「虎の額のカワの彪(あや・虎の彡=爪痕)が王の字」・・・

 2728日目 
 「中華民族」の始祖=黄帝・・・ナゼ・・・黄のテイ? 
 「虎の額のカワの彪(あや)が王の字」・・・ 
 「寅の綴り」・・・「属国の王」・・・ 
 「黄」・・・「寅」の「宀+一」を「廿」に置き換えた形 
 「廣」から「广と一」を除いた形・・・「黄」 
 「廣=广+廿+一+由+ハ=廣」 
 「廣=広」⇔「応(應=广+イ+隹+心)神天皇」=誉田別尊 
    広⇔応 
    ム=心 
    ム(私)=シ・ボウ・ム 
    わたくし・ござる・なにがし・それがし・某 
    よこしま(横島・邪) 
    ム=シ・ボウ・ム 
    わたくし・ござる・なにがし・それがし・某 
    よこしま 
    邪僻=よこしまで、ひねくれ、ひがんでいる 
       彼岸(ひがん)⇔此岸(しがん) 
      「この御世に 
       海部(あまべ)、山部、山守部、伊勢部 
       を定めたまひき。 
       また、剣池(つるぎのいけ)を作りき。 
       また新羅人参渡(まいわた)り来つ。 
       ここをもちて 
       建内宿禰命引い率て、 
       堤池に役ちて、 
       百済池(くだらのいけ)を作りき」 
 䧹=鳥を抱く形、抱く鳥は鷹 
   膺(むね)に鷹を抱き 
   誓(うけ)ひ狩りをし 
   神意を問う。それに神意がこたえるのが「応(應)」 
 ↓↑ 
 寅(とら・イン) 
 「宀+黄=宀+龷+由+ハ=寅」 
 ↓↑ 
 「廿+一+由+ハ」 
   「一」画少ない略字の 
 「黄=龷+由+ハ=黄」 
 を新字体に定めた・・・ 
  廣=広 
 ↓↑ 
ーーーーー 
 氏(うじ・シ) 
   氐(もと・テイ・テ)=氏+一 
   底辺・船底・抵抗・抵触・抵当・大抵 
   弖(て)=弓+一・・・国字 
  「弖爾乎波=てにをは=天爾遠波」 
  「阿弖流為アテルイ)」 
  「无利弖=:むりて」= 5世紀後半の豪族 
   熊本県菊水町江田・船山古墳出土の鉄刀の銘文 
   ワカタケル大王(雄略天皇)に 
   典曹人(役人)としてつかえた 
  「治天下獲○○○鹵大王世 
   奉事典曹人 
   名无利弖」 
  「作刀者 
   名伊太和 
   書者張安也」 
 ↓↑   ↓↑ 
  「治天下獲○○○鹵大王世奉事典曹人名无利弖 
   八月中 
   用大鉄釜 
   并四尺 
   廷刀八十 
   練九十 
   振三寸 
   上好刊刀服 
   此刀者 
   長寿子孫洋々 
   得○恩也 
   不失其所統 
   作刀者 名 伊太和 
   書 者   張安也」 
 ↓↑ 
 古代の中国 
 同一の先祖から出た 
 血縁集団(姓) 
 から 
 分れ出た小集団(氏) 
 ↓↑ 
 氏にあたる各小血縁集団は 
 姓にあたる大血縁集団のうち 
 居住地や職業 
 一族の中の社会的序列などによって 
 独立した集団 
 ↓↑ 
 氏 
 古代中国の「氏」 
 「姓」と呼ばれる血縁集団の中の 
 特定の構成員を起源 
 氏 
 血統的な 
 姓から分節された集団 
 ↓↑ 
 姓=始源血族の部族 
 氏=職業、階層、地位、身分、居住地などに分岐した氏族 
 ↓↑ 
 日本 
 姓と氏の間に意味上の差異はない・・・? 
