次のトライは本能寺の信長か、山崎の秀吉か・・・?

 2791日目・文字霊日記
 一乗谷城の戦い・・・「断爛私報」?・・・rugby football
 ↓↑
 ラ式蹴球=闘球=蹴球=rugby football
 ↓↑
 2019/10/05/20:18
 前半
 日本(16)vs(9)サモア
ーーーーー
 一乗谷城の戦い・・・刀根坂の戦い
 天正元年八月
 (1573年9月)
 織田信長・・・・織の田・・・織=糸+音+戈
         ・・・家紋は揚羽蝶
            織田木瓜紋もっこうもん)
              木瓜(きうり)
              flowering quince
            瓜(うり)を輪切りにしたその断面
           「織田瓜」・ボケ(木瓜)?
            学名のspeciosa=美しい・華やか

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      Chaenomeles=chaino(大きく裂けた)+melon(うり)
 と
 朝倉義景・・・朝の倉
        朝倉 義景=越前国戦国大名・越前朝倉氏第十一代の当主
        日下部朝倉氏
 の間の合戦・・・
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 信長の報復
 永禄十三年(1570年)四月二十日
 越前出兵
 若狭武田家旧家臣の粟屋氏・熊谷氏らは信長に降伏
 浅井長政が信長を裏切って
 織田軍の背後を襲った
 元亀元年六月二十八日
 (1570年7月30日
  グレゴリオ暦8月9日)
 近江
 浅井郡
 姉川河原
 (滋賀県長浜市野村町付近)
 の合戦
 「姉川の戦い」が勃発
 浅井・朝倉連合軍は信長に敗れた
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 9~12月
 志賀の陣で
 信長を追い詰め、持久戦
 信長
 と
 将軍
 足利義昭が不和
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 義昭を中心とする
 反信長勢力
 「信長包囲網」構築
 浅井・朝倉氏
 武田信玄
 本願寺勢力
 比叡山延暦寺
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 元亀四年(1573年)四月
 武田信玄が病死
 7月
 槇島城の戦い
 で将軍義昭を京都から追放
 室町幕府を滅ぼした
 8月4日
 本拠・岐阜城へと戻り
 4日後に浅井氏の配下にあった
 山本山城主の
 阿閉貞征(あつじ・さだゆき)
 が、信長方に寝返り
 その日の夜のうちに岐阜を出発
 浅井方の家臣の離反が相次ぎ
 月ヶ瀬城が開城
 12日
 大嶽砦の麓の
 焼尾城の
 浅見対馬が降伏し
 織田方の城となった
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 天正元年八月十七日
 (1573年9月)
 乗谷城の戦い・・・刀根坂の戦い
 八月二十日、朝倉景鏡は裏切り、義景は自刃、朝倉滅亡
 九月一日、浅井長政は自害し、小谷城は落城
 小谷城は廃城さら
 領地は
 戦功のあった
 秀吉に与えられ
 長浜城を築いた
 ↓↑ ↓↑
 朝=龺+月
  十+日十 月
  チョウ
  あさ
  あした
  太陽が出てからしばらくの間
  天子が政治を行う場所
  朝廷に参内して天子にお目にかかる
  ひとりの天子が統治した期間
  同じ系統の君主が統治した時代
  「草+日+水」の会意文字
  草の間から太陽がのぼり
  潮がみちてくる時を示す
  「幹+舟」からなる形声文字
  東方から出る太陽
  「龺=英文:profound, brilliant, lofty
  「龺=mist」?
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 槿花一朝
 人の栄華は儚い
 「槿花」は植物のむくげの花
 むくげの花は
 朝に咲いて
 夕方には散ってしまうということから
 「槿花一朝の夢」
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 断爛朝報
 ばらばらになって
 どこがどう繋がるかわからない
 朝廷の記録
 「断爛」はちぎれてぼろぼろになること
 「朝報」は朝廷の記録
 中国の北宋
 王安石
 儒教五経の一つの『春秋』を
 そしったという故事
 出典『宋史(王安石伝)』
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 朝秦暮楚
 一定の場所に生活の拠点をもたず
 ふらふらと放浪すること
 信念や主義などがすぐに変わる人
 朝には秦の国にいたのに
 夕には楚の国にいるという意味から
 出典 晁補之「北渚亭賦」
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 朝蠅暮蚊
 度量の狭く、くだらない人が
 集まってきて鬱陶しいこと
 朝には蠅がまとわりつき
 日暮れには蚊がまとわりつくという意味
 出典 韓愈「雑詩」
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 倉=亽+口
   亼+口
   人+丶+口
   人+一+口
   ソウ
   くら
   にわか
   くら・納屋・物をしまっておく所
   あわただしい・あわてるさま
   青い=蒼
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 倉=食の略体+口(入れる所)
   食糧となる新穀や青草を入れる納屋
   青草の青い色の意
   蒼(青草の色)
   滄(青い水)
   愴(青ざめる)
   創(さっと急に切る)
   急切な動作、あわてたさま
   乍(たちまち)と同系のことばにも用いる
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 萬朝報
 明治二十五年(1892)
 黒岩涙香
 が東京で創刊
 社会記事
 翻案小説
 などを載せ発展
 内村鑑三
 幸徳秋水
 堺利彦
 らが加わり
 社会批判を展開
 日露開戦前に
 非戦論を主張
 昭和十五年(1940)
 「東京毎夕新聞」に合併
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 萬朝報(よろずちょうほう)
 日刊新聞
 紙名は「よろず重宝」 のシャレから
 万朝報と新字体で表記されることも
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 1892年11月1日
 主筆を務めていた
 都新聞を辞した
 黒岩涙香の手により
 東京で創刊
 発行所名は「朝報社」
 「萬朝報社」は誤記
 日本の
 ゴシップ報道の先駆者
 権力者のスキャンダルを追及
 「蓄妾実例」といった暴露する
 醜聞記事で売り出した
 「蓄妾実例」
 第三面に扇情的な社会記事
 「三面記事」の語を生んだ
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 「永世無休」を掲げ
 「一に簡単、二に明瞭、三に痛快」
 をモットーとし
 低価格による販売と
 黒岩自身による
 翻案小説の連載
 (『鉄仮面』『白髪鬼』『幽霊塔』
  『巌窟王』『噫無情』等々)
 家庭欄(百人一首かるた
     連珠(五目並べ)を流行らせた)
 や
 英文欄の創設等で大衆紙として発展
 1899年
 発行部数が東京の新聞中第1位に達した
 記者
 三木愛花により
 相撲・将棋の記事
 1908年(明治四十一年)
 掲載開始の
 「高段名手勝継将棋」は
 初の将棋の棋戦連載
 1901年
 「理想団」を結成
 労働問題や女性問題を通じ
 (「蓄妾実例」にも企画開始時には
  事実上の一夫多妻制など
  日本女性の境遇に対する
  問題意識がうたわれていた)
 社会主義思想から社会改良を謳って
 日清戦争時の世論形成をリード
 その後
 主たる購買者であった労働者層をめぐって
 『二六新報』と激しい販売競争を展開
 日露戦争開戦の折
 最初は非戦論を唱えていたが
 世間の流れが開戦に傾き
 社論を主戦論に転じ
 黒岩自体も主戦論者となった
 非戦を固持した
 幸徳秋水堺利彦内村鑑三が退社
 一時淡紅色の用紙を用いたため
 「赤新聞」とも呼ばれ社業は傾き
 黒岩の死後は凋落
 1940年10月1日
 『東京毎夕新聞』に吸収され廃刊
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 ヤッタァ~ッ!!!・・・
 2019/10/05/21:24・・・
 日本(38)vs(19)サモア
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 サモア=モア神の聖地
 サモア独立国
 (サモア語 Mālō Sa'oloto Tuto'atasi o Samoa
  英語 Independent State of Samoa)
 南太平洋(オセアニア)に位置
 イギリス連邦加盟国のひとつ
 サモア諸島のうち
 西経171度線を境として西側に位置
 この経度を境に
 アメリカ領サモア
 と
 サモア独立国に分割されている
 ウポル島サバイイ島
 および
 7つの小島からなる国家
 首都はウポル島北部にある
 アピア
ーーーーー
 ・・・2009年9月29日 - 朝6時48分頃
    アピアの南方約195kmを震源として
    マグニチュード8.1
    の地震発生・・・約10mの津波が襲う・・・
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 始まった・・・
 ニュージーランド vs ナミビア
 10/06/14:35
 前半
 ニュージーランド(24) vs (9)ナミビア
 ・・・ニュージーランド つよいッ!!・・・
 10/06/15:40
 後半
 ニュージーランド(71) vs (9)ナミビア

