無礼・・・隣国・・・天平宝字三年(759年)・・・

 ・・・武蔵寺(ぶぞうじ)・・・?・・・ムサシではないジ・・・?
 ・・・二刀流のオホタニ・・・
 ・・・しらぎ・・・

f:id:naie:20190508204237j:plain

 『資治通鑑』巻百四
    ・・・「指示(私事・師事・支持・四時=寅刻)」通観?
 太元二(377年)年条・・・体言、似撚・・・太安万侶
 高句麗とともに
 『秦書』
 太元二(377年)年
 前秦に初めて
 新羅朝貢
 382年
 新羅
 楼寒(ロウカン・ヌハン)の朝貢
 ↓↑  ・・・楼=木+娄(米+女)
      =樓=木+婁(口十口女)
         ・・・娄=婁
            米=口+十+中
              中+一+中
              串+一
              中+一
              口+十
              申・田・甲・由
              甲申=甲子干支から二十一番目
              猿女
              卑弥呼(生年不明 - 242年~248年)
              壬申=甲子干支から九番目
              癸酉=甲子干支から十番目
       樓=木+口+一+口+丨+女
         たかどの・やぐら・ロウ
         高い建物・楼閣・楼門
         物見やぐら(矢倉)
         望楼
         茶屋・料理屋
         遊女屋
         妓楼(ギロウ)・紅楼(コウロウ)・高楼( コウロウ)
         山楼(サンロウ)・酒楼(シュロウ)・鐘楼(ショウロウ)
         城楼(ジョウロウ)・登楼( トウロウ)
 ↓↑        ↓↑
         婁=ル・ロウ・つなぐ・つながれる
           ひく・ひきよせる・ひきずる
           牛をつなぐ
           なぜ「婁」の漢字が繋ぐ、引摺るなのか?
           妓楼=遊女を置いて、客と遊ばせる商売店
              遊女を置いて、客を遊ばせる娼館
           ・・・「廓・郭・曲輪」に繋がれた娼妓が
              客を引っ張る・・・楼閣・・・妓楼・・・?
           ・・・ the air pump・・・空気入れ・・・
           ・・・ふいご・吹革・鞴・韛=pair of bellows
           ・・・婁=送風器・・・
              女の上で空気入れ「piston action=毌(貫)+中」
           婁宿(ロウシュク
              たたらぼし=蹈鞴星
                    ふいご=鞴座・吹子・鞴)
           むなしい(虚しい)・中が空(から・空気)
           二十八宿の一
           合多技能、少疾病、好解医方
 ↓↑
 新羅の前身
 辰韓
 斯盧国であると
 前秦に奏上
 「楼寒=王号の麻立干」
 「奈勿尼師今」に比定
 奈勿尼師今・・・奈勿尼師今(なこつ にしきん・?~402年)
 ↓↑             名乞 似詞記務?
         奈(なんぞ)
         勿(なかれ)
         尼(あま)
         師(シ)=𠂤(積み重なった土石)+一+巾
 ↓↑       ↓↑    𠂤=阜・岐阜・曲阜=重なった丘
                追撃・追伸・追い剥ぎ
              丿+㠯(もちいる)+帀(めぐる)
              丿+㠯+一+巾
              いくさ・軍隊・周代で二千五百人の兵
              手本となる人・教え導く人・軍師・恩師
              みやこ・多くの人が集まる所・多くの人
              ある専門の技術をもつ人・技芸のすぐれた人
              もちいる・使う
              㠯=もって・~によって・~で
                もってする
                おもう・おもんみる・考える
                率いる
                ゆえ・わけ・理由
                すでに
         ↓↑      はなはだ・非常に・大
         今(いま)=現在
 ↓↑       ↓↑
         新羅の第17代の王(在位356年~402年)
         姓は金氏
         別名は那密(尼師今)
         第13代・・・13日金曜日
               ゴルゴダ(Golgotha )の磔刑の丘
               アラム語で頭蓋骨
               ラテン語 calva (頭蓋) 
               カルワリオ・カルヴァリー=髑髏
               サレコウベ=曝首=風雨に曝(晒)された頭骨
         味鄒尼師今の
         甥(父は仇道葛文王の子の・・・仇の道の葛の文王
         末仇角干(1等官の別名)・・・末の仇の角の干
         母は金氏の休礼夫人)・・・・・礼を休(やすむ)・・・無礼
         王妃は
         味鄒尼師今の娘の
 ↓↑       保反夫人・・・・・・・・・・・反を保(たもつ)
 の即位(356年)が
 新羅の建国元年
 「梁の職貢図」では
 「あるときは韓の属国
  あるときは倭の属国」・・・倭の属国
 と記述・・・
 『晋書』巻97辰韓
 普通二年(521年)・・・不通似撚(語念位置撚)?