 ↓↑     品部(ともべ)・朝廷に直属する部民(職業部・名代) 
       部曲 (かきべ・ぶきょく)・古代の中国、朝鮮、日本の 
       私有民や私兵などの身分 
       民部とも書く。中国が起源で、賤民であり、隷属的集団 
       部は 
         職業を軸とした職業部 
         所属を軸とした豪族部、子代・御名代 
       部曲(カキ) 
       豪族に率いられた部 
 ↓↑ 
 ウヂ・・・・血縁 
 カバネ・・・身分 
 ふたつの 
 氏姓制度 
 前者が氏 
 後者が姓 
 という漢字をあてはめられ・別々の意味 
 日本では 
 漢字表現での 
 姓、もしくは本姓が「うじ」 
 ここから分化した名字・家名を表記 
 古代中国の 
 ウヂが姓 
 カバネが氏 
 に対応 
 ↓↑ 
 姫(姬)=ひめ・キ=媛・嬪・比目・比女・比売・比海布・陽芽・氷女 
 ↓↑    ひめ=鳹=今+鳥=鴲=旨+鳥 
        =シメの別名 
         シメ(此女・鳹・蝋嘴) 
         鳹=ケン・ゲン・キン・ゴン・カン・コン 
         異体字「雂・鵭」 
         ついばむ=「突き食(は)む・peck, pick up」の転 
         ついばむ=「鶼・啄・嗆・噣・喋」 
               嘴=くちばし・シ・スイ 
 ↓↑           鳥が嘴を使ってつついて食べる 
 「天子などのそばにいて身の回りの世話をする女性」 
 「中国古代の王、黄帝の姓・姫水のほとりにいて、姫を姓とした」 
 「周の王室の姓 
  姫は、足跡(あしあと)の意味で 
  周の先祖の 
  后稷(コウショク) は 
  母が巨人の足跡を踏んで産んだ子なので 
  姫(姬)を姓とした」 
 「姫=女+臣=シン・シ・つつしむ」 
 「姬=女+𦣝=キ・ひめ=㚦( 古体)=女+丌(キ)」 
     「𦣝」=顎の象形で「頤」の原字・乳房の形とも・・・ 
         姫莎草(ひめくぐ) 
         姫小松(ひめこまつ) 
         姫鱒(ひめます) 
         姫昔艾(ひめむかしよもぎ
      𦣝=匚+I+|+コ・・箱の中のシャフト?・咽喉の扁桃腺? 
      𦣞=匚+|+□・・・箱の中の糸球・糸車?・咽喉の扁桃腺? 
       「䇫=竹+𦣞」の初文で「梳き櫛」の形・・・櫛函(化粧箱)? 
        姬=乳房=「女+𦣝・イ」の形・・・箪笥の引き出し? 
          君主の側妾や貴婦人の意 
  新字体は乳房が𦣝⇒臣に変化し「姫」になった 
      𦣝=異体字「𦣞・頤・𩠡」 
      𦣞=匚+口+|=叵+|=イ=乳房の象形 
        ・・・上下の唇で「□○・楽器」を銜(咥・くわ)えている顔? 
頁=ケツ=祭事の帽子、呪飾・人の首から上 
=ページ(page)・大貝・授乳の儀礼・やしなう意 
乳を飲む 
        頤・熙・巸・媐 
        𦣤=イ・巸・𣢮=「𦣝・𦣞」+ㄹ+¬=𦣤=𦣞+己+凵 
                「𦣝・𦣞」+ㄹ+凵 
          大きく広く行き渡るさま、同”熙”⇔康煕字典 
          楽しいさま、満ち足り喜ぶさま、同”熙”⇔康煕字典 
         「𦣞」は拡声器・喇叭など管楽器など吹く状態? 
 ↓↑ 
 「中華民族」の始祖=黄帝・・・? 
