       修辞的な文体
      「駢」=馬を二頭並べて車につなぐ意
          対句という意
 ↓↑    「儷」=一対となって並ぶという意
 和歌山 紀州
 地名  土地讃美
 ↓↑
 羈紲之僕
     主君の旅の従者や随行
    「羈」は馬の顔に付けるおもがい
    「紲」は馬の手綱のこと
     主人の馬車を操る従者
    「羈絏之僕」とも
    『春秋左氏伝(僖公二十四年)』
 狷介不羈
     意志固く
     何ものにも束縛されないこと
 曠世不羈
     長期間
     相手を服従させることはできない
     長い期間拘束することができないコト
    「曠世」=長期間
    「不羈」はなにものにも縛られないこと
    『文選』孫楚「為石仲容 与孫皓書」
 傲慢不羈
     人を見下し誰にも縛られない
     才能があり自由に振舞うこと
 独立不羈
 不羈自由
 不羈独立
 不羈之才
 不羈奔放
 不羈磊落
 放縦不羈
 放蕩不羈
 奔放不羈
 ↓↑
 朱鳥四年(690)九月
 持統天皇
 紀伊国行幸の際の
 御製
 ↓↑
 阿閉皇女(元明天皇)は
 前年に
 夫の
 草壁皇子(日並皇子=ひなみしのみこ)
     (日並知皇子= ひなめしのみこ)
      壬申の乱(672)時・・・十一歳
      岡宮御宇天皇
      岡宮天皇
      長岡天皇
 を失い
 亡き夫への思いを籠めた歌
 ↓↑
 708年
 和銅元年(一月十一日改元
 武蔵国より銅を献上、よって改元
 ↓↑
 和銅元年戊申
 元明天皇(阿閉)の御製
 ↓↑
 大夫(ますら)をの・・・・大(一人)
              夫(二人)
              之(これ・シ)
 鞆(とも)の・・・・・・・鞆(革丙)
              乃(すなわち)
 音すなり・・・・・・・・・音(おと・おん・イン)
              為
              奈(一人示)
              利(禾刂)
 物部(もののふ)の・・・・物部乃
 大臣(おほまへつきみ)・・大(一人)臣
 楯立つらしも・・・・・・・楯(木盾)
              立
              良(ら・よい・リョウ)
              思(田心)
              母(はは・ボ・モ)
 (万葉集1-76)
 ↓↑
 「物部の大臣」は
 石上麻呂を指すとする説
 即位の儀式においては
 石上氏(旧物部氏
 榎井氏(物部系氏族)が
 楯を立てる慣例があった
 ↓↑
 和銅元年(708)十一月二十一日
 元明天皇(阿閉)
 即位
 大嘗祭が挙行
 この歌に和した
 御名部皇女
 の歌・・・
 御名部皇女・・・・・・オンミョウブコウジョ?
 (みなべのひめみこ) 音 名 生分控 除 ?
 斉明天皇六年(660年?~?)
 天智天皇の皇女
 母は
 蘇我倉山田
 石川麻呂の女(むすめ)
 蘇我姪娘(そがの-めいの-いらつめ)
 元明天皇(阿閉)の同母姉
 大宝律令施行後
 御名部内親王・・・オンミョウブナイシンノウ
          音 名 生分内 新 納 ?