 新羅
 募秦王(法興王)が・・・募(つの)る秦(シン)の王
 百済に随伴して初めて朝貢
 前漢時代の
 楽浪郡の故地に居
 金天氏・白帝・・・・金(キム)の天(あま)の氏
           白(いわく=磐句・曰く)の
           帝(みかど・テイ=綴)
 ↓↑
 新羅の王族
 少昊金天氏・・・皇娥と黄帝の子
 ↓↑       少昊(ショウコウ・ 少皥)
         五帝の一人
         姓は己
         氏は金天氏
        (鳳鳥氏、青陽氏、窮桑氏、雲陽氏)
         名は摯(シ・鷙・質)、または玄囂
         号は「昊・皞・皓・顥」とも
 ↓↑      「朱宣・少昊(少昊とは太昊の徳行を継承したこと」
 の子孫
 東海の青陽に建国・・・・青陽県(せいようけん)
 ↓↑           中国安徽省池州市の県
            「東海」=渤海 (海域) ~黄海(Yellow Sea)
             遼東半島山東半島の間にある湾状の海域
             ~黄海(Yellow Sea)
             中国天津、遼東半島、青島の東・・・「東海」
 ↓↑           ↓↑
             青陽=韓国忠清南道の郡
             青陽郡(チョンヤンぐん) - 韓国忠清南道の郡
             朝鮮半島の西・・・「西海」
 ↓↑          「東海」≠「日本海
 のちに都を
 曲阜に置いた
 『春秋左氏伝』
 昭公十七年の項に
 暦を作成
 官名を
 玄鳥氏、伯趙氏、青鳥氏、丹鳥氏
 など、鳥類の名で呼んだ
 ↓↑
 仙女
 皇娥の仕事は天宮で
 織物を織る事
 仕事を休み
 天の川をいかだで下り
 神木
 窮桑の木の下にたどり着き
 黄帝と出会い
 少昊を生んだ・・・
 ↓↑
 新羅
 金氏王族
 匈奴から渡来・・・
 ↓↑
 朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系
 ↓↑
 辰韓
 六村の長の一人が
 蘿井(慶州市塔里面)の林で
 馬の嘶くのが聞こえたので
 近寄ったところ
 馬が消え
 大きな卵があった
 卵を割ると幼児が出てきこれを
 育て上げたが
 10歳を越える頃に
 六村の人たちは彼を王位につけた
 卵が
 瓠(ひさご)
 ↓↑・・・瓢箪(ウリ)は
      豊臣秀吉の軍標・・・豊臣秀吉の出自はウリ?