 「姫水の畔(ほとり・辺)」に 
 生まれたことに因んで 
 姓は「姫・姬」 
 氏は「軒轅」・・・「軒=車+干」「轅=車+袁」 
           車のハンドル(梶棒)・車の長柄 
           犴=中国の北方に生息する野犬 
             地方にある牢・刑務所 
           猿=手長猿・・・尾長サル 
             袁=長袖・振袖・スリーブス 
 または「帝鴻」・・・鴻=江+鳥=氵+工+鳥=大鳥・白鳳・大白鳥 
           「白鳥の湖」の湖畔の足跡って?・・・ 
            白鳥のモデル 
            求愛ダンスを踊るのはタンチョウ鶴 
            ツルの求愛のダンスと 
            バレリーナのダンスの刻むリズムが同じ・・・ 
 「山海経」の怪神は 
 帝鴻と同一 
 黄帝は 
 蚩尤(シユウ)・・・姓は姜で炎帝神農氏の子孫 
           獣身で銅の頭に鉄の額を持つ 
           四目六臂で人の身体に 
           牛の頭と 
           鳥の蹄を持ち 
           頭に角がある 
 を討って 
 神農氏に代わって帝となった 
 春秋戦国時代に 
 中国とされる領域を統治した開国の帝王 
 少昊、昌意の父 
 ↓↑ 
 彼以降の4人の五帝と 
 夏、殷、周、秦 
 の始祖が 
 黄帝の子孫」・・・黄帝コウテイ⇔「請う・乞う・府中」綴)? 
 ↓↑ 
 秦王朝 
 秦が最初に興った場所は 
 犬丘(甘粛省礼県)・・・犬丘=ケンキュウ=建久・研究 
             甘粛省=隴・省都は蘭洲 
                 金城が蘭州の古名 
                 黄土高原、青蔵高原 
                 内蒙古高原の間に位置 
             甘粛=カンシュク=韓(漢・奸)宿? 
             礼県=レイケン=例懸・例建・例虔? 
 ↓↑ 
 紀元前714年 
 平陽へ遷都 
 紀元前677年 
 首都を 
 雍城(陝西省鳳翔県南東)に置いた 
 ↓↑ 
 九代 
 穆公(ボクコウ)は・・・姓、諱=「嬴任好」 
 百里奚などの 
 他国出身者を 
 積極的に登用 
 巧みな人使いと信義を守る姿勢で 
 西戎を大きく討って 
 西戎の覇者となり 
 周辺の小国を合併し領土を広げ 
 隣の大国 
 晋にも匹敵した 
 晋が 
 ↓↑ 
 驪姫(リキ)・・・晋に滅ぼされた異民族驪戎の娘で 
          晋の 献公が見初めて 
          驪姫の妹と共に後宮入りして寵愛されたが 
          献公死没一ヵ月後、献公の部下の里克に 
          息子の斉や驪姫の妹一族共々殺害された 
 による 
 「驪姫の乱」 
 ↓↑ 
 で混乱すると 
 恵公を擁立 
 恵公は 
 秦に背信を繰り返したので 
 韓原の地で撃破 
 「韓原の戦い」 
 恵公が死んだ後に 
 恵公の兄 
 重耳を晋に入れて即位させた 
 重耳=晋の名君=文公 
 秦は 
 その治世時には 
 晋に押されぎみで 
 「殽の戦い」、「彭衙の戦い」 
 紀元前628年 
 文公死後 
 再び晋を撃破して領土を奪った 
 秦の 
 穆公は 
 春秋五覇の一人となった 
 紀元前621年 
 穆公死没 
 177名の家臣たちが殉死 
 秦は勢いを失い、領土は縮小 
 ↓↑ 
 戦国時代 
 七雄の一 
 隣国の晋は内部での権力争いの末に 
 韓・魏・趙 
 の三国に分裂 
 「晋陽の戦い」 
 魏が戦国初期には 
 文侯により強勢となり 
 秦は魏により圧迫を受け 
 領土を奪われる 
 「洛陰の戦い」 
 紀元前383年 
 秦の献公は 
 櫟陽(レイキョウ・陝西省西安市閻良区) 
 に遷都 
 ↓↑ 
 二十五代 
 孝公は広く人材を求め 
 頽勢挽回策を求め 
 商鞅が応じ 
 商鞅は 
 行政制度の改革・什伍制の採用 
 などで 
 秦を中央集権体制に変えた 
 商鞅の変法運動に始まる 
 秦の法治主義により 