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 ナミビア共和国(Republic of Namibia)
 アフリカ南西部に位置
 北にアンゴラ
 北東にザンビア
 東にボツワナ
 南に南アフリカ共和国
 と国境を接し
 西は大西洋に面する・・・
 ・・・
 Republic of Namibia
 (リパブリク・オヴ・ナミビア
 通称、Namibia
 アフリカーンス語表記
 Republiek van Namibie
 (レピュブリーク・ファン・ナミビエ)
 通称、Namibie
 ドイツ語表記
 Republik Namibia
 (レプブリーク・ナミービア)
 通称、Namibia
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 古代
 ナミビアの領域には元々は
 コイサン
 (コイコイ人・ナマ人・サン人など)
 が居住
 14世紀
 バントゥー系民族の拡大
 バントゥー系諸民族が支配
 16世紀~17世紀
 ヘレロ人、ダマラ人、オカヴァンゴ人
 などが定着
 ナミビア民族(nation)形成
 ↓↑
 ナマ人(Nama People)
 南アフリカナミビアボツワナに居住
 コイサン諸語に属すナマ語を話す
 ナマ人は
 コイコイ人系民族
 のなかでは最大の民族
 他のコイコイ系民族はほとんど消滅
 多くのナマ人のグループは
 中央ナミビアに住み
 他の小さなグループは
 南アフリカナミビアの国境の
 ナマクアランド
 に住む
 ↓↑
 ヘレロ(Herero)
 バントゥーに属する民族
 大部分がナミビアに居住
 農業、商業、専門職等に従事
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 ・・・???・・・ハハハハッ・・・「断爛私報」?