秀吉の馬印=千成瓢箪
      金のフクベ⇔服部
      金のノレン⇔暖簾
      ふくべ=瓢・瓠・匏
      瓢箪 (ひょうたん) 
      ウリ科の夕顔
      かんぴょう
      干瓢=乾瓢
 ↓↑    胡盧(ころ・葫盧・壺盧)
 ほどの大きさで
 辰韓の語で
 瓠を表す
 「朴」を
 姓として名乗った・・・瓠=朴
 ↓↑
 建国時に
 倭人
 腰に瓠をぶら下げてを
 渡って来たことから
 瓠公
 と称され
 大輔という
 役職名の重臣になった
 瓠公が
 瓠を腰にぶら下げて
 海を渡ってきたことから
 瓠公と
 朴赫居世を同定
 またはその同族・・・
  朴(ボク・パク)
  赫居世
 (かくきょせい・きょせいかん)
  赫 居 世  居西干
 (かくきょせい きょせいかん)
  紀元前69年?~後4年)
 斯蘆国の初代の王
 (在位:紀元前57年?~4年)
 姓は朴
 名は赫居世
 ↓↑
 紀元前57年
 13歳で・・・壹與・・・卑弥呼の後継
 ↓↑    持統・・・天武に嫁す
       歴山大王=亞歴山
       13歳
       都ペラから離れた
      「ミエザの学園」で
       アリストテレス
 ↓↑    の講義を受けた
 ↓↑    めぐみチャン拉致
ー↓↑ーーー
    13歳
    成宗(ソンジョン、せいそう)
    天順元年七月三十日(1457年8月20日
    ~
    弘治七年十二月二十四日(1495年1月20日
    李氏朝鮮
    第9代国王(在位1469年~1494年)
    姓は李
    名は娎
    諡は康靖仁文憲武欽聖恭孝大王
    君号は者山君⇒乙山君
    ↓↑
    第7代国王
    世祖の第1王子
    李暲(徳宗・トクジョン・とくそう)
      (1438年~1457年)の第2王子
    母は
    懿敬世子・・・懿敬の世子・・・司馬懿懿徳天皇
           懿=懿=壹+恣=壹+次+心
            =壹+冫+欠+心
             十+一+冖+豆+冫+欠+心
    嬪韓氏
   (成宗即位時、昭恵王后と追尊
    仁粹大妃(インスデビ・じんすいたいひ)
    成宗が死去し
    第1王子
    燕山君
    が即位してからは
    仁粹大王大妃
   (インスデワンデビ・じんすいだいおうだいひ)
   (1437年~1504年)
    前王
    睿宗は叔父
    士林派(サリム=朱子学科挙官僚)を登用
    ↓↑
   世祖~中宗の略系図
   7世祖━┳李暲(徳宗)━━ 9成宗━┳10燕山君
         ┗8睿宗             ┗11中宗 
    ↓↑
    成宗は
    世祖の長男である
    懿敬世子(徳宗)と
    王世子
    嬪韓氏の二男として生まれた
    ↓↑ 
    1469年11月28日
    朝鮮国王に
    ↓↑
    13歳で即位・・・十三歳
    当初には
    貞熹大王大妃の
    垂簾聴政を受けた
    全決定権は
    申叔舟
    韓明澮
    などの元老が握った
    1476年
    元老大臣の院相制度を廃止
 ↓↑  士林勢力の政治的基盤を作った
    ↓↑
    成宗の治世
    文化政策を拡大
    1474年
    『経国大典』を完成・頒布
    1492年
    『大典続録』『東国輿地勝覧』
    『東国通鑑』『楽学軌範』
    など編纂、刊行
    「弘文館」を設置
    賜暇読書(湖堂制度)を実施
    僧侶たちを厳しく統制
    寺院を閉鎖
    崇儒抑仏政策を実践
    鴨緑江周辺の
    女真族を追い出し
    豆満江地域の
    女真族の巣窟を掃討
    1494年12月24日
 ↓↑  38歳で崩御
    ↓↑
    1492年
    干支 : 壬子
    日本
    延徳四年、明応元年七月十九日
    中国
    明    : 弘治五年
    朝鮮
    李氏朝鮮 : 成宗二十三年
 ↓↑  ↓↑
     8月 2日クリストファー・コロンブス