 国内の生産力、軍事力を高め 
 徐々に他の六国を圧倒していった 
 紀元前350年 
 涇陽(陝西省涇陽県)付近に 
 城門・宮殿・庭園を造営して遷都 
 都の名を 
 咸陽と改めた 
 ↓↑ 
 後 
 孝公の子の 
 恵文王が 
 紀元前324年 
 王につく 
 秦を恐れた 
 韓・趙・魏・燕・斉 
 の五ヶ国連合軍が攻めて来たが 
 樗里疾 
 がこれを破った 
 (函谷関の戦い) 
 紀元前316年 
 恵文王は 
 巴蜀四川省)を 
 占領(秦滅巴蜀の戦い) 
 この地の開発、生産力を上げ 
 長江の上流域を押さえ 
 楚に対して 
 長江を使った進撃が行えるようになり 
 圧倒的に有利な立場に立った 
 謀略に長けた 
 張儀を登用し 
 楚を引きずり回して戦争で撃破し(藍田の戦い) 
 楚の 
 懐王を束縛 
 魏と韓の王達を屈服させた 
 恵文王の子の 
 武王との確執により 
 張儀が 
 魏に亡命 
 韓との戦いで多くの兵を失い自身は事故死 
 紀元前298年 
 斉の宰相 
 孟嘗君が 
 韓・魏との連合軍を組織し 
 匡章 
 を統帥として 
 秦に侵攻(三国聯軍攻秦の戦い) 
 秦が函谷関に追いつめられると 
 趙・宋も加わり 
 五国連合軍となったため 
 秦は講和を求めた 
 後、東では 
 斉が伸張し、宋を併合 
 紀元前288年 
 田斉の 
 湣王 
 が東帝 
 秦が西帝と名乗るとした 
 この時期は 
 西の秦・東の斉の二強国時代 
 斉は周辺諸国から恨みを買い 
 孟嘗君が 
 魏へ逃亡 
 燕の 
 楽毅が指揮する五国連合軍により 
 首都臨淄が陥落(済西の戦い) 
 斉は亡国寸前 
 東の斉 
 西の秦の二強国時代から 
 秦一強時代へと移行・・・ 
 ↓↑ 
 恵文王の子で 
 武王の異母弟の 
 昭襄王の時代に 
 宰相・魏冄 
 と 
 将軍・白起 
 の活躍 
 だが 
 魏より亡命してきた 
 范雎を登用し 
 彼の策を採用 
 魏冄らを退ける進言を受け入れ 
 范雎から進言された遠交近攻策で 
 同盟の韓・魏と斉との戦いを 
 斉や燕と同盟して近くの韓・魏・趙を攻めれば 
 秦の領土となる進言で 
 昭襄王は 
 范雎を宰相とした 
 ↓↑ 
 紀元前260年 
 白起は 
 趙への侵攻軍を率い 
 長平の戦いで 
 趙軍の捕虜40万を坑(穴埋)にした 
 しかし 
 范雎から妬まれ 
 趙の都を落とす直前で引き返させられた 
 紀元前259年 
 将軍を 
 王齕に替えて再び趙を攻めた秦軍は 
 趙の平原君のもとに 
 援軍として現れた 
 魏の 
 信陵君 
 楚の 
 春申君の活躍によって阻まれ(邯鄲の戦い) 
 大将に再任されようとした 
 白起だったが 
 不信を持って王命を拒否し 
 死を賜った 
 ↓↑ 
 敵国の趙で人質生活を送る 
 子楚(昭襄王の孫のひとり)を 
 商人の 
 呂不韋が 
 子楚に投資 
 子楚が荘襄王として即位し 
 呂不韋の愛妾でもあった 
 趙姫との間に、子(政・始皇帝)を儲けた 
 紀元前255年 
 周を滅ぼし領地を接収 
 紀元前247年 
 魏の 
 信陵君が率いる 
 五カ国連合軍に攻め込まれ 
 王齕と蒙驁の迎撃軍が敗退し 
 函谷関まで撤退(河外の戦い) 
 信陵君に関する流言飛語を実践すると 
 魏の 
 安釐王に疎まれた 
 信陵君が 
 国政の中枢から外された 
 ↓↑ 
 法制 
 秦 
 商鞅により作られた法家思想の律令国家 
 ↓↑ 
 漢の 
 蕭何は 
 劉邦に伴って咸陽に入城し 
 秦の書庫から 
 法律の書物を獲 
 これを元として 
 「律九章」と呼ばれる法律を作った 
 「律九章」は 
 「盗・賊・囚・捕・雑・具・興・厩・戸」 
 の九律があったと『晋書』 
 秦の法律に関する一次資料 
 『睡虎地秦簡』 
 と呼ばれるものがある 
 1975年 
 湖北省 
 雲夢県で発掘された 
 秦の法官であったと思われる 
 喜と言う人物の墓に入れてあった 
 竹簡群で 
 秦の法律に関する事柄が記載されている 
 ↓↑ 
 peck, pick up 
 ↓↑ 
 韓(カン)・・・韓国? 