 とも記述
 高市皇子の正妃
 長屋王の母
 ↓↑
 和銅一(708)年
 妹、
 元明天皇(阿閉)の不安を
 なだめるように
 元明天皇の歌に和した・・・
 ↓↑
 わご大君・・・・・・・吾(われ)
            大(おほい)
            王(おう)
 物な思ほし・・・・・・物(もの)
            莫(なかれ)
            御(おん)
            念(ねん)
 皇神(すめかみ)の・・・須(彡頁)
            賣(よむ)
            神(かみ)
            乃(すなわち)
 つぎて・・・・・・・・嗣(つぐ)
            而(しこうして)
 賜へる・・・・・・・・賜(たまわる)
            流(ながれ)
 われ無けなくに・・・・吾(あ)
            莫(なかれ・バク)
            勿(なかれ・ブツ・モチ)
            久(ひさしく)
            尓(に・ヤ)
 (万葉集1-77)
 ↓↑
 作者 御名部皇女
 奉和 御名部皇女
   (みなべのひめみこ)
    元明天皇(阿閉)の姉
 ↓↑
 和銅元年(708)戊申
 天皇御製
 御名部皇女 奉和御歌
  元明天皇(阿閉)に和(こた)へ奉る歌
 ↓↑
 吾大王・・・・吾が大君
 物莫御念・・・ものな思ほし
 須賣神乃・・・皇神の
 嗣而賜流・・・継ぎて賜へる
 吾莫勿久尓・・吾なけなくに
ーーーーー
 ・・・???・・・
 第21代
 雄略天皇の宮都で
 大泊瀬稚武
 (オオハツセワカタケル)
 天皇
 万葉集20巻4516首中の
 開巻第1首目
 ↓↑
 泊瀬(はつせ)
 朝倉宮(あさくらのみや)
  ・・・日下部朝倉=一乗谷・朝倉景勝・・・
 御宇天皇
 (代=大-泊瀬稚武天皇
 天皇御製歌
 ↓↑
 篭毛與・・・・・こもよ
 美篭母乳・・・・みこ持ち
 布久思毛與・・・ふぐしもよ
 美夫君志持・・・みふぐし持ち
 此岳尓・・・・・この岳に
 菜採須兒・・・・菜摘ます子
 家吉閑・・・・・家告らせ
 名告<紗>根・・・名告らさね
 虚見津・・・・・そらみつ
 山跡乃國者・・・大和の国は
 押奈戸手・・・・おしなべて
 吾許曽座・・・・あれこそませ
 我許・・・・・・あをこそ
 告目背齒・・・・告らめ背は
 家呼毛・・・・・家をも
 名雄母・・・・・名をも
 (万葉集
 ↓↑
 雄略天皇の皇女
 斎宮
 栲幡姫皇女(稚足姫皇女)が
 湯人(ゆえ=皇子女の沐浴等の使用人)
 の    (湯人、此云 臾衞=ゆえ)
 廬城部連武彦・・・廬(いほり・ロ)の
          城の
          部連の
          武彦?
 の子供を妊娠したと
 阿閉臣国見・・・「阿閉」臣の「国見」
 ↓↑     名は「磯特牛(しことい)」?
          磯の特牛(こというし)
            牡牛=こというじ
            ・・・言問(ことと)符字(ふじ)?
               言 意宇字?
            大きくて丈夫な牡の牛(ウシ)
            頑強で重荷を
            背負うことのできるウシ
          磯特牛=キトクゴ・キトクギュウ?
     阿閉氏=阿倍氏・膳氏同様
         孝元天皇の皇子
 ↓↑       大彦命の子孫
 に讒言され
 武彦の父の
 枳莒喩(きこゆ)・・・枳=木+只
 ↓↑           =十+八+口+八
              キ
              シ
              からたち
              ミカン(蜜柑・橘)科の落葉低木
              非時香菓(ときじくのかくのみ)
              わかれる・枝分かれする

            莒=艹+呂=艹+ノ+吕(口口)
              キョ
              芋・さといも
              周代の国名
 ↓↑            山東
 に
 禍が一家に降りかかることを恐れ殺され
 栲幡姫皇女(稚足姫皇女)も
 無実を訴えるため自殺した
 (雄略三年四月条)
 ↓↑
 皇女の母の
 葛城
 韓媛が
 父の
 円大臣・・・大日下王の子
 圓大使主(つぶらのおほおみ)
 圓使主   目弱(眉輪)皇子を
 ↓↑     守って討ち死
      「阿知使主
       仁徳天皇の死後
       履中天皇即位直前
       皇位を望む履中の同母弟の
       住吉仲皇子(すみのえのなかつ
       莒弗大連(もののべのいこふつのおおむらじ)
       円大使主(つぶらのおおみ)
 ↓↑     が、共に国事を執る」
 から
 即位前の
 雄略に
 妃として献ぜられ
 韓媛が
 栲幡姫皇女(稚足姫皇女)
 を産んだ・・・
 ↓↑
 「讒言事件」は
 外宮(伊勢神宮)の設立と年代が近かった
        ・・・だから・・・ナニ?
 阿閇臣国見は
 讒言が誤りだと判明した後
 伊勢神宮では無く
 石上神宮に逃げ込んだ・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・顛末不明・・・