        スペインのパロスを出航
    10月12日コロンブス西インド諸島に到達
    10月28日コロンブスキューバに到達
ー↓↑ーーー
 斯蘆国の初代の王
 (在位:紀元前57年?~4年)
 姓は朴
 名は赫居世
 ↓↑
 紀元前57年
 ↓↑
 13歳で
 王位
 (王者=居西干と称された)
 に就き
 国号を
 徐那伐とした
 閼英井(南山の北西麓の羅井)に
 龍(娑蘇夫人)現れ
 その左脇(『三国史記』では右脇)
 から生まれた
 幼女が長じ
 容姿端麗にして人徳を備えていたので
 朴赫居世は
 彼女(閼英夫人)を王妃とした
 人々は
 赫居世と
 閼英夫人
 とを二聖と称した
 『三国史記』と『三国遺事』
 によると
 朴赫居世
 と
 閼英夫人
 はともに
 中国から
 辰韓に渡来した
 中国の王室の娘
 娑蘇夫人の子・・・
 ↓↑
 昔氏初代の
 昔脱解(第4代脱解尼師今)
 倭国東北一千里の
 多婆那国(兵庫北部等の本州)
 の王妃が妊娠
 七年たって
 大きな卵を生み
 不吉であるとして
 箱に入れて海に流した
 辰韓に流れ着き
 老婆の手で箱が開けられ
 中から一人の男の子が出てきた
 箱が流れ着いたときに
 鵲(カササギ)がそばにいたので
 鵲の字を略して
 「昔」を姓とし
 箱を開いて生まれ出てきたので
 「脱解」を名とした
 長じて
 第二代
 南解次次雄の娘(阿孝夫人)の
 女婿となり
 のちに王位を譲られた
 ↓↑
 新羅の祖
 鵜草葺不合命
 の子の
 稲飯命神武天皇の兄)
 ↓↑
 天之日矛
 日本から渡った
 稲飯命の開いた
 新羅王朝家の子孫
 新羅の王族
 朴氏・昔氏・金氏
 の三始祖のうち
 昔氏の始祖
 脱解の出生については
 倭国東北1千里という
 昔脱解は船で渡った倭人
 その出生地は
 但馬(兵庫県北部)と推定・・・
 天之日矛が祭られる
 豊岡と一致・・・
 752年(天平勝宝四年)
 新羅王子
 金泰廉
 ら700余名の新羅使が来日
 日本へ朝貢
 使節団は
 奈良の大仏の塗金用の金を貢いだ
 王子の朝貢
 新羅は日本に服属した・・・
 ↓↑
 天平宝字二年(758年)
 「安禄山の乱
 藤原仲麻呂
 国防を厳にすることを命じ
 天平宝字三年(759年)
 新羅
 日本の使節に無礼をはたらき
 仲麻呂新羅征伐の準備
 軍船394隻
 兵士4万700人
 の動員遠征計画
 遠征は
 孝謙上皇仲麻呂
 との不和により不発
 ↓↑
 身分序列
 「真骨・六頭品・五頭品・四頭品
  平人のそれぞれ男女」
 7世紀中葉に成立していた
 王族中心の身分序列
 「骨制度(聖骨・真骨)」に対して
 「頭品制度」
 「骨制度・頭品制度」
 をあわせて
 「新羅の骨品制度」・・・
 ↓↑

f:id:naie:20190508204422j:plain



 承和九年(845年)
 太宰大弐
 藤原衛(ふじわらのまもる)
 は新羅人の越境禁止を進言
 以後
 帰化を申請する場合でも
 漂着民に
 食料衣服を与えて追い返せとした
 『貞観格(じょうがんきゃく)』
 にも収められ
 以後の対新羅外交の基本方針になった
 ↓↑
 「神武王」・・・神武王
 新羅
 第45代の王(在位:839年)
 姓は金
 諱は祐徴
 第38代
 元聖王の曾孫
 父は
 上大等
 金均貞
 母は朴氏の
 真矯夫人
 王妃は
 貞継夫人
 839年1月19日
 先代の
 閔哀王を殺して
 王位に就く
 ↓↑
 870年
 王都が地震・洪水
 その冬に再び疫病
 873年
 飢餓と疫病
 王は民に穀物を与えて救済
 政情は不安定
 874年5月
 伊飡の
 近宗が反乱
 近衛兵を派遣して撃破
 875年7月8日
 景文王は死去
 ↓↑
 貞観十一年(869年)5月26日
 (ユリウス暦7月9日)
 貞観地震
 肥後地震が発生
 ↓↑
 後高句麗の武将
 王建は
 後百済との戦争で何度も勝利
 しかし
 弓裔には嫌われ
 命を狙われた
 弓裔は宮殿を再建
 自分を弥勒菩薩と呼ばせて
 観心法で
 人の心を見ることができると言い
 反対派を粛清
 王建は
 弓裔の暴政に対して
 政変を起こし
 弓裔を追放
 918年
 高麗を興した
ーーーーー
 ・・・???・・・
 「高麗にんじん」・・・つづく・・・