 古代中国の 
 西周時代に存在した都市国家 
 初め現在の 
 河北省にあり 
 後に現在の 
 陝西省に移った 
(戦国の韓、半島南部隣国とは別国家) 
 ↓↑ 
 姬姓 
 元々 
 禹の 
 姒姓と同祖 
 黄帝・帝嚳の別姓 
 嚳の子孫の 
 后稷は 
 「姬」を姓として使った 
 后稷の子孫とされる 
 古公 
 亶父が周の始祖 
 曾孫の 
 武王が殷を滅ぼし 
 周王朝を築き 
 国姓とした 
 ↓↑ 
 周王室から分家の 
 姬姓諸国 
 呉・燕・晋(もとは唐)・韓(晋の分岐国諸説あり) 
 魏(もとは畢・晋の分岐国) 
 管・魯・鄭・衛・霍・虢(東虢・西虢に分岐) 
 曹・蔡・虞・滕・随 
 韓(戦国の韓とは別国家) 
 劉 
 などが・・・ 
 ↓↑ 
 春秋戦国時代 
 次第に 
 姓は 
 氏(公孫氏など)を用いることが多く 
 周およびその分家の国が滅んでいく中で 
 「姬姓」と称する者は徐々に消滅 
 ↓↑ 
 姬姓 
 漢の武帝が封禅の時 
 周の末裔を探し 
 庶流筋の 
 「姬嘉」を発見し 
 周子南君に封じ 
 周の祭祀を奉じさせた・・・ 
 衛の公族筋で 
 西晋期間中まで存続 
 咸康二年(336年・東晋代) 
 断絶 
 ↓↑ 
 戦国末期以降 
 姓と氏は同一化 
 一部の中国人は 
 姓を以って氏とした 
 「姬姓」の人は 
 「姬姓」から分かれた 
 周氏・魯氏・管氏・蔡氏・霍氏・曹氏・衛氏 
 滕氏・畢氏・原氏・毛氏・雍氏・応氏・韓氏 
 唐氏・凡氏・蒋氏・邢氏・茅氏・祭氏・鄭氏 
 劉氏・魏氏 
 などを含む・・・ 
 ↓↑ 
 姫際可=明末清初の武術家 
 姫鵬飛=(1910年2月2日~2000年2月10日) 
     中華人民共和国の政治家 
     国務院副総理・外交部長 
     1929年 
      陸軍薬専学院卒業 
      馮玉祥の西北軍の軍医 
     1931年 
      紅軍に参加 
     1933年 
      共産党入党 
     1934年 
      長征では中央革命軍事委員 
     1950年 
      駐東独大使 
      2000年 
      江沢民に「息子の冤罪で抗議、服毒自殺」 
      遠華密輸事件(アモイ事件) 
 ↓↑    ↓↑ 
      膜蛤(江沢民)? 
      1926年8月17~ 
      丙寅(戊 丙 甲)偏印偏印長生 
       冲(戊) 
      丙申(戊 壬 庚)偏印偏財 病 
       冲(戊) 
      戊寅(戊 丙 甲)  偏印長生 
       申酉空亡 
      父親 
      江世俊 
      ジェスフィールド76号(極司非爾路76號)? 
      日中戦争下の上海で 
      日本軍によって設立された 
      対重慶特務工作機関の協力者・・・? 
      汪兆銘政権が樹立され 
      国民党中央委員会 
      特務委員会特工総部 
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